マガジンのカバー画像

ガーデニング・農作業の備忘録

151
わたし自身が忘れないための庭の果樹やハーブ、草花の育て方、畑の作り方など。あくまでも自分本位なメモ。
運営しているクリエイター

#農業

「三ちゃん農業」すら理想的でうらやましくなる70歳以上で親を介護しながらの農業

(2024.12.9加筆) はじめに いまやこのクニの農業をささえる層は70歳代に到達しそうないきおい。農水省の令和2年度のデータではすでにそうなりつつある。全体の70%以上が65歳以上。 またべつの資料では5,60歳代で離農してしまう(わたしもそうだった)ようすを分析。 この年代は子育てをようやく終えつつありやれやれのはずだが、すぐに平均余命の伸びた親の介護などがまったなしにやってくる。からだへ負担のある農業は老いがすすむと骨の折れるしごとにちがいない。とはいえさらな

栗の実がついているはずなのに収穫に行かないままに何年も放置している

はじめに 店でここよりも北の地域で収穫された栗の実を目にして、そういえば畑の大きなくりの木々を思い出した。昨今の状況以降でこの地域の畑に出歩いていない。つまり収穫に向かっていない。すでになかば放置状態。 きょうはそんな話。 畑に向かわない 引っ越して以降はこの谷間の集落には週2度だけ両親のようすを伺いつつ、すぐそばのもとの家で学習サポートの教室を開く時間以外に向かわない。すでにくり畑には3年行っていない。歩いて数分なのに足が遠のくと意外とこんなもの。以前にはわたしが1か

どのくらいの範囲でわがクニの自給率を見積もればよいのだろう

(2024.10.07加筆) はじめに 食料自給率はさまざまな指標があり見かたもさまざまだが、世界のクニグニとくらべるとわがクニの値はどんな指標でもあきらかに低い。ここで蒸し返しの議論をする気は毛頭ない。むしろ素朴に疑問が湧き正確な情報をつかみたい。 先進諸国ではおしなべて自給率(輸出分を算入?)をあげる方向にあるなかで、わがクニでは食料輸入額の赤字は増え、いずれの指標でもわがクニの値はここ2,30年であきらかに下がっている。おなじみの供給熱量ベース・金額ベースの自給率で

やさいを手作業でつくって販売していた5~10年前の冷房事情をふりかえると

はじめに このところいちばん昼下がりのいちばん暑い時間帯には家のなかに退避している状態。つまりクーラーのなかで息をひそませるようにすごす。退避しているにひとしい。はたして以前はどうだったか。こんなにクーラーを使っていたのか思い起こしてみた。 きょうはそんな話。 10年前は 6年間ほどだったか。やさいをはたけでつくり、状態のいいものを販売所で売っていた。最初は副業のつもりでそのうち軌道に乗り、辞める直前の確定申告ではついに本業の収入をうわまわり、「第二種兼業農家」と相成っ

子を育むうえで高級なくだものを海外に輸出し安いものを輸入して食べるクニにむかう選択肢ははたして…

はじめに なにも批判めいたことを記すつもりはないし、そのためのリサーチをしたうえで書いているわけではない。それにしてもくだものの多くが高くて手が出ない。かろうじて手にできるのは輸入品のバナナを中心としたもの。 国内産のくだものはシーズンの終わりがけにセール品のしかも処分間近なものをようやく買えるぐらい。この傾向はますますすすんで、そのうちこのクニでは高くて売れず、やむなく海外の方々の口にはいるようになりそう。 きょうはそんな話。 日ごろのくだもの 買いものでいちばん憂

やさいの活用方法をあれこれやっていたころ

(2024.4.1加筆) はじめに はたけでやさいづくりをしていたころは収穫期になるといっぺんに穫れてしまいがちだった。おおいそぎであれこれ行きさきを手配していく。 はたけでさばききれないとうすうすかんじたら、まだはしりの時期ならばきれいなものから販売所はもちろんのこと、ご近所や知りあいにもくばる。だいこんなどはとくにそうなりやすかった。 きょうはそんな話。 この時期には いまごろの菜園は葉物のほうれんそうぐらいで、あとはとう立ちしたアブラナ科の芽やブロッコリーの脇芽

