
しちじふのてならひ(医師脳)
半世紀以上も昔のこと。
青森高校で古文を習わされた。教師の名は忘れたが、脂ぎったオジサン顔と渾名だけは覚えている。
〇「無駄だよ」と十七のころ厭ひたる古文の教師の渾名は「ばふん」
そんな生意気盛りが古希をすぎてから短歌を詠もうとは……。
「一日一首」と詠み続け…気づけば(数だけは)千首を超えた。
いわゆる「白い巨塔」で生息していた頃の習慣だろうか。
自作の短歌に『しちじふのてならひ』と名付け、医師脳(いしあたま)を号した。
〇七十歳の手習ひなるや歌の道つづけてかならず辞世を詠まむ
〇満帆に〈老い風〉うけて「宜候」と老い真盛り活躍盛り
〇うれしきは毎朝いるる珈琲に「おいしいね」と言ひて妻が笑むとき
〇生き甲斐が働き甲斐なる生活に「老い甲斐あり」とふ痩せ我慢もなす
〇「先生」と呼ばれ続けて半世紀いまや符牒のやうなものなり
〇「日々一首」と詠み続けたし一万首。吾も百寿の歌詠みとならむ
〇人生の川にも澪木(みをき)を立つるごと刻舟とならざる一日一首を
〇老いはてて彼も汝も誰か薄れ去りいずれ消ゆらし吾の誰かさへ
一日一首(令和五年十二月)
タクシーで雪道渋滞さけて出勤、常より五百円オーバーで着く
網膜を流るる白血球の影がおこす「青空の妖精」とふ現象の妙
眼底に視神経乳頭あるところ映像を欠き「盲点」となる
槌(つち)砧(きぬた)鐙(あぶみ)からなる耳小骨。進化をたどれば顎骨と聞く
嗅覚の快不快にも個性あり呼び起さるる記憶もしかり
呼吸する食べる話すも喉頭蓋のあればこそなり有り難きかな
医学雑誌『ランセット』とふ名の由来は瀉血に使ひし穿刺器具らし
コート着て出勤せしを忘るまじ大雪(たいせつ)の候なれど小春日和で
小指から指折り始めて八のあと儘にならざる薬指を見る
ハングルで「チャムセ」と呼ばるる雀なれど「本当の鳥」とは如何なる所以か
朝鮮人を「五十五銭」で迫害せし大震災時の狂気の慚愧
「パリロ」とふ「光復節」を日本では降伏ぼかして「終戦記念日」
閉経の母祖母仮説をくらべてもともに卵子の枯渇はあらず
人類はいつなぜ無毛になりたるや奇妙なことに数か所残して
ウクライナ侵攻の報を見るたびに「台湾有事」も脳裏をよぎる
台湾に〈二・二八事件〉のありしこと七十五歳(しちじふご)まで知らざりき 嗚呼
買ひ出しの妻を気遣ひ荷を背負ひ風よけせむと吹雪のなかを
医療にも多様性を!と唱へれば『女性老年科』こそ新年の夢
晴れ間みて日に二度三度は雪掻きす。「筋トレ」とばかり心拍あげて
切り抜きはスキャンデータに読みとられ冊子となりぬ。これも断捨離
真冬日に陽のさしをれば道路からタンクまで雪掻き、給油にそなへて
訃報聞き元学長との想ひ出が三十年余を飛びて蘇る
千両の実は葉の上につき万両は葉の下につく故は知らねど
ガザ地区とウクライナにこそ届けたしクリスマス・イブとふ平和の形を
雪払へば赤き実かがやく南天の小枝数本を剪りて大鉢へ
兆民の『一年有半』を酷評せし子規の心に嫉妬あらずや
『墨汁一滴』の状袋(じやうぶくろ)とふ響き懐かし明治生まれの祖父も使ひき
除雪車が真夜中に残しし堅雪の緩むを待ちて雪掻きはじむ
師走なれど我はゆるりと出勤す。令和五年の仕事納めに
遠藤周作の「あたたかな医療」より四十年。その先見の明を称へむ
古本に「高橋蔵書」の印ありて赤線を引きし姿も目に浮かぶ
盛岡で求めし五年ダイアリー。四度目の除夜は弘前で記す
一日一首(令和五年十一月)
道端の無人の店にて「三袋で三百円」と銭箱へ入る
『八十五歳の訪問診療医』なる鴎一郎氏は森鴎外の孫なり、励まされたり
綺羅星(きらぼし)の空に耀くはずもなし。「綺羅、星の如く」と切りて読むべし
和蘭語の「オテンバール」の当て字とふ『御転婆』なれど媼にあらず
をさなごの〈絶対語感〉を培へとふ外山滋比古の説に諾ふ
秋深し隣地に基礎工事はじまりて突貫工事は暮れまでの由
それとなくナッジ理論をひそませて健診のあとで養生訓を垂る
小菊咲く立冬の庭にサルビアは種散らしつつも咲き続けをり
立冬の東の空に浮かびたる眉月の下に明けの明星
来し方を客観視して我が身さへセルフナッジで現在(いま)を励ます
十一月十一日の初雪とは今年も津軽は大雪なるか
氷雨ふる薄暗き庭をながめつつ温き書斎で読書三昧
初雪に甘さの増ししプチトマト、ひび割れせしもランチの皿に
『100分de名著』にちなみ実践す吾が健生塾では『スマホdeナッジ』を
小春日にベランダカフェの椅子あらひ小屋に収めて雪にそなへむ
「言葉による演技」とふ渡部氏の説にならひ三十一文字にて演じてみせむ
序詞や枕詞にみちびかるる和歌の仕掛けに演技さへみゆ
花の色はうつりにけりなと詠みし小町。ふるとながめの掛詞そへ
をりくとふ五文字を五句の先に置き穴埋めのごとく折句を詠まむ
をりくなる律儀な女の暮らしぶり泣き明かしつつ縷々かたりをり
「風邪を引く」「コロナに罹る」と言ふなれどいづれも敵はウィルスならむ
兼好の沓冠歌に「よねはなし」「ぜにすこし」とふ頓阿の返し
雨あがりの小春日和に惑ひしか雪囲いのなかで蝋梅一輪
