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武器を手に 向き合う彼岸は 同じ人

武器はモノである。

モノは劣化するし保管コストもかかる。たとえ売買で一時的に儲けたとしても、皆がそれを持ってしまえば買い手はいなくなり市場は崩壊する。
では、常に危機を煽って新しい武器を生産し買わせ続ければいいではないかという人もいるだろう。では古い武器はどうするのか。膨大に膨らんでいく管理コストはどうするのか?
たとえ軍縮だと言って核ミサイル一発の解体にどれだけコストがかかることだろう。そのほか生み出され続ける核燃料廃棄物の再利用先としての劣化ウラン弾。劣化ウラン弾がダメならその廃棄物はどうするつもりだろう。埋める?宇宙に捨てる?それが正解?

ねぇ、それが本当に一個の大人としての選択なんですか?

ロシアとウクライナの戦争では各国の古い兵器がウクライナ支援にまわされ戦場で消費されたと聞く。また、新しい武器の実証見本市にもなっていると。
これが答え?

そう、悍ましいことに実はある種の残酷な答えだ。

「武器は持ったら使わなければならない」

これが武器を持つ者の宿命だ。
日本人の多くは中国にミサイルを向けることに賛成するか完全に無関心でシカトを決め込んでいる。
武器は持っているだけで安心?売買で儲けられるから管理コストは相殺できる?

でもね、使うんですよ。
さっきも言ったけど、使わなければならないの。武器は。
なぜならモノだから。消費しないと市場が成り立たないから。おまけに超高級。もちろん国家が支払う購入費は税金だ。

武器を使うということはね、戦争して人を殺すことなんですよ。
こないだのどっかの地方議員の息子みたいに、人を殺したいという人もいるかもしれない。
でも、本当に人を殺したいなんて思う人、そんなにいないでしょ?

軍需産業に参画するっていうのはそういうこと。

いま日本は平たく言えば米国に軍需産業と原発を押し付けられてる。
その押し付けには「武器の購入費を支払い、メンテナンス費としても支払い続けろ」「それを新たな武器開発の原資にするから古い武器を保管する倉庫になれ」「米国が中国と直接戦争することはありえないから、有事の際はその武器を使って日本列島が焦土と化しても戦い抜け。というかむしろウクライナと同じように古い武器のゴミ捨て場、新しい武器の実証見本市になれ」という命令や「原発はコストに見合わないから日本で引き受けろ」「とはいえ核の研究を止めることはできないから原発関連の機械を米国から言い値で購入しろ」「その際出る核廃棄物は日本で引き受けろ」等の命令が含まれている。

たしかに、敗戦国だから仕方がないのかもしれない。米国に逆らえば田中角栄と同じように犯罪者にされてしまう。しかも検察は自らの組織を輝かせるためにそれを嬉々としてやるのだから勝ち目はない。米国にやらされたことでも自らの組織としての社会的必然性を高めることになればそれでいいのだ。

軍需産業への参画だって、社会福祉には財源を問いNoしか言わない国会議員たちも、軍事予算に関してなら誰も文句を言わない。
こないだ文句を言って、言っても聴く耳を持ってもらえない少数政党の議員がプラカードを掲げて訴えたら、野党まで圧倒的支持をして与野党よってたかって懲罰を喰らわせてしまった。
これは小さき声の言論弾圧に他ならない。ちっとも大袈裟じゃない。本当に言論弾圧なんだということを分かってほしい。

つまり、軍需産業なら税金がジャブジャブと湯水のように湧いてくる。これはカネの泉だ。
企業が群がらないわけがない。

もう日本中、道路も橋もあらかた作ってしまって、あとはたいして旨味のないメンテナンス費ばかりが国の財布をつつくばかりだ。
公共事業でガバッとカネが動くことしかやりたくないから、なにか新しい仕組みが必要だ。おまけに米国は武器と原発を押し付けたがっている。中国敵視も国民に浸透しているし、しめしめ、これは対中軍事危機と米国の要求を隠れ蓑に国民の圧倒的な後押しを得て一気に軍需産業に邁進できるぞ。

私はいまの政治に関わる議員や官僚がそんなことを考えた気がしてならない。

しかし、だ。本当にこうしたことを「仕方がない」と言ってしまっていいのだろうか?
耳を塞いでいれば事実は無くなってくれるのだろうか?
自衛隊が国軍化することはないのだろうか?国軍化した場合、徴兵制の導入なくして人員の確保ができるのだろうか?

武器は使わなければならないし、軍は規模に応じて人員を常に一定数確保しておかなければならない。国民を徴用した時に即戦力になるように、いつでも死ねる覚悟と殺す覚悟を持たせておかなければならない。

こんなことばかり書いていると、悲観論者か陰謀論者と言われそうだ。

でもねぇ、まずは戦争にならないような努力をしませんか?
我々一人一人が憎むのではなくて、まずは旅行でもいいから敵国だと思っている人々や文化と触れ合うことから始めませんか?
文化に携わる人たちは、米国での成功ばかりを夢見てないで、その自己実現を国と国の融和に求めませんか?

我々も国家の国際関係を国や行政に押し付けないで、自分たちでできることを始めませんか?
少なくとも、根拠のない情報で勝手に憎んだり恐怖に怯えるのはやめませんか?


私は世界中の人と笑顔で手を繋ぐことができる人間になりたい。

たとえそれが非現実的な馬鹿げた夢だと言われても。

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