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まどのそとに青くてまるいみかんの果実の見えるところに移り住めてほっとする
はじめに
ひっこして2週間あまり。はやいもので3回目の週末。これから郊外に車でむかい午前中の学習サポートの教室へ。なつやすみなので昼間に。
それとともに実家でくらす家族のようすを見てくる。中山間地にあるひっこすまえの家で農業をしていた。そのころはつよい北風を避けられる杉林におおわれた陽だまりの畑でみかんをつくっていた。ここは冬でもぽかぽか。そんなことをふと思い出させる光景に出会った。
きょうはそんな話。
郊外と街中のみかん
これまで住んでいた郊外。そこで多いときにはコンテナで30箱ぐらいさまざまなみかんを出荷していた。このところの冬の寒さなどがひびいたのかつぎつぎと枯れてしまった。
そこからターミナル駅そばのマンションにひっこした。きょうで16日目。街のなかではみかんのそだつようすはなかなか見れないなと思っていた。
さて、住んでいるマンションのとなりの一軒家は空き家のよう。いつも雨戸が閉めてある。ふだんはひっそりしずかだがおとといは草刈り機の音をたてて4人のかたで草刈りされていた。草がなくなりきれいさっぱり。
バルコニーに出てせんたくものを干していて、ふとおとなりの庭さきに目がいった。草刈りあとで草のたねでもこぼれていたのか、たくさんのすずめたちがさかんについばんでいた。そのそばになにかあおいまるい実があるのに気づいた。
窓のそと
みかんだ。木がしげっている。不動産屋さんとの内見のときには気づかなかった。大きめなので晩柑かな。おそらくあまなつかなにか。まだこれから大きくなる。そして年末から年があけるころにきいろく色づいてくるはず。
ほっとする風景。まどのそとにみどりの木々。内見したときにみどりに気づいてここにするあと押しになった。やっぱり街に出ても内心ではみどりをもとめてるんだなと思う。
無意識のままにえらんだのかもしれない。こころの平穏にむすびつきそう。何年間も土にしたしむ生活をしてきたんだから、きらいな生きかたでないのはたしか。やむにやまれずやめたわけでそれはそれでしかたない。いまこうしてべつの生きかたでなんとか食べているし、もどろうとは思わない。
それでもふと目をやるさきにこうしてかかわったものたちの同類がいるのはいい。おちつける。こうしてバランスをとっているんだろうなきっと。意識せずとも栄養のようにはたらくのかも。
おわりに
へやにいるときはたいてい窓ぎわのあかるいところにいる。カーテンさえあければそとのあかるさだけですごせる。南のまどがひろくとってあり、前面に高いたてものがなく、かわりにこうしてみかんの木の植わるにわを借景できる。
なんと運のいいこと。予想だにしないメリットを得て、ここに居てもいいんだよと言ってもらえた気がする。
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