黄ばみたる切り抜き帳に開運と幸呼来(さつこら)の街盛岡を想ふ
勤労感謝の日は過ぎキッチンガーデンは更地となり春まで休園ならむ
めざむれば雨止み庭は銀世界。なるほど「候」はすでに「小雪」
なべての屋根おほひし雪も雲間より射す日箭(ひや)により輝きて融く
雨もやうに槌音忙(せは)しなく小一時間。隣りに平屋の棟上げ済めり
氷雨のなか急ぎて屋根張る大工らの釘打つ音こそ気ぜわしかりけれ
取り急ぎ葺かれし屋根に雪つもり新築現場は冬ごもりの態(てい)
降り積もる雪の下より響きくる電動工具の音のジャムセッション
一日一首(令和五年十月)
足し算のポリファーマシーに立ち向かひ薬を見直し我は引き算
秋晴れに不意に狐の嫁入りの雨粒おちくる輝きながら
寒露まへに季節を先取りして冬支度。ヒートテックの上下のぬくし
弘前で健康寿命を延ばさむと〈健生塾〉にて養生訓を垂る
乾物で「ま・ご・わ・や・さ・し・い」を常備して健康長寿の促進はからむ
高飛車な受診者の言に驚くも医師の矜持で軽く受けながす
食事ごと過剰なる塩と脂肪摂取さけて目指そう健康長寿を
家系より栄養・環境に気を配り健康長寿で日々過ごしたし
タウリンとふアミノ酸ふくむ魚介類を摂りて減らさむ心筋梗塞
イソフラボンは大豆に含まれ癌増殖・心筋梗塞を防ぐと言はる
ヨーグルトはスローカロリーの代表で免疫力の向上もなす
マグネシウムは三百もの生命反応に関与し長寿に欠かせぬと知れ
惚け除けにと自家製ヨーグルトに黄な粉かけバナナを添へて妻とのデザート
何れにせよ健康長寿の要諦は「You are what you ate.」に尽く
ピアニスト角野隼人の録画みてニューヨークでの活躍ねがふ
我がピアノはペダルを踏むたび手が止まり情感あふるる『新世界』は遠し
谷村新司の突然の訃報に響きたる「さらば昴よ」と歌の一節
「我は行く」と歌ひし君は旅立ちぬ牡牛座めざし四百光年
色あせしパネル写真を眺めつつ我が人生のピークかと想ふ
冬にそなへバジルを切りつめ鉢にあげ出窓におけばキッチンガーデン
朝早くオイルヒーターを背に座り「いただきます」と妻へ掌(て)を合はす
ラテン語の「メメント・モリ」を肝に銘じ「カルペ・ディエム」と日々を楽しむ
宇宙とは時空のことと看破せし『淮南子』は超ゆアインシュタインを
霜降の庭には紅葉のかがやきて岩木山すでに冠雪しにけり
パソコンを初期化するだに老いの身は疲れはてたりサクサク動けど
リセットはパソコンなれば可能にて訂正しつつ過ごす老いの身
気に入りしブログなれども広告の煩わしさに新居を求む
秋深き庭にヒーヨの声追へば紫式部をついばむ鵯
ガードマンに「ヤクやシャブは」と問ふだけで【勤務可】とせし診断書の意味
老いの目にUDフォントはありがたしパソコン画面で作歌はかどる
秋陽あびうすく色づくミニトマト。その脇にはまだ花さへ咲きをり
一日一首(令和五年九月)
後ろ指を指されぬやうにと教はれし恥の文化や既に消えたる
金曜日、出勤前に迷ひしがピンクのズボンをナースに褒めらる
気がつけば二百十日過ぎ心地よき夜風につつまれ夢路をたどる
半年後の年次契約の更新に医師脳をたもち笑顔ですごさむ
若き医師の自殺の報に思ひ出づ大学医局にゐし友の顔
安楽死の語源を見れば「良き死」なり。されどその意は自殺幇助か
安楽死の語源を見れば「良き死」なれど自殺幇助は免れぬ国
立秋も処暑も暑かりきさりながら白露となりて急に秋めく
健診医われ中六日の登板に二時間余りの全力投球
健診の腹部触診で見つけしは西瓜のやうな子宮筋腫か
〈M3〉に駄文の載りて送られしポイント貯めて本を買い読む
若き女医が脳卒中より回復す。テイラー著『奇跡の脳』の実例ぞこれ
気鋭の女性脳科学者が脳卒中に克つ。その回顧録は『奇跡の脳』なり
ベルヌーイの定理で説明できずとも飛行機は今日も空を飛ぶなり
惑星は冥王星の格下げで「水金地火木土天海」まで
〈人新世〉宇宙の何処かにおはすとふ知的設計者の嘆きや如何に
思ひ込み、常識、前例、先入観、固定観念すてて生きたし
Eイコールmc2乗のなかりせばヒロシマ・ナガサキ・フクイチも無し
〈敬老の日〉の歌会は敬老会かねて詠み合ふ和気藹々と
若き女性脳科学者が左脳病み右脳優位で涅槃の境地
赤飯を蒸かす香りに訳問へば「彼岸の入りよ」と得意気な妻
秋分を前にはやくも冷雨降る。夏物を除け長袖を出す
秋晴れにチェックの上着で出勤しルンルン気分で健診をする
数日で気温の低下十度なり秋分の日に厳冬はたまた酷暑を想ふ
秋分すぎ気温さがれど水ぬるく蕩けし地球の名残りなるらむ
秋彼岸にCDで経をながしをれば庭より響く螽斯の声
ベランダで鰯雲ながめ一杯のコーヒーで妻と小一時間も
庭隅にすくりと咲(ひら)く紫苑あり清少納言も「いとほし」と言はむ
週一で 健生病院に務むるも老医われにはデイケアならむ
間引き後の丸ニンジンのあざやかな色にて出でよ今宵は名月
さながらに十五夜の月は丸ニンジン、老夫婦われら思はず掌てあはす
一日一首(令和五年八月)
トコロテンの漢字の由来を思ひつつ「心太」を啜る葉月朔日
