『殉死』は乃木への叱責か救済か
「無能とは何か?、愚者とは何か?」について語られる題材として乃木希典が取り上げられることがある。
そして、それを促しているものは司馬遼太郎の関連作品群であろう。
約二十年前、尊敬する職場の大先輩が何かの折に、乃木について私に語った。
「己の美学を何よりも優先させる一人の愚者が、どれほどまでに多くの人を犠牲にしてしまうのか」について考えさせられた、と。
旅順攻略のほんの概要のみを知る無学な私にとって、乃木はそういう人物であり続けたのだが、NHKスペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』を見て、いよいよ彼を知るために『殉死』(司馬遼太郎、文春文庫)を読んでみる気になったのだ。
司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念したノモンハン事件。
それは、この事件を通して描かれるべき日本人について全く魅力を感じなかった、否、嫌悪した、ということであろう。
しかし、逆に言えば、さらに遡ること35年の旅順攻略や日本海海戦、そして乃木希典は書くに値する素材であったということになる。
本作『殉死』は「Ⅰ 要塞」、「Ⅱ 腹を切ること」の二部構成をとっている。
前者は私が僅かに知る乃木の人物像(上述の人物像)を裏書きし、彼の参謀(伊地知幸介)とあわせて、憤怒、寂寥、無念といった複雑な気分にさせられる。
しかし、後者で、司馬は彼を「赦免」こそしないが完全に「救済」するのだ(「罪を憎んで人を憎まず」といったところか)。その救済理由は乃木こそが「美しく生き、美しく死ぬことを第一義とし、事の成否なんぞはその後にくる」という、幕末の「侍魂」(令和においては冷笑の対象となる語感を含むが)の最後の伝承者であったからだ。
私の二十年来のぼんやりした乃木希典に対するイメージが明確になると同時に、司馬遼太郎その人についての理解も深まった。
最後に私は告白せねばならない。
司馬作品については、平均的日本人男性と同等程度には親しんでいるつもりである。
加えて、横須賀港の戦艦「三笠」への乗船はもちろん、戦勝の地・対馬も訪れた。
しかしながら、未だ『坂の上の雲』は手に取ったことがないということを。