非属人的な営みの中に属人性を高めること

私の知り合いに、著名人のようになりたいと思って
懸命に自己啓発にいそしむ人がいるが、
彼は、10年以上も同じ円周をぐるぐる彷徨っている。

著名人のセミナーには高額の参加費を払って参加するが、
身近な人間からは何も学ぼうとせず、
自分に与えられた目の前の課題には向き合おうとしない。

自己啓発に注いだ時間や資金、労力は相当なものである。
それを努力というならば大成功していてもいいくらいだ。
にも拘らず、彼が目指している所には辿りついていない。

そんな彼の姿を見れたお陰で、
「目の前のことに真剣に向き合うこと」の重要性を実感できた。

もし、彼と出会わなかったら、
私はこのことに気づけなかったかもしれない。
そう思うと彼は恩師とも言えよう。

彼は、目の前の自分の課題に向き合わず、
遠くの世界の何者かになろうとしている。

そのせいか、普段から自分や目の前の課題や
与えられたヒントに向き合おうとしないので、
自己理解ができていない。

だからこそ、SNS等を検索し、著名人の「映える姿」に憧れ、
表面的なその姿だけを目指そうとする。

何故、その著名人がそれだけ有名になれたのか?
その背景には思いが行かない。

だから、「これをやればあの人のようになれる」という
ノウハウ的な商材に飛びついてしまう。

その彼は、これまでに何度も職場を解雇されている。

それは、その職場が彼の適性とミスマッチしていたことだけでなく、
彼がその職場で求められていることを為そうとしなかったからでもあろう。

おそらく、職場にいる時も、彼の頭にあったのは、
目の前の仕事を真剣にやることではなく、

「ここは自分がいる所ではない。こんな地味なことなどやってられない」
という思いだけなのだろう。

まだ、何者でもない状態で、遠くにいる何者かを目指そうとし、
「自分にしかできない仕事」を夢想し、
目の前の「誰でもできる仕事」を軽んじてしまう。

私が思うに、彼が目指す憧れの著名人は、
須らく「誰でもできる仕事」に真剣に取り組む中で
その仕事を「その人にしかできない仕事」に変えていったのではないか。

私も、どうせ仕事をやるならば、
「その人にしかできない属人性の高い仕事」
をしたいと思っている。

しかし、今の自分の状況と、目指す状態との間にギャップがあるのならば、
今の状況下でやれることと真剣に向き合い、そのプロセスを愉しむこと
でしか、属人性を発揮していくことはできないのではないか。

私は、誰しもアーティストになれるし、
アーティストを目指すことで、
愉快な循環を生み出していけると思っているのだが、

アーティストとは、目の前の地味な事の中に「愉しみ」を見出すことで、
属人性を発揮していく人のことだと考えている。

アートとは、音楽や美術だけを指すのではない。
ありふれた日常の営みの中に、属人性を発揮するあり方
それを探求し続ける事を指すのではないか。

それは言い換えると、
「腐らずに愉しむ」ということでもあるのだろう。

何者でもない凡人が、何者かになろうとするには、
それしかないのではなかろうか。

だからこそ、目の前のことを愉しみ続けるしかないのだと思う。

このことは、他でもない自分自身に言い聴かせたい。

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