できない理由をあれこれさがすよりも「やってみましょう」と言えるといい
はじめに
なにごとも理由をつければやらないままになりがち。あれこれ口実をかぞえあげるとそれこそ山のように出てきて前に進まなくなりそう。そこで発想を逆に。
まずひとりでできること(少ないかもしれないが)、協力をもらえればやれそうなこと(こちらが多いかも)を見出し、手ごろなものから着手する。いちどスイッチが入れば、なんだこんなにできるものなのかと気づけるかもしれないし、協力し合える仲間がいれば不可能と思っていたものがすんなりやり遂げられるかも。
きょうはそんな話。
たのまれて
「これやってほしいけどなあ~」とヒトから言われる。安請け合いしてしまう場合もあれば、理由をつけてことわることも。きっとそれなりにたのみたい、このヒトならば請け負ってくれる、やってくれると期待をこめられているはずなのに…。そう思いながらいまだに口実をならべてしまう。
請われているなら応えたい。やってみますと返事したい。あれこれわりとかんたんに断れそうだが、まえむきに捉えて「それはこういうことですか。」とたずねて納得のうえで「やってみましょう」の言葉が出ればいちばんいい。
たとえその結果が思わしくなくても、相手は努力したぶんだけはみとめてくれるはず。もちろん結果がともなえば理想だろう。たのむ側はそれなりにわけあってたのむわけだから。
前向きになると
いったん決めてやるならばそれなりに精一杯でとりくむ。そう言ってみたもののひとりでやるには限界がある。ひとりでも加勢してもらえるとちがう。
最初にたのむヒトは協力体制を組みたくて、チームを組んでやってくれないかなと願っていそう。まずはこのヒトを核にお願いしよう、頼んでみようと依頼するかもしれないから。つまりチームづくりに取り組んでほしいと言っているのにほぼおなじかも。
なにもひとりで成就させなくても複数人でひろくうすくやるほうがたしかにやりやすいうえに、ひとりの負担は軽くなる。くわえて他人と組んでそれぞれの長所を活かせたり、はげまし合ったりもできる。あらたな面も知れる。
頼っていい
なにもひとりで最初からなにもかも背負う必要はなく、抱えこまずとも可能なかぎりチームの発想で対処すればよい。それぞれが得意な役まわりをになえればなおいい。
たとえば統括するリーダー、それを補佐する役、情報をあつめたり、交渉したりがじょうずなヒト、細かなところ(だが重要)に気づける役、視点がちがう見かたができるヒト、チームを盛り上げる役などなど。それぞれわりふらなくても自然と役まわりができる場合があるし、ときには入れ替わる場合も。
ヒトとはおもしろいもので、それぞれがわりとじぶんにとっていごこちのいい立ち位置におのずと役まわりが決まる。上のようないくつかの類型にわかれてくると思う。いいチームができれば理想的。それぞれがストレスにせずに目的にむかえる。
おわりに
こんな「コトへの対処」ができると理想かも。ヒトが減りつつある現在、適材適所でやるのは困難を極めるかもしれないし、それなりにひとりふた役以上をもとめられるかもしれない。せめてたいへんそうなヒトをみつけたらそれを手伝うきもちはほしい。
前向きに「やってみましょう」のことばが自然と出てくる個人や集団を組めるといい。
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