『100分DE名著』にあやかり『500字DE爺医の繰り言』をネットにアップす
値上げせし電力九社の黒字額十兆円とふ。不快極まる
待合室で我が冊子を読む受診者らの様子を覗ふ健診室より
日盛りにカーテンを引き灯り点けエアコン稼働の書斎で本読む
炎天に松明花が身を焦がす津軽の短き夏を惜しみて
朝早く佞武多の段雷響きけり。祭りの終はりが暑さの掉尾
名ばかりの立秋なれば暑気払ひにキムチを載せて冷麺を食ふ
予報では三十七度を超ゆるらし。体温ならぬ最高気温
熱波つづく北国津軽で懐かしむ二十年前のイラクへの旅
「弘前で39.3度」の見出し見て昨日の残暑を語りあふ朝
眠れぬ夜、スロービデオでボール止めゴールラインを何度も確かむ
雨あがり涼風の立つ盆の入り。迎へ火せむと焚き木を積み上ぐ
ふと目覚めカーテン揺らす涼風に夢の続きへ誘はれにけり
読経ながるる庭に番ひの尾長きて給餌をしをり亡き父母おもふも
新築の隣家の窓より響きわたる子を叱る父親の怒鳴り声あさまし
風向きが東から南やがて西へ台風七号は日本海をゆく
台風で一日遅れの送り火にご先祖の霊も長逗留なり
杖を突き健診を受けに来し媼、体重三桁では膝ももつまい
突然の雷雨に慌てて窓を閉づ。エアコン開始で書斎は極楽
今日もまた三十度超えとの予報あり。シャワーを浴びて気合で過ごさむ
二十年で新成人は半減し高齢者のみ増ゆる青森
「遺憾の意」を謝罪の代はりに表して責任回避をのうのうとなす
認知症の新薬といふレカネマブ。されど高価で「金」とも読める
安全なら海洋放出なぜ急ぐ況や危険な汚染水をや
マイナ禍に『失敗の本質』を読みかへし旧日本軍の遺伝子を憂ふ
中国の全面禁輸にうろたへて「想定外」と恥の上塗り
汚染水海洋放出を非難する中国報道官の論理や是なる
中国の反日感情あふりしは日本政府の愚行ならずや
〈風前の燈火〉内閣が「この先も全責任を負ふ」とは笑止
東電産アルプス水の注ぐ海。食物連鎖の果ては我が身に
フクイチの燃料デブリは八百余トン。賽の河原の石積みならずや
一日一首(令和五年七月)
「羨む」も良しと思はねど「妬み」には陰湿なる敵意さへ感じて拒絶す
「西瓜で~す」と女の声で宅急便。息子の鳥取土産が届く
百頁の 「爺医の繰り言」 校了せり。 電子書籍にて いざ配布せむ
斑入り柳の白露錦に絡まりて緋のクレマチスが小花を咲かす
朝露に松明花の赤うるみベルガモットの香りの甘き
日はちがへど間引き菜の味は同じなり。いつの日かならむミニキャロットに
けふ七夕、庭の各所に紫陽花が色とりどりに咲きそろひたり
「日本」なるわが国の名は六八九年の浄御原令(きよみはらりやう)に記されしが初
炎天に我慢できずに南天は小花をポプコーンのごとく弾けさせをり
忘れ草二輪ならびて咲けれども一輪いまだ受粉せぬまま
豹柄の花弁三枚で虫さそふアルストロメリアはインカの百合らし
ミニピーマン唐辛子のやうに成長せし陰にミニトマトも我が家の菜園
サーバーの短編読みて途惑ふは傍迷惑なユーモアセンス
病院名「健生」にこそふさはしき女性老年内科を企図す
スマホには二十分後に大雨と。急ぎ戸を閉め襲来を待つ
梅雨つづき色づき乏しきミニトマト、緑のままで夏の陽を乞ふ
長雨で無残にも実の割れしミニトマト、スープの皿に赤と黄うかぶ
糠床にミニピーマンが漬けてあり塩加減よく玄米にあふ
うち並ぶグラジオラスの朱の花が火炎のごとく梅雨空に向かふ
朝どりの野菜を買はんと籠さげて飯も食はずに妻は出かけぬ
BMI45超の女性を診て健診医われは言葉を選ぶ
朝庭に露ふくむ四輪の白桔梗、紙細工とも見えそと手触(たふ)れけり
大暑の候、熟ししミニトマトを摘みてすぐサラダに加ふなまぬるきまま
梅雨明けて花魁草は咲きはじむ。白とピンクが競ひ合ふごと
十時まへに三十度超ゆる大暑の候。書斎でクーラーを試運転し涼む
夏陽あび燃えたつごとき雛菊は木陰の椅子みて何を思ふや
湧きあがる夏雲に届けと吾が背丈を超えて咲きたりピラミッド紫陽花
二十年余で制度破綻か介護保険。我が余生には当てになるまい
朝未だき寝室に吹く涼風に夜具を引き寄せまたひと眠り
鈴生りの赤ミニトマトを撮りしあと完熟せしものを選び収穫す
冷凍の鹿児島県産蒲焼をチーンして夕餉に。土用の丑の日
一日一首(令和五年六月)
松の木の影に咲きそろふ文目かな大和心湧く水無月の朝
庭籠めて妖艶なる香を漂はせ芍薬咲けり白桃色に
金婚と錫婚祝ふ我が庭に紅白の薔薇あまた咲きをり
蔓薔薇と木香薔薇はよりそひて紅白まじへパーゴラを昇る
青森県知事選挙なり。変革の二票を携へ夫婦で行かむ
人種などミトコンドリアにして見ればみな混血のホモサピエンス
朝陽あぶる玄関前の花ら眺め雪掻きし日もありしを想ふ
長寿の世、健康余命を伸ばさむと一汁一菜に気をくばる妻
強風に萱草の花のあふられて鵞鳥が泣き叫ぶさまにも似たり
木漏れ陽に薄紫の丁字草が遊ぶ子らのごとく五弁をひらく
雨あがりのキッチンガーデンにプチトマト黄花を咲かす実も近からむ
梅雨近き庭に黄金色(こがね)の八重の薔薇かがやくは正に輝夜姫なり
