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田代の郷巨大陸橋

 もしかしてあれは「古代ローマの水路橋」と、ふと思う。巨大陸橋が伊太田代地区(島田市)にある。そこには、大型遊具を備えた遊園地「島田ゆめ・みらいパーク」が整備されており、陸橋はパークに向かうアクセス道路を横断して架けられている。高さは10mを超え、横断した先は行き止まり、ゆるやかに下っている。

そもそもこの地は新東名高速道路島田工区において、トンネル工事から排出された膨大な土砂を処分、埋め立てた土地で、かつて、この田代の郷は数件の集落だった。造成後田代環境プラザや田代の郷温泉などが建設され、その過程であの「巨大陸橋」が作られた、と思われる。「けもの道」との噂もある。

陸橋(伊太田代地区)



日本橋

日本橋(大井川河川敷)

 島田の大井川河川敷公園の片隅に、雑草に埋もれた小さな「橋」が架かっている。ここはかつて「東海道五十三次公園」が整備されていた。「島田宿」を中心に、江戸「日本橋」から京都「三条大橋」まで、五十三次の宿場の道標と加えて、県内宿場には「歌碑」と安藤広重「東海道五十三次」浮世絵の銅板レリーフが設置されていた。

しかし1995年阪神淡路大震災の後、建設省は河川敷を「緊急河川敷道路」とし、現在の大井川マラソンコース「リバティ」を整備した。その際島田市は、「東海道五十三次公園」のそれぞれの道標を、マラソンコースに200m間隔に再設置した。

雑草に埋もれた小さな「橋」は、実は、行くあての無いまま忘れ去られた「日本橋」だった。グランドゴルフ場で賑わうその横で、ひっそりと残されているが、それはまさに東海道五十三次のスタートシンボルだったのだ。

 現代芸術家「赤瀬川原平」(1937~2014年)はこうした物件を「超芸術トマソン」と名付けた。

トマソン

 トマソンとはアメリカ大リーガー「ゲーリー・トマソン」のことで、1981年読売ジャイアンツに「王貞治」引退後の後継者として、鳴り物入りで入団した。その年、20本のホームランを打ったものの、132の三振で球団新記録を更新した。その三振の見事さは芸術的でもあった。

マスコミは「舶来扇風機」「トマ損」などと囃したてた。ジャイアンツファンの赤瀬川は大いに喜んだ。超大物選手の芸術的三振と町中の「無用な長物」を結びつけ、「超芸術」と名付けたのだった。

彼は言う、「芸術というのは…スポーツみたいだ。この二つは生産社会から程遠い所で似ているのである。実用としては役立たずで、そのくせ楽しい」(『芸術原論』)、更に「町の各種建造物に組み込まれたまま保存されている無用の長物的物件であり」(『路上観察学入門』)、「娯楽性はもちろんないし、用事性も装飾性もない。この世の中における有用性が何もない」(『超芸術トマソン』)、が、しかしそれらは美しい。トマソンは発見する者にとってのみ超芸術となる、と彼は語った。

路上観察学

 超芸術トマソンはブレイクする。1970年代初頭、赤瀬川は、都市の中のビル壁や電柱、ポスターや看板など、都市の発信するメッセージの観察を行い、彼はそれを「現代芸術遊び」と名付けていた。

「庇(ひさし)だけ残る壁」や「登り先の無い階段」など、町に住む人々の行動や感情、経済的価値をすべて取り除いて、そこに取り残された「物件」に不思議な感動を覚えたのだった。彼はそれを写真誌や美術誌に順次発表した。

美学生中心の「超芸術トマソン観測センター」が活躍した。更に、86年赤瀬川に建築家藤森照信、イラストレーター南伸坊、漫画家の杉浦日向子らによって、「路上観察学会」が誕生した。「この世に存在する物体はすべて意図して作られている訳だが、しかしわれわれとしては観察によって、その意図の線上からズレてしまった部分を発見するのである」(『入門』)と藤森は語った。それは都市の新たなフィールドワークとして、マスコミのみならず美術界、建築界、都市学会の注目を集め、現在も続く。 

しかし、今、赤瀬川は鬼籍に入り、「トマソン」を知る人は少ない。田代の「巨大陸橋」も大井川公園の「日本橋」も「身悶えするようにねじれながら」見つけられる事を待っていた。「その物件に芸術を見ることの不思議さは何だろうか」(『芸術原論』)。

大井川流域には身悶えしながら、見つけられる事を待ち続けている「不思議」な物件が無数にある。そこに芸術を見る不思議がある。超芸術の不思議を求める旅にはロマンが満ちている。


(地域情報誌cocogane 2022年10月号掲載)

[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)

大井川緑地公園


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