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【批評の座標 第17回】失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す(古木獠)

中沢新一や上野千鶴子の師に当たり、その後ニューアカとしてデビューしてゆく論客たちの影響源であった山口昌男。文化人類学者の山口は何を「批評」のシーンにもたらし、どのような知の「場所」を模索しようとしていたのか。『近代体操』創刊号にて、山口昌男と親密な交際を有した大江健三郎の作品を参照しながら、「悪場所」の政治思想を論じた近代体操同人であり、憲法学を専門とする古木獠が論じます。

批評の座標
――批評の地勢図を引き直す

失われた世界への旅先案内人

——山口昌男と出会い直す

古木獠

1 知の集団旅行

旅、何処へ?自分が属する日常生活的現実のルールが通用しない世界へ、自ら一つ一つ道標を打ちてて地図を作成しつつ進まなければ迷いのうちに果ててしまう知の未踏の地ノーマンズ・ランドへ、書の世界へ?自らを隠すことに知の技術の大半を投じている秘教の世界へ、己れが継承した知的技術を破産させるような知識で満ちているような知の領域へ、である。

山口昌男「もう一つのルネサンス」『本の神話学(増補新版)』(中公文庫、2023)238頁

 このまえ、熊野は新宮へ行った。批評のための運動体『近代体操』の同人である松田樹森脇透青、そして哲学、文学、芸術、政治にかかわる人らとの、中上健次の足跡を辿る旅だった。中上が描いてきた故郷の土地をめぐり、いまや「消えた」被差別部落の「路地」という場所トポスについて考え、また市民グループ「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」が運営する「熊野・新宮『大逆事件』資料室」で話を伺い、中上も関心を寄せそれを中心に据えて小説を書いてみたいと言っていた「大逆事件」について考えたのであった。「〈裏〉熊野大学」と呼ばれることになったこの旅については、『近代体操』創刊号でテーマにした空間・場所の問題と中上健次の文学との結びつきなどを述べつつ、松田がまとめている。熊野の地や文壇の状況などにも言及されており、本稿の問題意識と共通するところも多く、ぜひ参照してほしい。