義母が形見、躑躅と思ひしによく見れば雄蘂の数などで皐月と知りぬ
ミニ薔薇と語れる妻を写さむとスマホを向くれば寄りそふ影も
食べごろの絹さや三本を収穫し夕餉の味噌汁に。長女帰省して
九蓋草の花評をすれば滑稽にも体かくして尻尾かくさずか
週一の勤めなれども医者として生き甲斐を得る残生の光(かげ)
梅雨空に向かひ咲きゐるアスチルベ赤白ロゼにて芳香はなつ
生きるとは動的平衡。食物で明日の我が身を再構築せむ
老いたるや新陳代謝の鈍くなり体内時計のネジもゆるめる
受精卵は三十七兆個に分化して動的平衡で生命つぐらし
丸刈りせし頭上に夏至の太陽の八分前のパワーを感ず
三陸の海を遮る防潮堤。そこに潜めるショック・ドクトリン
梅雨の庭に家中(いへぢゅう)の鉢を出して並べ「うれしいでしょう?」と声かくる妻
その若葉に雨浴びてゐるバジルつみトマトに添へて朝食の菜に
新型コロナはや三年余なり顧みて「常在型」と呼ぶべくならむ
コンテナに植ゑし明日葉つみとりて天ぷらにすれば歯ざはり宜し
花をへし蝋梅の枝に実がひとつその種子カリカンチンなる毒をもつらし
毛越寺で手に入れしアヤメが今年もまた梅雨の晴れ間の庭を飾れる
梅雨の晴れ間、木陰の紫陽花の毬花にのる雨粒が青くにじめる
ディズニーのアニメのやうな愛らしき親指姫みゆ蛍袋に
一日一首(令和五年五月)
夜なべして炊きしけの汁を宅急便で嫁に送らむと自転車こぐ妻
庭隅に花蘇芳が枝にびつしりと紅紫こうしの小花をつけゐておどろく
井上ひさし著『吉里吉里人』読み日本国憲法前文に思ひはせけり
ゴールデンウィークも後半、庭ながめ妻との茶飲み話で〈みどりの日〉も過ぐ
こどもの日に家中の人形を部屋にならべ妻と大声で神仏に祈る
金婚式の今日は『さくらさくら』を連弾し自撮り録画で子らへ聴かせぬ
立夏過ぎ庭隅に芽吹く山椒の新葉のかほりに蒲焼を思ふ
山吹は小判の色に限らざる我が家の庭に白き花咲く
立夏過ぎて冷たき雨に雪柳の小枝の先に花ふるへをり
左手ひろげ人差し指でソの♯を。その響きはまさに『新世界』なり
グレースといふホンダ〈エスハチ〉なつかしや。八回ドラマを夫婦で観たり
ひさびさの初出勤なり短歌よみて緊張まぎらす研修医のごと
昨日の三十五人の診察にぐっすり眠りて心地よき目覚め
この先も少子化すすまば『母の日』はいずれ名のみか三十世紀
雨を受け小手毬の花のいづれもが頭を垂しだれり叱りもせぬのに
「しやくやく」と言ひ違たがへやすき石楠花が芍薬のそばで今年も咲きをり
花終へし満天星の剪定に星型を訊ふも妻は却下す
古より「夫唱婦随」の言あるも妻をたてての夫婦安寧
石楠花の妖艶なる花弁は匂ひたち「桃色吐息」で虫らを誘ふか
「太陽のタマゴ」とうたふマンゴー二個。子らに感謝し仏壇にそなふ
ネットくじ今日もハズレと思ひきやアマゾンカードで百円ゲット!
生協の宅配カタログをながめつつワンピースの色にまよふ妻いとし
書斎から庭のパーゴラ見おろせば黄毛氈のごと木香薔薇咲く
ユーチューブで「東大TV」の講義うけ安田講堂に居る気分なり
見あぐれば青空のもと爽やかに木香薔薇の花さかりなり
雨催ひに九輪咲けるは文目ならむ花弁のなかに網目模様ありて
聴診器を老若男女にあつる日々、その心音にも個性がありて
人類の「進化」といふも一概に「進歩」とはならず「退歩」もあり得
「健生」とふ理念に同どうじ津軽にて認知行動療法をせむ
露草と千代萩がたてるさま曇り空みあげて雨を欲るごとし
庭中をバルブで紫蘭は増殖し八手の葉かげに知らぬ顔なり
一日一首(令和五年四月)
大胆に剪定をせし山茱萸に黄花咲きたり四月に入りて
蝋梅、山茱萸そして連翹の黄の庭に三つ葉躑躅の紫一輪
調律を済まししピアノの和音澄み老いて弾く指ここち良きかな
清明に入りて庭のテラスでランチとり妻の話をうんうんと聞く
ユーチューブで『戦場のメリークリスマス』を繰り返す。いつか弾かむと指真似しつつ
ひらひらと庭飛びまはる一頭の紋白蝶は斥候なるか
雨雲を切り裂くジェット戦闘機は西の空へとスクランブルか
調律師の弾く和音の唸り徐々にきえ我が家のピアノも誇らしげなり
雨なれど自民一強を懸念して投票しに行かむ反原発派に
青森は県議選挙に四割の投票率で何処へ向かふか
肩よせて『さくらさくら』を連弾し金婚式でもと妻と願ふも
雨あがりの庭にあまたの水仙の花の白と黄一斉に揺るる
面接も和やかにすみ週一の仕事に備へ聴診器をみがく
半世紀前の医師免許証ありがたし「賞味期限」なる語とは無縁と自負す
「もういくつ寝たら初出勤」と聴診器をみがく爺医なれども
花散らしかと氷雨の音を気にしつつストーブの前にて短歌(うた)を詠みをり
氷雨うけクリスマスローズ三十輪うすき緑に咲きそろひたり
誕生日の妻に「おめでとう」と箸をとり味噌汁すする老いのよろこび
軽々と梁吊る重機一台にて春風のもと柱建て済む
芽吹きたる楓の木陰で春風に白根葵の数輪ゆれをり
「春風よ」の妻の声して庭に出で繁茂し過ぎし椹の枝打つ
老医として在宅医療に尽くさむと緩和ケアをさらに勉強!
