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生きる意味とは何か 〜生きづらさを和らげるモームの言葉〜
最近、『サミング・アップ』という本を読みました。この本には、現代を生きる私たちが抱える生きづらさを和らげるヒントが詰まっています。モームは作家として成功した人物ですが、その人生観や人間観には学ぶところも多いです。この記事では、特に心に響いた言葉をいくつかご紹介します。
『サミング・アップ』について
『サミング・アップ』は、小説家や劇作家として活躍したサマセット・モームが、自身の作家人生を振り返り、創作や文学論、人生観を率直に綴ったエッセイ集です。
人間には一貫性がない
モームが人間観察を経て気づいたのは、人間は一貫性がなく、矛盾した面を持ち合わせているということです。
例として、自己犠牲を厭わぬ悪漢、穏和な気だてのコソ泥など、世間で悪いイメージを持たれがちな人々が実は善意や立派な一面を持つことを挙げています。
ここで私が感じたのは、自分や他人の一貫性の無さに落胆する必要はないということです。
日常生活では、家族や友人の行動に一貫性のなさを感じてがっかりしたり、ブレブレな自分自身に呆れてしまうこともあります。
しかし、私たちには二面性があって当然で、過剰に悲観する必要はないのだと思いました。
誰かが嘘をついているのを見つけようものなら、人はさも軽蔑したような態度を取る。しかし一度も嘘をついたことがないなどと言いうる人がどこにいようか。
(中略)
私は善人の善は当然視し、彼らの短所なり悪徳なりを発見すると面白がるのだ。逆に、悪人の善を発見した時は感動し、その邪悪に対しては寛大な気分で肩をすくめるだけにしやろうと思う。私は仲間の人間の番人ではない。仲間の人間を裁くような気持ちにはなれない。彼らを観察するだけで満足だ。私の観察では、概して、善人と悪人の間には世の道徳家が我々に信じ込ませたがっているほどの差異は存在しないという結論になる。
人生は運要素が大きい
私たちは、成功や失敗を自らの実力の結果だと捉えがちです。しかし、あらゆる要素が複雑に絡み合っており、その中で「運」が果たす役割も大きいと言えます。
例えば、才能、生まれた家庭、育った地域や環境など、私たちが選べない要素が成功に大きく影響しています。モームは、自身の成功について次のように述べています。
私よりも運に恵まれるに値する人が、私にもたらされた幸運を得なかったのを私はよく知っている。(中略)才能の面で私と同じ、あるいは私より上の人が、同じ機会があったのにたくさん挫折している。もしそういう人が本書のこの部分を読まれたら、私が幸運だったのを傲慢にも自分の長所のお陰だなどとは決して言っていないことを信じて頂きたい。単に私自身も説明できない予想外の状況が連続的に生まれたからに過ぎない。
世の中のかなりの部分は運次第です。今いる場所が望んだものでなくても、自分を強く否定する必要はありません。同じ日本に生まれたとしても、東京周辺かそれ以外の地域かによって大きな差があります。(どちらが良いかという議論は別として)
虚栄心も過度な自責も、役立つどころか邪魔になることがしばしばあります。
「運が良かっただけだ」と謙虚に、大きな失敗をしても「今回は運が悪かった」と楽観的にいきたいものです。
「私は老齢を怖じけることなく待っている」
人は誰しも老いることを恐れているのではないでしょうか。若さには価値があり、それが失われるのは不安なものです。
しかし、モームは歳を取ることについてとても前向きに捉えています。
老年には時間がある。大カトーが80歳になってギリシャ語を学び始めたとブルタルコスが述べているのを若い頃に読んで驚いた。今は驚かない。老人は、若者が時間がかかり過ぎるからというので避ける仕事を進んで引き受ける。
若者を掻き立てる恋の苦しみや嫉妬の感情から解放されるだけでなく、それ以上に時間的な余裕を楽しめるという考え方です。
私自身、歳を重ねることへの漠然とした不安を感じていましたが、モームの言葉に触れ、その気持ちが軽くなりました。
できなくなることは増えますが、それと引き換えにできることもまた増えていくのだと考えれば、人生は最後まで豊かに生きられるのかもしれません。
「善はそれ自体が目標だと主張できそうに思える唯一の価値である」
モームは最後に、善の重要性について語っています。成功者の言葉としては平凡に思えますが、そこには深い洞察と慈愛の精神が垣間見えます。
モームは、「人生には意味がない」という前提を持っています。宇宙という大きな視点から見れば、我々に与えられた使命などないということです。
人生には理由などなく、人生には意味などない。我々は、(中略)小さな惑星である地球に、ごく短期間の間だけ生きている存在である。
神への信仰が薄れていく中、ヨーロッパでは「真」「美」「善」が人生に意味を与えるとされていました。「真」はこの世界の真実、「美」は美的感覚に基づく価値、「善」は行動の価値を象徴しています。
その中でも、モームは「善」に最も価値があると考えます。人々は真実よりも快適さや利益を求め、美はその価値が移ろいやすいためです。
彼は、本当の善に触れた時、自らの皮肉や批判の精神を和らげ、自然と尊敬の念が湧き上がるのを感じました。
彼は善行について、「意味や理由がなく、悪すら存在するこの世界へのユーモアのある皮肉」だと捉えています。
善は運命の悲劇的な愚劣さに対するユーモアの仕返しである。善は美とは違い、完璧であっても退屈なものとはならない。また、美に勝っているのは、時間が経っても喜びが色褪せぬことだ。
では、善い行いとは何か。それについてモームは明確に答えを示しません。ただ、プラトンが「幸福よりも義務を優先すべき」と教えていた点に示唆を得ています。
そして、本書は17世紀スペインの修道僧ルイス・デ・レオンの言葉で締められています。
人生の美はこれに尽きる、即ち、各人は自らの性質と仕事に応じて行動すべし、と。
華やかな世界に憧れたり、世の中の不平等・不条理に不満を持つことはあります。しかし、自らの持って生まれたものや置かれた状況に応じて自分にできることをする、それが善(あるいは善への道)だということです。
情報が飛び交い刺激が多い現代社会では、「自分が何になりたいか」が分からなくなってしまいます。しかし、まずは目の前にある「自分にできること」を淡々とこなすことが、人生の一つの指針になると感じました。
皆さんはどう生きますか?
人生の正解は最後の最後まで分からないと思います。それならば、今自分にできる善を遂行することが最も価値があることではないでしょうか。
『サミング・アップ』は読後感が素晴らしい本ですので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
この記事が少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。