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生命科学の領域はここしばらくは混沌の世界へと分け入っている感じがする


はじめに

 まだ3割もわかっていないとしたら…。あくまでもわたし個人の感覚では、からだにそなわるしくみのうち、いまのところ学者が論文で発表し、「専門家」とよばれるヒトビトのあいだでひとまずコンセンサスが得られている部分はそれにも満たない気がする。いまだ混沌の世界がひろがっているような感じ。

きょうはそんな話。

このところのまなびで

 科学は急速に進歩している、はずだった。ところがこのところ開催が予定される万博のなかみの報道を知るにつれて、わたしのなかではどうもそれに?がついている。科学は多様で進歩の著しい分野もあるのはじゅうじゅう承知。足踏みをしているわけでも進展が止まったわけでもない。でも…。

なにがいいたいかと言うと分野によってどうもそう感じない。生命科学の世界に顔を出すと、このところそんな印象を強くもつ。行けども進めども分けいる未踏の地の先には迷路のようにつづく世界がひろがっている。それだけではない。ふだんあつかい慣れているはずのあるタンパク質がからだのなかで思いもしない新機能をもっていることはよくありがち。

わかりにくい例えかもしれないが、なじみの八百屋の主人がじつはバイオリンの名手だったり。通勤途中の建物がじつは暗号資産取引所で、世界中と情報をやりとりしていたり。

けもの道が

 ひとつひとつキーワードをひろい、それに関する論文を50~100報ほど目を通しても行き着くさきはいずれも混沌。

どうもスッキリしない。ひとつがわかればそこにはあらたな疑問がおのずと湧いてくる。けもの道を行き来するうち踏み固められ、1本の道となり道標が立てられる。わき道どうしがようやくむすびつく。科学とはおそらくそういう本質のものかもしれないと思う。それをこのところたびたび感じる。

そんな先には

 そうは言っても進んでいく先には解明への「手がかり」がみつかる。それはたとえるならばノーベル賞に値するほどの研究成果だったり、思いも寄らない研究者の鋭い洞察の結果とセレンビディティで発見されたものだったり。しかし喜びはつかの間でそれぞれの先にははてしない世界がふたたび…。研究の旅ははてしない。

どうも「手がかり」探しと、その先の探検の準備に追われるようすを横目でながめつつ、わたしはあとからすたすたとたどりつつ落穂をひろうような作業や、山歩きに不慣れな方々むけの案内板の補修などをほそぼそとやっている(実際に従事されている方、すみません。だいじなお仕事です)にすぎないと知れる。

いずれの分野も

 科学は実証をもとめる。とくに自然科学において事実はひとつしかない。つまり道標にたとえるのがふさわしい、おなじところにいる以上、そこに立てるのにふさわしいものはひとつだけとわたしは思う。

まあそれはそれでいい。すでにわたしが見つけて名づけたタンパク質が道端にころがっている。さらに道ばたには「探検家たち」にあ~だこ~だ手あかがつけらてあたりにうち捨てられたようにおいてきぼりのものもある。せめて名札ぐらいはつけてやろうと「ぼろぎれ」に「手縫い」で名札づけ。

こうして国際的なデータベースのなかにしまい込まれ、ハンドブックへの記載をたのまれる。ごくたまに好事家の研究者の目に止まり、「もの好きなやつがいるなあ」とながめてもらえば本望。探検家タイプもいれば、わたしのように収集家タイプもいる。それぞれ視点はことなるが見ようとしているのは共通して自然の法則であり秩序。

混沌の世界

 からだのなかの「旅」の結果で得られる地図は精細になり、都心の地下鉄路線のような網目をえがく。その世界に視線をさまよわせると、拠点にターミナルのごとき集積場がある。ちょうど新宿や品川のような場所といっていい。

そこにはさまざまな情報があつまり、からだのなかの今まさに起こっている事柄にまったなしで伝令を本部(脳や脊髄)に伝え、どう応答しようかうごきはじめている状況を観察できる。

おそらく末梢のほうではごった返している状況。それらは意外なところでおたがいにその事態に即応し合う関係者どうしで顔合わせとなる。まるでおなじ会社の同僚が自分とおなじマンションに住んでいながら気づかないままエレベーターで鉢合わせという場面かも。まさにアニメの「はたらく細胞」のような光景。

映画版も公開されそう。


おわりに

 すでにたとえが飛躍しすぎてなにが何なのかわからなくなっている読者がいらっしゃるだろう。それもそのはず。研究しているわたしですらそう。

この森を進んでいくと見晴らしのいい周囲をひろく見渡せる場所に出られるものか、そのまま進んでいくとその先にはにっちもさっちもいかなくなる剣ヶ峰が待っているのか知らないまま。なにもかもまったくわからない地図の空白地帯へと足を踏み入れている。(この文章もどうどうめぐりか…)

多くの研究者の状況はじつはそんな暗中模索のまま、日頃落ち着いたふりをして、内心あせりを感じつつ日ごろ研究にいそしんでいるのかもしれない。


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