市議選も自民一強を懸念して若き女性に一票入れぬ
パーゴラ這ふモッコウバラの垂れ枝が一斉に芽吹き春風にゆるる
庭先の姫木蓮の花ぬらす春雨の色か薄紫は
庭隅の竹垣に沿ひ連翹と雪柳咲き黄と白の屏風なす
花曇りの庭ながめつつの珈琲タイムに子らの話するわれら老夫婦
縁側の下に桃色の毛氈のごと広がりて芝桜の春
長男の嫁の退院祝ひにとけの汁の具をきざむ妻のまるき背
一日一首(令和五年三月)
朝靄におぼろに浮かぶ柿色の大いなる陽に掌をあはせたり
清張の『昭和の発掘』に倣(なら)ふがに平成令和と混沌増しゆく
ひと月のおつとめ終へる内裏雛。また来年もと餅そなへをり
雪どけの庭に根開きをせし蝋梅はあまたの蕾をふくらませをり
♯(シャープ)加はりピアノの稽古に肩こりぬ雪切などしてほぐさむとこそすれ
啓蟄に日向で芽吹く福寿草そのまはりにはザラメ雪ひかる
事始のお事汁にも劣らざるつねに具沢山のわが家の味噌汁
突然の気温十五度におどろきて蝋梅二輪雪庭に咲く
椹(さはら)の葉で鰆(さはら)の照り焼き供されて視覚と味覚で春をたのしむ
春雨に根開きじわじわ広がりて庭仕事へとわれらを誘う
かりかりと歯石けづられ心地よし大きく開けしままの顎つかるれど
雪庭のあまき香りに雪囲ひとれば蝋梅すでに五分咲き
雪とけし庭の日向に福寿草の二輪が金色にかがやき咲くも
《団塊の花道》なる語ににとまどへりしからば我は正道ゆかむ
春雨に家籠もりしてとりあへず青空文庫の魯迅短編を
早朝はありがたきオイルヒーターも自動消火す春陽のなかに
子規の母いふ「彼岸の入りは寒い」とぞ。彼岸の入り今日はたしかに寒し
春風に木槌の音の響きたり建たば子供の声など聞かむ
医師会の金にまつはるスキャンダル。柴三郎の嘆く顔みゆ
雪とけてクリスマスローズ立ち上がり蕾ふくらむ 今日は春分
春暁に起き出でて見るにふと浮かぶ枕草子の春はあけぼの
津軽にて「身体拘束ゼロ」唱へ就活するに現実は厳し
すつきりと雪とけし庭の木の肌をくろぐろと濡らし春の雨降る
井桁の井に似る記号あり「ナンバー」や「シャープ」と読みて区別するなり
踊り字の変換せむと「どう」と打てば同ノ字点「々」やノノ字点「〃」みゆ
縦書きの踊り字変換おもしろし「どう」にて一ツ点「ヽ」「ヾ」「ゝ」「ゞ」やくの字点「〳〵」「〴〵」など
七十五歳の手習と始めしピアノにて「喜びの歌」を両手で弾くも
津軽にて「身体拘束ゼロ」唱へて就活せしが検診医となる
「Choosing Wisely」を我こそ唱へ続けむか生涯現役医師にしてまだ七十五歳ぞ
雨上がりの朔風を受けうつむきてクリスマスローズ咲くけふ弥生尽
一日一首(令和五年二月)
如月の朔日の朝陽に手を合はせ数多ねがひて春を待つなり
如月の雪踏めばギュッギュッと鳴る音に近づく春を感ずる朝(あした)
けふ節分、離れ住む娘(こ)らに幸あれと妻は雛飾りをはや始めたり
立春を知りしごとくに咲きはじむる紫の小蘭に雛ほほゑめり
旧暦の七十二候の始まりの立春に垂氷(たるひ)より滴(しづく)の若水
立春過ぎ手水鉢には浮き氷。挿したる椿の蕾たへをり
二十度に設定したるストーブの自動停止に春ちかづけり
『心理学』を十年ぶりに読み返し七十五歳にして得心せらる
厚着してサンルームにて本よむにハーブティ香りて春を先取る
今回の校正をへて書きはじむ最終号の『縦書き脳』を
神々の系譜の末尾におはす神武。今日は建国記念の日なり
除雪車の削りおこしし雪道に小糠雨ふり舗装あらはる
長男の四十九歳の誕生日を祝ひてその歳の自分を想起す
仏壇に供へられたるバレンタインチョコ見つつ南無阿弥陀仏と朝の念佛
雛壇の花瓶にさしたる桃の枝。紅き蕾に春陽のどけし
春陽あびドスンと落つる屋根の雪。その響きにも心わきたつ
娘らの弾きゐしピアノを撫でまはし独学教本を読みはじむなり
短歌(うた)よめば狂歌かとわらはれ為らばとて蜀山人を繙きてをり
蜀山人まねて狂歌を作らむと万葉集を読みあさりをり
近代の秀歌にオマージュ捧げつつ狂歌もどきに詠みかへてをり
七十五歳、ピアノの手習ひくりかへす指十本に思ひとどかず
妻の留守に大きな音で弾くピアノ、調子はづれに内裏さま笑むか
ピアノ終へアップルパイと紅茶にて夫婦でほめあふ祝日の午後
税務署が金もどし呉るるとふ朗報は年金夫婦に春来たるごとし
春は霞、霧との別(わかち)を聞き知りて遠山にはや霞たなびく
霞消し突然ふきあるる地吹雪のすさまじ正に冬の掉尾か
屋根の雪おほかた消えし二月尽、空まぶしくて強き風吹く
一日一首(令和五年一月)
令和五年かきぞめせむと庭に出てストレッチのあと雪ベラをふるふ
吹雪く津軽で箱根駅伝中継を見つつ晴れ間待つ雪掻きせむと
正月の纏振り来れば欲張りて火の用心にコロナ禍収束
雪道を妻とふたりの初詣。滑つて転ばぬやうに手をしかと取り
冬陽さす窓辺にならぶ鉢植えのカランコエは早や花芽をのばす
寒なれど出窓で陽浴ぶるバジルを摘みトマトと食めば鼻腔には春
