心の弾力と閾値の話


何事も毎日がパッとしない。

3月〜4月頃は緊張感もあり、仕事の再構築もあってそれどころじゃなかったけど、最近は落ち着いてる日々の中で「楽しいことがないな」と思うようになってきた。

「楽しい」と思えることを大切にしてきたので、
なんだか生きてる実感がない。

かといってパーッと遊びに行くのも、後ろめたいしなんか違う。

自分が抱えてるモヤモヤについて備忘録。
自分の、自己分析の話です。


▼閾値問題

わたしの趣味はライブに行くことと、外食と、銭湯で、
他にもマンガやゲームという家趣味もあるんだけど、
とにかく外に出ることが好きだ。

非日常を味わいたい。

ステイホーム期間も、なんとか外食ぽさを演出してテンションの上がる食事で乗り切ってきた。

https://note.com/jikulabo/n/nf7970de89e78


この非日常にはドーパミン出てるな〜という依存性があって、高揚感を味わいたくて遊びに出るんだけど、
恐ろしいことにここ数年はその日々に慣れてしまって、

もっと楽しめることはないのか…!!

という気持ちになっていた。

これが閾値問題。

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閾値が上がりまくってしまって、ちょっとやそっとじゃ「あぁーーーたのしい」って思えなくなってしまう。

大問題。



▼仕事や生活と遊び

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そもそも、日常と非日常、ケとハレという言葉がある通り、日常というのは非日常と対比する、変わらない毎日のことを指す。

それは楽しいとか楽しくない、とかではない、日々繰り返されるもの。

家でダラダラするのもゆっくり眠るのも好きだし、
毎日遊んでるとカラダも疲れるし、
モヤモヤしてるときに仕事にいくと気持ちがシャキッとするから、非日常だけで人間は生きられないなと感じる。

しかし、わたしは仕事や生活にも楽しみを求める傾向にある。
それはイベント好きな家族のもとで育ち、
学校行事も張り切って参加し、
仕事もおもしろい!とガムシャラにしてきたからだと思う。
もともとの価値観を自分で強化しながら生きてきた。

忙しいのが楽しい、という話はよく聞くけれど、
燃え尽き症候群にもなりやすいし、
アップダウンの激しい生き方は我ながら大変だなと思う。

日常と非日常の割合が、
言葉通りでいくと9:1のところ、
わたしは3:7ぐらいで過ごしている気がする。


「日常」を「仕事や生活」じゃなく「楽しみを感じない時間」と定義してるのかもしれないな。
今思ったけど。

というのも、最近、なんだかつまらないなと感じて、
自分を変えたいと思い切り、
求人を探して面接を受けに行った。
ずっとやりたいと思っていた分野の仕事で、
とても考え方も合う会社だったので、
勤務条件が合わなかったが面接にこぎつけた。

残念ながら条件が合わなくてやっぱりダメだったけど、
面接も、仕事も、わたしにとっては新鮮さや刺激として捉えてるところがある。

なんだか毎日がつまらない!
映画を見よう!ってならないんだよね…


▼する感動、見る感動

暇ならドラマでも映画でも本でもいいのにな、と思うんだけど、なかなか難しい。

わたしは壊滅的に動画を見るのが苦手。
集中力がなくて、せっかちで、すぐ気が散ってしまう。
映画館のように場が盛り上げられてあれば、集中してめちゃくちゃ楽しめるんだけど、
家で定期的にドラマを見るのも、YouTubeを見るのも苦手。
(最近tiktokは見れると判明した。短いから)

反面、マンガは好きで、無料マンガアプリも、AmazonKindleで買うのも、相変わらず紙のコミックスも読んでる。

これも育ち方の中で、
小さい頃からあんまりTVを見なかったのが原因かもしれない。
今はあまり読まないけど小さい頃は小説も好きで、想像の余地があるものが1番好きだった。

物語に自分から関わっていく感覚。
だから、安野光雅さんの「旅の絵本」は文字のない絵本で、旅人が景色の中を進んでいくのを、勝手に話を作って弟に読み聞かせしていた。
絵本の中にある数々の仕掛を見つけてクイズのようにするのも好きだった。

この、何にでも「自分が主体となってする感動」のほうに価値を置く傾向にある。
自分勝手極まりないけど、自分の解釈がかかわる、読み取る、体験して思いを馳せるものが好き。

もちろん、数々のアニメやドラマに解釈を加えて見ている素晴らしい人たちがいるのは重々承知で、
単純にわたしは動画コンテンツをインプットする能力が鍛えられてないんだろうと思う。
なんというか、筋トレ不足みたいなのを感じる。
自分のペースでやりたい、みたいな。

ゲームもそうで、自分のペースで進められるゲームはできるけど、画面遷移が速かったり、アクション多めのやつは壊滅的にできないし焦る。
マリオでスターを取ったら焦るので落ちて死ぬタイプです。

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▼心の弾力

そんなわけで、めちゃくちゃ「楽しい」を求めて生きてるのに、自分が主体となって動かないと楽しめなくて、その閾値が跳ね上がってるからちょっとやそっとじゃ楽しめない問題を抱えてる、というややこしさ。

自分の楽しいツボは知ってるんだけど、
密だったり、お出かけだったりするんだよね。。。


そんな中、ちょっとした解決策を思いついた。
心の弾力を意識したい

わたしには趣味があって、
人の人生の話を聞くのが楽しい、ということ。

人って全然違うし、小さな頃と今がそう繋がってるのか!と思うと、どんな人の人生も楽しい。

だから不動産営業の仕事で、過ごしてきた環境を聞くことで、理想の家探しをお手伝いしてきたし、
就職支援の仕事で、今までの人生の話を聞くことで、理想の仕事探しのお手伝いをしている。
(これからは、結婚のお手伝いや、終活のお手伝いもしたい)

そこにあるのは、心の弾力だな、と思った。

どんなことも、おもしろい、楽しい、と思うチカラ。
つながる感覚。

きっと、コロナ禍で、人と会う機会が減って(会ってる人たちもそれぞれ機会が減ってて)、心の弾力が硬化してる。

なんとなく、流れてしまうような、浮かないし弾まない心持ち。感情の振り幅が少ない日々。


自分に語るべきものが欲しい、と思って新しいことをしようとしたのは、
わたしはつまらない人間だ、という思い込みがあって、
それを払拭したくてジタバタしてしまうんだけど、
本来そんな必要はない。
わたしはわたしでいいし、人の話をおもしろがれて、自分の日々のことをおもしろがれたらそれでいい。
むしろ、新しいことをしても、心の弾力がなければ、疲れるだけだなと思った。

先日友人が電話で、
「自問自答にも技術がいるよね」と言ってたけど、ほんとそう。彼女の言葉はいつも心に残る。


心の弾力を取り戻すストレッチのためにも、インプット、自問自答、アウトプットをちょっと繰り返したい。


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軸ラボ 山下智子
「自分を知って、楽しく生きよう」をモットーに、自己分析や、就活、婚活、終活に役立つ記事を書いていきたいと思います。

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