自由の先にある退屈という不幸
■リタイアの先にある不幸
自由にあこがれる人は多いが、
目的のない自由は退屈を生み出し不幸になる
私たちは、この退屈を恐れて、
遊びや、旅行の予定をいれる
言ってみれば、これは退屈しのぎ
やることのない人にとって
多すぎる余暇は、仕事があるより耐え難い
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自由の先にある退屈という不幸
義務という苦痛のない人生は、自由に満ちているように感じます。
リタイアした人への憧れは、やらなければいけない仕事がなくなり、楽しいことだけに集中できると考えるからでしょう。
しかし、たくさんの余暇があるからといってすべての時間が幸せとは限りません。
持て余した時間は、退屈という不幸をもたらします。
私たちは、この退屈を恐れて、友人との遊びの予定をいれたり旅行の計画をします。
確かに、空いている時間をどうにか埋めた予定だとしても、結果的に幸せな時間を過ごせたということはあります。
しかしそれは、予定が幸せにしているのであり、その日が終われば、また退屈な日常が始まります。
その意味で退屈を避けるために何とか入れた予定は、仕事が忙しくて余暇を欲しがることと同じく、苦痛を避ける行為ともいえるでしょう。
では、本当に幸せな時間の過ごし方とは、どの様なものでしょうか?
それは、「自分」を楽しめる人のことです。
余暇がたくさんあっても、退屈になるのは、
楽しいことがないからではありません。
自分で自分を楽しませる能力がないために起きることです。
例えば、自分の理想を形にする作品作りが、これにあたります。
お金のためでもなく、誰に賞賛されるためでもなく、自分の目指すべき到達点に対して集中する。
その際、友人からの遊びの誘いは、かえって邪魔と感じる。
こうした時間を作れることが、自分が自分を楽しませる能力のある人でしょう。
ここからわかるのは、自由という条件さえ整えば、幸せになれるという誤解です。
日々のやらなければいけない義務があることは、辛いものです。
しかし、ひょっとすると、多くの人にとっては、何もない退屈な日々より、仕事がある日々の方が幸せなかもしれません。
なぜなら、仕事による苦痛は、耐えれば報酬があり、自己成長や達成感を感じられますが、退屈な日々はどれたけ耐えたところで、その先に充実がないからです。
何のしがらみもない自由に対するあこがれは、このように少し、勘違いされています。
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