七草の今日も汁には具沢山、十種をかぞへ煮干しまで食ふ
新聞の下段にならぶ訃報欄。ふたりの媼は百五歳なり
成人の日の女性らコロナ禍のマスクの色は振袖に合はせて
寒なれど雪掻きし道に陽のさせば黒きアスファルトに束の間の春
庭先の雪の山ほれば蹲(つくばい)に凍てし山茱萸と南天の小枝
冠雪除(よ)け鶫(つぐみ)ついばむは雪に映ゆる紫式部の実なりこぼして
コロナ感染死亡者数は増えつづけ日に五百こゆ。第八波こはし
訃報欄見つつそれぞれの人生思ふ。なかに百六歳の媼もおられて
『みちのく春秋』のオーナー且つ発行者急死にうろたふ続刊渇望す
何ごとぞ嶽温泉の湯温が低下、まさか岩木山に異変は起こるまい
静岡の義姉の採りたるプチマルとふ種なし金柑をがぶりがぶりと
凍てし屋根に朝陽さしきて垂(しづ)るれば「三寒四温」の宜なるべしと
大寒の津軽に雨とふ不順には地球規模での温暖化あり
日々一首と四年の錘の歌集なる『時をただよふ』縦書きブログで
寒中なれど二階の書斎の暖房止め陽を背に浴びて読書してをり
おもしろし『整形内科』とふ手当て。いつか役立てむとひそかに学ぶ
音もなく降り積もる雪に除雪車の回転灯の力強さよ
ゴミ出しに雪道歩めば「キュッキュッ」とさながら〈鳴き雪〉大寒の朝に
予報では最高気温が零下五度!温き居間にて妻と巣ごもり
朝刊の掲載投稿を切り取りて仏壇にそなへ健筆ちかふ
礼文島生まれの漁師九十二歳(くじふにさい)、語る津軽弁にルーツを晒す
新旧の健康保険証を入れ替へて明日から後期高齢者とぞ
この度の誕生日は後期高齢者への入口にしてある意味好機ぞ
誕生日祝ひに出でし赤飯が晦日正月のけふもあらはる
一日一首(令和四年十二月)
師走入り、五センチ余りの初雪に津軽の厳冬いよいよ始まる
裏庭で雪に埋もれし鉢みつけ払ひてやればパセリ株なりき
冬陽あび冠雪(かむりゆき)おとす南天の力強さに「難転」の字うく
「十二月四日日曜」と念を押し「いただきます」と箸をとるなり
朝陽あびこの冬二度目の雪かきて「まだ大丈夫」と腕腰さする
五か月の休養に気力よみがへり医師免許証をじつくりと見詰む
終活を…否、就活をせむとパソコンで履歴書データのコピペに励む
頼られて働けるとはありがたしその日にそなへ医学書めくる
はからずも人新世に生くる身の矜持としての運転仕舞
三年余も日々一首めざし詠みくれど三十一文字は老いの繰り言
内館牧子著『老害の人』を読み反駁しつつも自省してをり
電線をはげしく鳴らしし吹雪やみ「さあ雪かきだ」とコーヒー飲みほす
「降ったね~」と声かけあひて雪かきす津軽の冬の常なる情景
新聞の配達バイクの一筋の轍にそひて雪掻きひろぐ
融くるはず融けぬはずなしと雪掻けどシャベルに伝ふる根雪の手ごたへ
何しかも短歌よむ気力のわかぬ日は三十一文字に老いの繰り言
ありがたし冬至に雨降り雪とけて松も椹(さはら)もよみがへりたり
南天の冠雪はらへば痩せ枝に蟷螂の卵鞘(らんしやう)冬陽にあらはる
ハワイではブーゲンビリア咲くらしも津軽はホワイト・クリスマスイブ
冬至すぎ甦りたる太陽にかたき雪とけアスファルト出づ
はやばやと後期高齢者の知らせ来ぬ。誕生日までひと月余あるに
赤飯で祝ふことかと妻に問ふ後期高齢間近の我は
日に二度の雪かきだけの老いなれど矜持わすれず医学書めくる
令和四年大晦日に願ふことコロナ禍とウクライナ戦禍の早き収束
一日一首(令和四年十一月)
「倹しい」と「慎ましい」とふ語に気づく吾は古希すぎて冷汗三斗
パーゴラにからまる木通(あけび)の蔓きれば秋の日の差しコーヒー香る
ストーブの火のありがたき文化の日。短歌一首よみ川柳ひねる
パソコンの製版作業でも「誤植」とふ言葉に残る活字の重み
酸ヶ湯にて初積雪との記事見つつバイクマシンで汗流しをり
晩秋の冷えまさる庭に一輪の終(つ)ひの撫子の紅ぞ凜たる
バタバタとふプロペラ音たて晩秋の空をドクターヘリが航(ゆ)くなり
立冬すぎ庭に一輪の山茶花の薄紅(うすべに)や氷雨ににじむ
新聞の投稿欄にならびたる我が柳号の二文字きはだつ
晩秋の庭に真弓の実のゆれて落ち急ぐ陽にひとしきり映ゆ
認知症の予防に良かれと通ひたるデンタルケアに顎つかれけり
小春日とて臘梅にネットの雪囲ひ 庭は白・黄の残菊にはなやぐ
夕影に板谷楓の緋のはえて我が坪庭は錦秋たけなは
朝陽あび庭木の花梨十個余の黄色き実より甘き香のたつ
妻外出なれど茶を二杯淹れてしまひ晩秋の庭に悄然とをり
かきあげを津軽蕎麦にのせ啜りこめば湯気の向かふに妻の笑顔が
さくさくと酢漬け蓮根を噛むたびに歯に当たる穴の空気の感触
去年(こぞ)の夏に地植ゑせし棕櫚の萎えをりて鉢にて集中治療せむと思ひぬ
落葉まふベランダでのカフェは冬じまひ妻は椅子ふき「また春にね」と
小春日に庭の花梨の堅枝を鋸ひく我が腕まだ七十四歳(しちじふし)
水盤にカサブランカ二輪が咲(ひら)きたりその華麗さと香りはなやぐ
完熟の花梨のジャムとヨーグルト、はつかな渋みに往く秋おしむ
