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わかいヒトへのメッセージ

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小学生から中・高校生むけのよみものです。なにかしらヘンなおとながブツブツ言ってるなで読みすててもらえればと思い書いています。
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記事一覧

大学入試共通テストの「化学」を例に受験生にもとめられる解くスピードをあらためて確認してみた

はじめに 年明け1月におこなわれる大学入試共通テスト。新教育課程の初年度。昨年までとはいろいろと科目名が変わり、「情報」があらたに6教科めとして登場する。 いずれの教科・科目でも言えることがひとつ。それはなさけ容赦ない早解きがもとめられるところ。じっくり読んで熟考はほぼできない。初見では問題文を読み終わる段階で時間がきてしまう可能性が高い。長文と豊富な資料から必要な要素を引き出す方法を身につけたい。どういうことか「化学」を例に。 何より解く速度 なにごとも熟練すると手際

真夏のような室温の下がらない寝床のなかでちょっと興味深い夢をみた

(2024.11.4加筆) はじめに よく夢をみる。けさのは比較的覚えている。たいてい乗りものに乗り遅れたり、つまづいてころんだりなどとるにたらないもの。それでもたまに起きたあともそれなりに考えさせられる内容のものが出現する。 きょうはそんな話。 ねむりが浅くて 寝るころでも室内が下がらずじまいのせいか。どうも寝た感じがしない日がつづく。雨つづきで外出せず日中にからだをあまり動かさない、それほど疲れていない日がたまたまつづくからかもしれない。もっとからだをうごかさないと

ノート1冊があっというまに埋まってしまう数学ⅡBの大問解き

はじめに 高校生を教えるのに予習をする。学習サポートのしごとで予習の占める割合はとても大きい。たいてい生徒に教える正味の時間の2倍程度。場合によっては3倍かかるときも。それこみで報酬をいただいているといって過言でない。 個人事業とはいえ、いちどきに教える人数しだいで事業所ならば最低賃金を下回るかも。少人数をうたっている以上それもしかたない。予習にはまると時間をわすれて食事もそこそこで没頭してしまう。もっとわかりやすい手順はないかと探しはじめるとおもしろい。その一連の作業に

周囲には同世代から上のヒトビトのほうが圧倒的に多いとあらためて気づいた

はじめに ふだんは学習サポートと研究パートで若い方と接する機会がほとんど。ところが、しごとからもどり外を出歩くとあたりは一変。買いものでよくつかう店内をふと見わたして気づいた。平日の昼間の店内にはおなじくらいか、さらに上の世代ばかり。あらためて現実を思い知らされた。 きょうはそんな話。 車を運転して 早朝の交差点の信号待ち。ちょうど横を走る電車のなかが明るく見えた。けっこう近くなので乗客のようすが見える。同世代以上の方々がめだつ。早朝のしごとにたずさわる方々がほとんどの

やっぱり大学は「学校」のこころもちから「社会」へ旅立つきりかえのポイントになる場にちがいない

はじめに きのうは研究パートのしごとで大学へ。新学期がはじまり、キャンパス内は若い声がこだまする。朝いちばんにスタッフの先生から用意してほしいとご依頼の試薬を探しまわる。昼過ぎから講座のゼミで中間発表だったなと思い出す。このところ学生たちのようすがずいぶん大人びて見違えるようになった。なかなかたのもしい。 懸案の論文の執筆のほうはほんの数行だけになりそう。たしかイントロダクションの部分だったっけ。そのあとすぐに自宅兼教室で夜まで学習サポートか。そんなふうに研究棟の階段を登

生命科学の領域はここしばらくは混沌の世界へと分け入っている感じがする

はじめに まだ3割もわかっていないとしたら…。あくまでもわたし個人の感覚では、からだにそなわるしくみのうち、いまのところ学者が論文で発表し、「専門家」とよばれるヒトビトのあいだでひとまずコンセンサスが得られている部分はそれにも満たない気がする。いまだ混沌の世界がひろがっているような感じ。 きょうはそんな話。 このところのまなびで 科学は急速に進歩している、はずだった。ところがこのところ開催が予定される万博のなかみの報道を知るにつれて、わたしのなかではどうもそれに?がつい

若いヒトビトとのふれあいをつうじてできることをすすめていく

はじめに 閉塞感を打破すべく若い人々のサポートを目標にさだめてあらたな事業をおこせないか模索中。そこにわたしが長年たずさわってきた教育を活かせるとなおいい。 きょうはそんな話。 すでにまわりに話はじめた そんなうごきを「どうでしょう?」とまわりのヒトビトに話はじめた。学生や知り合いの社長などなど。話を聞いたヒトビトは、いずれもさもありなんとうなづく表情をなさる。わたしからふだん受ける印象とあらたな事業がそんなに違和感なくとらえられているのどうか。 わたしのひとりよがり

