自分の中にある回復や成長の仕組みに感謝

昨日、ある場所に行ったら、
そこに私が以前とても心がザワついた人がいた。

しかし、その人を見ても心が動揺せず、
平常心でその場を過ごすことができた。

当時はその人に対し、
怒りや悔しさといったかなり激しいザワつきを感じ、
「この悔しさは拭い去れないだろう」と思い込んでいた自分の予想は
見事外れたことになるが、これは嬉しくも驚きの大誤算である。

この大誤算が起こった要因は何だろうか?

それは、自分の心に組み込まれた、
回復力や成長のメカニズムによるものではないだろうか。

激しくザワついたあの時というのは、
心に大きなダメージを受けたのだが、

心というのは、傷つきっぱなしということはなく、
その回復力には個人差はあるものの、
誰しも日々新たな体験や学習を重ねる中で、
傷を修復できているのではないだろうか。

そして、心というのは、
ダメージからの回復によって成長もしているようだ。

ダメージから回復した後には、その傷跡というのは弱点ではなく、
寧ろ強みになってくれるようで、同じような経験をしてもその傷跡は
ダメージを回避してくれる転ばぬ先の杖だったり、
あるいはダメージを軽減する盾になってくれるように感じている。

よく、心に大変なダメージを負った時には「PTSD」を発症する
と言われるが、じつは心というのはこれだけではなく、
「PTG(心的外傷後成長)」という現象も起こしうるそうだ。

ドラゴンボールで例えると、
サイヤ人は瀕死の重傷を負った後に回復すると、
戦闘力が数倍にアップするようになっているが、
あれに似ているのかもしれない。

だからといって立て続けに心にダメージを受け続けて
回復を疎かにしては、そのまま心が折れてしまうので
そこは注意したいのだが、

私の場合は、その人とのトラブルでダメージを負いつつも、
そこで受けた傷に対して、被害者意識を持たずに自分にも改善すべき
非があったのではないかと意識を切り替えることで、
その回復を早めると同時に、その人への恨みつらみの感情を
緩和していたのだと思う。

そうすることで、心にしこりを残さずにその体験を踏まえて、
また別の体験を重ねていけたのだろう。

その結果、心に蟠りがない状態でその人と対面することができた
のだと思うが、おそらくPTG的なプロセスを辿ったのではなかろうか。

その時は、自分でも驚くくらい、穏やかな心境だったので、
これは自分の鍛錬によるものというよりかは、

元々備わった心の回復・成長の仕組みによるものではないかと思っている。
そう考えることで、「自分の中には強力な味方がいる」と信じられるし、
その力を借りやすくなれるからだ。

だとすれば、この心の回復・成長の仕組みには本当に感謝である。

この仕組みを実感できたことで、
「傷ついてもどうせ回復して成長できる」という安心と信頼感のもとに
思う存分冒険していけそうである。

それに、自分の中にある心強い味方の存在に気付けたことは、
元はといえば、ザワついた相手の御蔭である。

その人もまた、「絶妙に配置されたトレーナー」の一人であったのだ。
だから、その人にも感謝申し上げたい。


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