長男より義父逝去せしの報が来ぬ我が身はいかに氷雨をながむ
林檎かじり「おいしいね!」と妻は荷札ならべ筆圧も強く子らの名を書く
秋陽さす再開発地より重機去りサンガーデンとふ看板かがやく
木枯らしと時雨と雷も弔ふか美幌にねむる御霊やすかれ
冬に備へ蘇鉄の鉢を床の間にうつせば障子越しの陽をうけ潤む
雨あがりに磨きしガラス戸より陽のさして〈好日居〉には老い二人きり
裏庭で氷雨ににじむ花八手その名に違ひ八手に裂けず
霜月尽みぞれ混じりの空模様にストーブの火を見つつペン執る
一日一首(令和四年十月)
笑点の毒舌キャラなりし楽太郎あの世で早々に襲名披露か
コンバイン音高らかに進めども水に浸かりし稲「不稔」なり
貧しさのなせし所業と人の云ふ「産み落とし」なる響き痛まし
「産み落とし」とふ痛ましき事多くして貧しさのせいとのみ言へざる苦(にが)さ
北からのミサイルアラート鳴り響き頭をよぎる「核の脅迫」
庭に咲く紫露草はしきやし放射能汚染の感知能はともかく
庭草に都忘れの隠れゐて津軽の空を秋風わたる
岩木山はや初冠雪の報を見てヒートテックのシャツ探しをり
七十四歳(しちじふし)の父の写真を眺めつつ四十四歳(しじふし)の我を思ひ出す秋
『天高く馬肥ゆる秋』の故事しりてジェットの音に機影をさがす
時事ネタは爺川柳にと詠みわけて柳号『爺医』のお披露目なるべし
具沢山の味噌汁を御菜に老い二人笑顔にて食(は)む一汁一菜
菊晴れに庭の小菊のさやかなり茜色の花を仏壇に供ふ
救急車のサイレン近づきつと止みて六軒先の爺の顔うかぶ
訃報欄に師の名を目にして蘇る新米医たりし小恥ずかしき日々
富有柿を四等分せしに甘すぎて我は一つ食べ妻が三つを
『柳多留』を岩波文庫本で持ち歩く心地は令和の柄井川柳
霜降を前にゴーヤーの棚を処分、生りし三十余の実に感謝しつつ
冷やかしで見切りの鉢植え探せども時期尚早かまだ半値なり
三枚の葉書に川柳三十句、しばらく紙面の投句欄たのしみ
〈ほととぎす〉咲くと鳴くとでおほちがひ杜鵑(はな)は日陰に不如帰(とり)は樹上で
〈ほととぎす〉といふは鳥と花がある、花の苗もらひ鳥を恋ふなり
川柳十句はがきに記し集配に間に合はせむとポストへ急ぐ
ふくらんだ蟷螂の腹に秋陽てる産卵ちかき霜降の朝
寒き朝ベランダおほふ初霜は日差しにとけて時計のごとし
木漏れ陽に花の紫きはだたせ鳥兜二輪あやしげに揺るる
三陸の岩肌這ひゐし浜菊が十年余すぎて津軽で花咲く
時雨なれど林檎畑に藤村が「初恋」の詩のうかぶ記念日
十月の三十日今日は時雨たり藤村詩『初恋』にちなみ「初恋の日」なれど
白皿にきんきの煮つけの赤はえて老らの卓もたまの贅沢
一日一首(令和四年九月)
妻と対(む)きベランダにて飲む珈琲よろし昔語りに虫の音(ね)添ひて
〈ユンボ〉とふ重機の動きおもしろく解体現場を離れ得ざりき
『カクヨム』の我が拙文をも読みたまふ広き心の友ありがたし
処暑の候に予期せぬ西瓜の五個生れり。縞みごとなれど径は五センチ
処暑といふ候名に反し気温三十度超、熱風が部屋へ吹き込みてくる
台風十一号のラオス語名に漢字あて賓南無納(ヒンナムノー)と忘れぬように
目に余る「問題行動!」と切り捨てし専門家気取りの言動をうれふ
長寿化し「めでたい」と言ふしかすがに「ボケたくはない、老いたくもない」
英国のエリザベス二世は在位70年、九十六歳にて身罷り給ふ
「国葬」を文字解きすれば国税を使う葬儀か弔意はなしに
眼鏡さがしパソコンで書きお互ひに読み褒めあふが老いの楽しみ
この先はボケの心配するよりも楽しさ創りて日々すごしたし
「ハピィバースデイ」のメールに添へむと秋桜の構図に悩みスマホを回す
周辺が更地になりて書斎から八甲田山のロープウェイさへ見ゆ
このたびの東京五輪騒動に角川源義の無念や如何に
八甲田の山並よりのぼる日輪が書斎より見え思はず手あはす
秋分を間近にひかへて三十度C! 夏の残欠をじつと耐へをり
献血の検診医不足の記事を見て役に立てぬかと問ひ合はせをり
敬老の日、スマホに向かひ短歌よめば勝手に難字で表示したまふ
「祝・慶老」と町会の配りし茶の小袋を仏壇へ供ふ何とはなしに
秋分にあはせしごとく気温さがり大学ポテトの温さありがたし
秋田からいちじくの甘露煮が届けられ妻は幼時の思ひ出を語る
なつかしき釜石の味とどきけり〈三陸おのや〉の冷凍パックで
秋雨に黄ばみしゴーヤーぱつくりと赤き種見す歯をむくやうに
防衛費五年で四十兆円とふ見出しにうれふ『一触即発』
大相撲の賜杯をいだくはモンゴルの三十七歳玉鷲あつぱれ
雨あがり草取りせむとして茗荷みつけ十四五本ぬきて妻に自慢す
国会も司法も民も何かはせむと内閣一強『国葬』遂行す
五十年で『一衣帯水』ひろがりてパンダの寄贈は貸与になりぬ
物価高に食事メニューが変更さる九月尽にして介護施設は
一日一首(令和四年八月)
小気味よき驟雨で始まる葉月なり庭の生命(いのち)ら息吹きかへす