けっこう深刻な状況を回避するために手堅くたべものについてやっていかないと

はじめに 技術不足でつくれていないのかと思いつづけていたが、じわりとやさいづくりについて温暖化の影響をうけているようすはありそう。だが温暖化ばかりではないらしい。 それ以上にやっかいな状況なのは農業に従事するヒトがこのクニで急激にへりつづけていること。 やさいづくりと販売をやめたわたしが主張するのはたいへん気がひけるが、現状からなにも手をうたないと、このところの世界情勢をみても食べるものが急速にひっぱくする状況がすぐそこまできているかもしれない。 すでに手に入りにくい

ほんの数年前までこの季節にはたくさんの種類のみかんにかこまれてくらしてきた

はじめに ふと思い、5年まえの日記を目にした。ちょうどいまごろの時期。つぎつぎとみかんばたけでの収穫がつづく。すっぱいもの好きのため、早採りしてあまさがじゅうぶんにのるまえからむしろよそれをよしとして平気でたべていく。 それでも熟れて後半にはなかなか皮をむきつつ食べるのが追いつかず、毎日のように3個、4個とふんだんにジュースにして家族で食す。いま買う身になり、なんとぜいたくなことをしていたことかとようやく気づく始末。 きょうはそんな話。 日記をふりかえる このところ5

やさい・ハーブづくり備忘録:ローズマリーのさし木を植えつけ

はじめに 植物によってはさし木しやすいものがある。なかでもかんたんなのがハーブとしてしられるローズマリー。もともと強健でごく背の低い宿根の植物で暑さ・さむさのなかで濃いみどりを維持している。 スープや煮物、独特の風味をいかしてさまざまつかえる。たべるだけでなく、リースや虫よけ、香り袋、抽出してオイルを活かすその豊かなかおりをたのしめる。 そのさし木によるふやしかたについて。 きょうはそんな話。 (タイトル写真は雨後に目をみはるほど大きく育ったしいたけ) さし木のや

ほうれんそうのたねまき:おいしかった記憶をたよりに7年前のこの時期の作業のようすを記す

はじめに 採れたてのほうれんそうのソテーはほんのりあまかった。「やさいがあまいなんて…。」とわたしの発したことばを学生のひとりはしんじてくれなかった。 だんだんと過去なにげなくやれたことさえ記憶がうすれていく。とくに農業はからだをうごかす行為なのでなおさら。うごかないままではなかなか思い出せない。 いずれ再開の必要なこともあろう。そのためうまくできたときのようすをふりかえり、記しておいたほうがなにかとのちの役にたちそう。同時になにをつくっていたのか同時に記録しておきたい

こんなヒトに出会えたらいいなあと願いしばらくするとこつぜんとあらわれるふしぎ

あらためて考える:自国でやさいや麦をつくれてたまごを手にいれられるということ

はじめに 昨年の記事につづいてこれからさきのたべものについてかんがえたい。 農業を6年ほど経験してみるとある程度ぼんやり見えてくる。できる範囲で自給して食べていけるといちばんいいのかなと思う。つぎのひっこし先についてそうしたスペースをイメージしてみる。 もとに住んでいた中山間地の家は一面でそれを満たしていたが食べていけない。農業だけではひとりぐらしでも生活はむずかしい。しごとにむかうとなると通勤に難渋するところだった。両方を満たそうとするとなかなか…。農業だけでたべてい

農業をやっていたころはつねに天候を気にしていたことをいまになって知る

はじめに しばしば出会うヒトと出会うとまずは天気を話題に。くわえてわたしの場合、起きて寝るまでいつもそらのようすを意識していると気づいた。 この習慣、農業をやりはじめた10年ほどまえから身についたようだ。はたしてそれ以前どうしていたか。ふいにヒトに出会うととたんに「きょうは・・・。」と無意識に口をついてでるほど。 きょうはそんな話。 そらを見あげる 種子のじかまきの時期。ちょうどこのころはよくしたもので数日おきに雨が降る。それを見こしてそれまでに土をたがやし、酸度の調整

クリスマスのころに手に入れた新しょうが いろいろ料理にふんだんにつかえてあたたまる

はじめに  昨年の暮れ。ふと病院にたちよるついでにめったに入らない道の駅に。やさいを買う。はたけでつくっていたころとちがい、購入する立場になってあらためてじぶんのはたけでつくりにくいしょうがのありがたさを知った。 きょうはそんな話。 病院の帰りに  12月中旬、あさおきるとめまいがした。ふらついてつくえのかどであたまを打った。どうきもする。めったにないこと。あきらかにふつうでないので、ここかなと病院をしらべて予約。翌日、あさいちばんで診てもらい、どうやらたいそうなこと