いつごろおとなの考え方をしはじめるのかとふだんの生徒たちと接して思うこと

はじめに 選挙権が18歳以上にかわりしばらくたつ。みずからの考えでしっかり選択して投票にのぞんでほしい。そのための基礎知識や常識となる素養を身につけるうえで、まなびをサポートする立場からその責任の一端を感じる。 これからいくつか「大人の扱い」を受ける目のまえの高校生たちと日頃接して思うに、世のうごきに敏感で感受性のかたまりのようだとつねづね感じている。 まだまだ知らないこと・未経験のことだらけのなかで、若い感性できっとそれなりにあたらしい世のなかを築いていくんだと思う。

学士と修士、さらに博士では得られるものとその大きさがやはりちがう

はじめに 数自体が少ないらしく今後いなくなるおそれがあるので、世のなかにお伝えしていいのかもしれない。論文博士のこと。 修士まで大学院の課程で得たが、のちははたらきながら博士の学位を得た。つまり文字どおりの論文博士。もはや絶滅危惧種かもしれない。その意味からここに記せることがあるかも。 きょうはそんな話。 大学院で 理工系の学部では修士をめざそうという方がそこそこいる。大学院の前期課程への進学。わたしがそこに在籍した頃とくらべるとあきらかに増えた。その一方で後期課程に

仕事・家事・勉強:やることの優先順位がやりながらおのずときまっていく

はじめに 日々しごとをしていると家事のあれこれをいつどの順番でこなしていくかためしている。勉強もおなじ。結局のところ目の前にある課題に気づいたときにあとまわしにせずにすませてしまう。いまのところはそれでよさそう。それで支障がでるわけでもだれにも文句を言われるわけではない。一歩さきへと進むことに違いはない。 きょうはそんな話。 つぎのひっこしにそなえて おそらく学習サポートのしごとじまいのあとにはひっこしを予定している。兼業の研究パートに通いやすく、新事業の立ち上げのしや

朝晩で感じるほぼかならず通る教室前の道のにぎやかなようす

はじめに この街中に移り住んで1年と2か月弱。ふだんつかう道が固定しつつある。たいてい昼間のあかるい時間帯にうごきまわる。秋の彼岸をすぎ、このところ急激に日が短くなったと感じる。そこで先日、ここの教室でサポートを終えた時間に帰る生徒と教室まえの道を歩いてみた。その日できなかった買い物をするついでに。 生徒によってはこのターミナル駅から列車で家のある数駅さきにむかう。そこには保護者の方が車でお迎え。安全の把握のために暮れなずむころあいの通り道のようすを知るのもいい。生徒と話

あらたに届いた詳しい模試結果の資料を見つつどのあたりに照準をさだめるか判断していく

はじめに 学習サポートに訪れる生徒たち。先日受けた模試の結果とくわしい資料がたんまりと送られてくる。 個人の結果とともに主宰する教室全体の結果もいっしょに。するとわが教室の地域のなかでの位置づけまであらいざらい知らされる。つまりはわたしの成績。こればかりはどうしようもなく赤裸々で客観的な評価。まさにわたしの生徒たちへ授けた成果と弱点を手にとるように見渡せる。 きょうはそんな話。 こんなものだろうと そうした教室の「通知表」なるものをながめているといくつかの気づきが。例

正月やお盆の休暇もふだんとおなじ扱いにしているとしごとや学校を見る目が変わってきた

はじめに よく考えたら世のなかのやるようにしなくてもよさそうな習わしがありそう。ここから記すことはあくまでも私感にすぎない。ヒトに押しつける気は毛頭ない。 べつにそんなに大層なものでないと、ふだんの休日のあつかいで済ましてきたのが盆、正月、そして祝日。主宰する学習サポートは20年来日曜日は基本的にお休みだが、「祝日はふだんどおり」に行なう。おそらく同業の大手よりも休日ははるかにすくない。個人事業なうえにヒトを雇っていないからできる。こうしてむしろはたらくうえで楽をさせても

どういうことだろう:noteでスキをいただくのが新規の方々ばかりなのは

はじめに 毎朝noteを開いて、数日前に下書きした原稿を手直したうえで投稿、そのあと時間がゆるせば昨日までの反応やタイムラインで流れてくる他の方々の記事を読む。もちろんスキやコメントをいただいた方々を確認、場合によっては返信を。 けさのこと。いつもように右上の「鐘のアイコン」をポチッと押すと見慣れる印ばかりがずらりとならんでいた。 きょうはそんな話。 いつもの作業 noteへの記事掲載が日課。数日前、たまたま連続記事投稿が中断。もはやわたしには恒例行事。あきらめの境地