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学士と修士、さらに博士では得られるものとその大きさがやはりちがう

ありがとうございます

はじめに

 数自体が少ないらしく今後いなくなるおそれがあるので、世のなかにお伝えしていいのかもしれない。論文博士のこと。

修士まで大学院の課程で得たが、のちははたらきながら博士の学位を得た。つまり文字どおりの論文博士。もはや絶滅危惧種かもしれない。その意味からここに記せることがあるかも。

きょうはそんな話。

大学院で

 理工系の学部では修士をめざそうという方がそこそこいる。大学院の前期課程への進学。わたしがそこに在籍した頃とくらべるとあきらかに増えた。その一方で後期課程についてはあいかわらず希望者は多くない。地方大学よりも大きな拠点となる大学の大学院へすすむ学生もなかにはいる。

そんな大学院だが、このクニの平均年齢よりもうえの方々にとってはあまりなじみの存在とはいえない。該当する方々が大学生だった頃には大学院進学者はほんのひとにぎりに過ぎなかった。ずっと上の世代の大卒者の割合よりは若干多いかもしれないが、それに匹敵するぐらい世にまれな存在だったのかも。

当時は「大学院生です。」と相手の方に伝えると、「ご熱心ですね。」とか「じゃあ、あとは大学の先生をめざすのですか?」とよく言われた。

ところが

 当時からすでにオーバードクターの問題をちらほら聞いた。それを小耳にはさんでいたので、修士の1年なかばには先輩方のうごきをつかみつつさまざま就職にかかわる動きに着手。すでに2年の春には内々定を得ていた。大学の教員になるか細い道も耳に入る。だが先輩たちをながめわたしてもそれはとてもまれな例。

夏休み期間も実験に余念がなかったが、あいまにさまざまな学会関連の催しがある。寝起きをともにしつつ専門に関して夜どおしで情報交換したり、著名な学者をお呼びして講演を拝聴したり。

ゆったりした時間のなかで立場のちかい各地から参集した大学院生たちと本音で話す機会があった。後期課程の諸先輩たちはどなたも就職に関してはなかなか口が重い。苦労されているご様子。

ひょんなことから

 就職までの経緯は省略するが、どうにか数年で地方大学に職を得ることができた。いまは考えられないが当時は修士の資格とともに論文を数報、全国レベルの学会発表をいくつかやった経験で、応募の最低条件はクリアできたかたちに。

現在はこれはなかなか難しい。大学に職(しかも期限つきがほとんど)を得るにはほとんどの場合、博士の資格が最低の条件に。理系の多くはひとりの募集に3ケタの応募があるのがふつう。

修士でも最低限の業績らしきものがそろえばよかったわたしの頃とはあきらかに違う。この厳しさは雲泥の差。ところがわたしにはこれから先にまだ得ていない博士の学位の壁があった。

論文博士はほとんどみない

 若い方々には「論文博士」という語句になじみがないかも。ちょうど大学院に3年ほど所属し審査に受かれば学位の得られる課程博士と対をなす言葉と言っていい。大学院には所属せず、関連する自らの業績(たいてい2ケタの投稿報文)を論文(いわゆる博士論文)としてまとめて希望する大学院に提出して審査を受ける。

いくつかの試験や口頭試問、発表会などの諸々の審査のプロセスと、大学院担当教員による議決を経てようやく学位記は授与される。学位を得た博士論文は課程博士と同じく、国立国会図書館に永久保存される。

幼いこどものいる時期にこのやっかいな作業が重なった。どうにもこればかりは致し方ない。はたらく合い間に担当になっていただいた大学院の教授のもとへ飛行機で日帰りで行き来する月日が過ぎる。大学でこれからのちも職にあずかる研究者として食べていくには必須のものといえる。

おわりに

 どうも修士修了が就職には都合がいいと、このところ大学院の後期課程まですすむ院生が増えていかない。世界をみわたすと博士の割合がふえつつあるなかで、こういうクニはめずらしい。国外への留学もしかり。なかなか増えていないらしい。おそらく考え方が変わりつつあるのかもしれない。


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