【批評の座標 第21回】悲しき革命家としての鹿島茂(つやちゃん)
悲しき革命家としての鹿島茂
つやちゃん
夢と現実が入り乱れる中うつらうつらとまどろむ、その深層の中、あるいは集団の夢の中で、ある一つの流れ――自動律のような――が生まれる。それは、私にも乗り移る。今どこにいるのだろうか。夢に巻き込まれ、どこまでも連れていかれてしまう私――眠っているのに運動しているかのような――。
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鹿島茂(1949-)と聞いてまずイメージされるのは、彼が「具体」の人であるということだ。それはもちろん、世界でも有数の一九世紀フランス古書コレクターである事実から想起される。[2] 東京・神保町で、バルザックやユゴーらが当時のパリ風俗を描いた『Le Diable a Paris(パリの悪魔)』なる古書――木版画の押絵が描かれ、深緑色の革で装丁されていた――に出会った瞬間、その魅力に憑りつかれ収集家人生が始まってしまったというエピソードを鹿島は様々なところで語っている。
その衝撃的な遭逢以来、大量の書籍に淫し、紙に埋没し、ついには渋谷に〈NOEMA images STUDIO〉という書斎スタジオを、神保町に〈PASSAGE by ALL REVIEWS〉なる書店を立ち上げるまでに至った。デビュー作『馬車が買いたい!』は、まさにその鹿島の性質が凝縮された偏執的とも言える作品である。馬車という事例を題材に日常生活の細やかな場面ひとつひとつをありありと想像し得る次元にまで徹底的に具体として羅列し、註釈を連ねていく拡大鏡のような視力によって、一九世紀フランス文学を愉しむ下支えを作ったと言える。けれどもそれを、今で言うところのオタク気質なる烙印とともに処理したうえで、いわゆる博学インテリなどと形容して片づけてしまうのはいささか勿体ない。なぜなら鹿島は細部にこだわり存在そのものを凝視しながらも、極めて正統的な構造主義者として全体を見つめ、俯瞰的視野で数多の差異を採集してきたからである。つまりそれは、コレクターとしてその主従を逆立ちさせ、いわば差異を発見するために収集しているかのような素振りを見せる、ということなのだろうか。否、実はそういうわけでもないところが鹿島のつかめなさである。たとえば、『セーラー服とエッフェル塔』を見てみよう。
SMに、縄や紐などの道具で複雑に縛った「亀甲縛り」というジャンルがあることを知った鹿島は、欧米のSMを形作る主要な要素が「革」と「鞭」で成り立っている事実を対比させ、それらを日本の農耕文化と欧米の家畜文化という違いで説明する。いわゆる比較文化としての解説であればそれで十分かもしれない。けれども鹿島は、エロティシズムに深く関連する行為についてそういった味気ない説明に安住することへの不十分さを自覚したうえで、「SMというおよそ脳髄的なセックスを説明するのに、その上部構造(精神)を無視して下部構造(物質)のみこだわっている」と戒める。「SMとは、なによりもまず精神の動きであるという事実を確認しておかなければならない」というわけだが、だからこそもう一段階思考を深め、欧米の革や鞭によるSMを、馬と御者の支配 - 服従関係を反映したものとして捉える。
一方で、日本の亀甲縛りについては参照元が着物にあるという仮説を立ててみるものの、「亀甲縛りの縄は、着物の帯や伊達巻きとは辻褄があわない」と述べ、納得しない素振りを見せる。その後さまざま思考を彷徨った結果、最終的にたどりついたのは「米俵」であった。「女性のような円筒形の物体を力学的かつ合理的に縛る」方法は米俵にしかないこと。「縄でキリキリと締め上げられて、少し凹み、そのことで逆に丸みを帯びた」部分がエロティックであること。「縛ることで、本来はアモルフ(不定型)な米(女体)にきっちりとしたかたちを与え、モノとして客体化するという関係」であること――。[3]
[1] 鹿島茂、『「失われた時をもとめて」の完読をもとめて 「スワン家の方へ」精読』、PHP研究所、一七頁
[2] 鹿島茂、『新・増補新版 子供より古書が大事と思いたい』、青土社、一〇頁
[3] 鹿島茂、『セーラー服とエッフェル塔』、文春文庫、六~一〇頁
本連載は現在書籍化を企画しており、今年11月に刊行予定です。
ぜひ続きは書籍でお楽しみください。
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著者プロフィール
つやちゃん 文筆家。音楽誌や文芸誌、ファッション誌などに寄稿。女性ラッパーの功績に光をあてた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)が音楽本大賞2023最終候補に選出。その他、代表的な論考・エッセイに「シャネル、コラージュ、サンプリング 通俗と中毒のブランド」(『ユリイカ』2021年7月号)、「どうせ死ぬので。J-hyperpop/背徳グルメ/揺らぐ肉体[DEMO](DEAD*AT*18)」(『ユリイカ』2022年4月号)、「母音殺し、ピンポン玉のゆくえ――HipHopとTikTokの現場から」(『ユリイカ』2022年8月号)、「来たるべきフィメール/ラップ以後の可能性について」(『ユリイカ』2023年5月号)、「解体される柴田聡子――「雑感」論」(『ユリイカ』2024年3月号)、「BUCK-TICKにおけるSF的想像力――人間と機械、生と死の狭間で」(『SFマガジン』2024年4月号)など。
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