 むかし知識人はよく旅へ出た。それも狭いサークルに閉じず、こうした哲学、文学、演劇、音楽、映画、建築などさまざまな分野の者たちが集まって旅をしていたのである。
 80年代には、学際的で自由なスタイルで、既存のアカデミズムの枠を越えマス・メディアでも展開された思想的なムーブメントとして、ニュー・アカデミズムのブームがあった。それより前に、その「ニューアカ」期を準備したとされる「プレ・ニューアカ期」の世代がいた[1]。ニューアカ・ブームは、浅田彰の『構造と力』(勁草書房、1983)や中沢新一『チベットのモーツァルト』(せりか書房、1984)がベストセラーになったところから始まり、その後多くのスター知識人が出てきた。先行世代の人々もニューアカ・ブームで注目を浴びるのであるが、その一人が山口昌男(1931-2013)である。
 その当時に活躍した人たちは、今も思想界・論壇でよく知られた名であり続けているとは思う。多くの人に大きな影響を与えた、これらの人のこれこれという著作があると。しかし、そんなことよりも重要であるのは、知のムーブメントが高まりつつあった先行世代のプレ・ニューアカ期にはシーンがあったということだ。真に問題意識を共有する「集団」があった。そして、その中心に山口はいた。考えてみたいのは、今は失われた知のシーンについてである。そして、それをいかに取り戻すことができるかだ。
 岩波書店の雑誌『世界』での鼎談をきっかけに、月一でのさまざまな分野の知識人の会合「例の会」が1976年に始まり、それと前後してスタートしていた「都市の会」から、叢書「文化の現在」という論集が編まれ、その延長上でプレ・ニューアカ期の代表的な雑誌『へるめす』が創刊されることになる[2]。よく知られていることであるが、「例の会」のメンバーの有志は、1979年にともにバリ島へ行っている。バリ島へ旅行した山口をはじめ、作家の井上ひさし、大江健三郎、文学者の清水徹、高橋康也、渡辺守章、哲学者の中村雄二郎、建築家の原広司、映画監督の吉田喜重らは、作曲家の武満徹を加えて、『世界』誌上でジャカルタを経てバリへというインドネシア旅行を振り返りつつ、その地の文化と芸能についての座談会を行なっている[3]。
 ジャワやバリ島の地理的環境と寺院や遺跡などの関係についてや、影絵芝居、民族芝居、ガムラン音楽、踊りなどについて語り合われるのだが、それらのなべて観光化されていても観光化し切ることのできない深い文化的な次元から、あるいはその土地の生活全体から考察がなされている。このような議論は、地理や建築だけであったり、また演劇だけ、音楽だけ、踊りだけを見ていては汲み尽くせないものだ。こうしたことが可能であったのは、彼らがそれぞれの分野での第一人者であるだけではなく、普段からの日常感覚と地続きでバリにひとっ飛びし消費的に観光するのではなく、古都ジョグジャカルタを経て長い時間をかけてその土地、その文化を、それぞれの知識を交わしながら総体的に理解しようと試みていたからであろう。
 論壇雑誌では毎回「現代的」なテーマで特集が組まれており、果てはSNSでも日々そうしたトピックが湧き上がっては消えているわけであるが、それぞれのトピックがたしかに重要で取り組むべきものであっても、それらは私たちの暮らす世界の中で適切な場所を与えられていない。それらと私たちの生活全体とのつながりが見えづらくなっている。同じ雑誌を読んでいて、前の号と現在の号、次の号とのつながりがまったくないように思えるのは、そうした問題の誌面への反映だろう。
 次々に出されるトピックに対してその都度「正解」を見つけていく知的潮流は、あたかもチャート式で政治家ないし政党を選ぶトレンドに似たところがある。改憲、安全保障、平和、入管法改正、環境問題、婚姻制度、ジェンダー問題、天皇制、政治資金問題、増税、労働問題——これには賛成か?反対か?と答えていくと、○○党があなたの意見に最も近いです、と教えてもらえる。そこには個々の問題の間の有機的なつながりが存在しない。こうした個々の問題のそれぞれを、私たちの暮らす世界の中で総合的に捉えるのでなければ、提起された問題は次々に流れていくばかりである。このような趨勢に抗して、ばらばらにある事象を私たちにとって有意味に紡ぎ直すための舞台シーンが必要なのだ。
 バリ島の文化を総体的に理解しようとした山口らの専門分化されない豊かな集まりは、そのようなシーンとして見ることができるだろう。この「失われた知のシーン」を取り戻すことが必要ではないだろうか。
 山口は、その歴史人類学三部作の掉尾を飾る『内田魯庵山脈』において、内田魯庵というもはや世間から忘れ去られた明治大正の文学者を拾い上げて、彼とその周辺の人々のネットワーク、知の水脈を掘り起こすことで意図したのは、「教科書的な意味での日本の近代とやや外れたところに存在した知の原郷というものを訪ねあてること」であった。山口は魯庵が生きた世界に「我々の時代には全く見失われてしまっているもう一つの世界」を見たのである[4]。
 いま私たちは、山口昌男とその周辺を読み直すことでもきっと、失われてしまったもう一つの世界を見ることができるだろう。このように失われた世界を発見すること自体が、それを取り戻す方法であると思われるのだが、後で述べるようにそうした営為をも私は批評と呼びたい。失われた世界、知のシーンをいかに取り戻すことができるか、それを考えるに当たり、彼らの旅の続きを行くつもりで、まずは山口昌男の周辺から出発することにしよう。


[1] 大澤聡「批評とメディア」東浩紀ほか『現代日本の批評 1975―2001』(講談社、2017)24-25頁。
[2] 「例の会」のメンバーは、山口のほか、磯崎新、一柳慧、大岡信、鈴木忠志、武満徹、東野芳明、塙嘉彦、大塚信一で始まり、その後、中村雄二郎、清水徹、原広司が加わる。「都市の会」のメンバーは、中村雄二郎、多木浩二、前田愛、市川浩、河合隼雄。叢書「文化の現在」(大江健三郎、中村雄二郎、山口昌男 編集代表、岩波書店、全13巻、1980.11〜1982.7)。『へるめす』(大塚信一編集長、磯崎新、大江健三郎、大岡信、武満徹、中村雄二郎、山口昌男 編集同人、岩波書店、1984.12〜1997.7)。
[3] 「神々の島バリ——インドネシアの文化と芸能をたずねて——」世界408号(1979)268-301頁。
[4] 山口昌男『内田魯庵山脈(上)——〈失われた日本人〉発掘』(岩波現代文庫、2010)6頁。

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執筆者プロフィール

古木獠(ふるき・りょう) 1996年生まれ。大学院生、法学研究科博士後期課程在籍。憲法学を専攻し、国民投票・発案について研究している。批評のための運動体『近代体操』同人。X(Twitter):@decaultr


*バナーデザイン 太田陽博(GACCOH)

 

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