強き雨にスノーボールの茎たわみ耐へしのぶさまむしろ麗し
雷ひかりとどろきわたる大太鼓。神々きそふねぷた囃子か
一日おきに食卓へのぼるズッキーニひと株なれど地を長く這ふ
パーゴラよりトロピカルな甘き香ただよへりゴーヤーの可憐な黄花そよぎて
ズッキーニの勢ひに押され三株のオクラはやうやう一本みのる
オクラの苗三株育てしが実りしは一本のみなりそれも遅れて
ねぷたの共(むた)津軽の夏は終りなり小雨そぼ降る今日は立秋
他人事と読みゆく『〆切本』の可笑しみに惹かれていつしか涙さそはる
仏壇の富良野メロンの香りたち「いただきます」と破顔で妻は
岩木川の洪水警戒レベル5! リンゴ園浸水の悪夢がよぎる
朝鮮半島から串団子のやうな雨雲は青森を目がけ突き刺さりたり
雨雲が朝鮮半島から串団子の形に伸びて青森を襲ふ
手水鉢の〈吾唯足(るを)知(る)〉とふ文字は止まぬ豪雨にもじっと耐へをり
渡部昇一氏の〈知的余生〉に倣はむと雨の日は書斎で過ごす掃除のあとに
青森の「短命県返上キャンペーン」に〈命の格差〉ぞ見え隠れせる
迎へ火を上手く着けむと苦労せしに早も今宵は送り火を焚かむ
夢うつつに浮かびしフレーズを使はむと夜中に起き出づ無職の気楽さに
精神科医中井氏逝かれその回向にと〈病院ダム論〉を読みかへしをり
牢固たる〈癌もどき説〉を唱へたる近藤誠氏心不全にて急逝
スマートホンにヘリ墜落の報入り南三陸での支援がよぎる
『明鏡』の編集者氏に捻子まかれ医師の募集をネットに探す
感謝状に南三陸町長の笑顔を想ふ。ピグマリオン効果も
近隣の再開発の進みゆきこの年末には街うまるるか
一台の重機にあつさり廃屋は潰れしがあまたの思ひ出かへる
酷暑さり涼風わたる我が庭は秋明菊さき処暑のさまなり
西行法師願ひどほりに春に死す密かに断食を重ねし果(はて)か
つれづれに一日一話を書き継ぎてブログに残さむ日記の代はりに
土居健郎氏の『「甘え」の構造』を読み出すもバイクマシンの脚はまわらず
意外にも花壇の縁にアスパラガス、畑へ移植し来年を待つ
ブログにもランキングあり気にせぬと思えど気になる団塊世代は
縦書きにブログの表示を整へしデジタル歌集は『時をただよふ』
「甘やかし」と「甘ったれ」との蔓延に「甘え」の心性きえさりたるらし
一日一首(令和四年七月)
晴れ間にと収穫したるズッキーニ。チャンプルー風に楽しくいただく
老健から介護医療院への転勤に「これを最後」と本など移動す
真夏日に生(お)ひ立ちにける蟷螂のイチイの木にて鎌ふりたてをり
初日から介護医療院は多忙にて脳(あたま)も疲れて無口になりゆく
雷雨やみ蒸し暑さます夏の夕、エアコン無しでは短歌も詠めぬ
金曜の午後に決りし勉強会。スタッフ向けの資料を準備す
七夕の短冊に書きし誓ひなる「拘束ゼロ」を必ず果たさむ
七夕の願いもむなしく今日付けの退職届で落着させたり
“小暑(せうしよ)”なれど気温あがらず風つよく作務衣に着替へてズッキーニを採る
雨止みてネットに広がるゴーヤーが黄色き小花を咲かせ始めぬ
夕食後に水やりせむと庭へ出で妻と語らふ宵闇のなか
拘束具を咬み切らむとさへする老いゐるに応へられざり無念の辞表
世話になりし職場の仲間に本などを「形見分けだ」と作り笑ひで
離職にて健康保険の切れぬ間に夫婦そろひてデンタルケアへ
とりあへず医者人生の中締めと職場をあとにす 岩木山笑む
大勢の作業員らが雨のなか草刈り機唸らせ虎刈りにせり
雨あがりねぷたばやしの稽古ならむ調子はづれの笛もまざりて
何生(な)るかと見つけし種を植ゑたるにその種は以前食べし西瓜らし
妻とふたり健康保険と年金の手続きのため市役所に来ぬ
聞きなれぬ「ケモブレイン」といふ言葉。治療がボケをさそふとは、ああ
強き陽もゴーヤーが簾とさへぎりてベランダ・カフェにほどよき風あり
昼食後の食器洗ひは我が役目「ありがとうね」と妻は微笑む
梅雨寒に小田嶋隆氏の訃報うけ著書『コラム道』を読みて追悼す
小指より小さき二本のゴーヤーなりいぼいぼそろひ食べごろの態(てい)
静岡の義姉より届きし鰻にて二日のほどを暑気払ひせむ
この度の『医の倫理綱領』の改訂にその趣旨いづこと深読みしてをり
梅雨あけの夏陽をあびてたくましく苦瓜二本ぶら下がりをる
夕餉すませ散歩に出かけし老い二人いつしか歩幅が広がる不思議
新しき健康保険証の届きけり世話にならぬやうにと財布にしまふ
「虚構だ」とあへて断る掌編もいづれは老いの愚痴と言はれむ
午前中の執筆でつかれし脳細胞も昼餉と昼寝で蘇りけり
一日一首(令和四年六月)
蛇苺の赤き小さな実をよけて踏み石の端にそつと足おく
コロナ禍の老い二人には生協の食品宅配もライフラインか
エッセイを医師会報に書き続けいずれ纏めむ『爺医の繰り言』
枯れし庭木いつしか蟻の巣窟なり大鋸で引き漸う駆逐す
ひつそりと木陰でいぢけし紫陽花を濡縁わきへいざ移植せむ
週末のガーデニングの名残かと足腰さすりて職場へむかふ
父の日にとパッションフルーツ到来し一匙ごとの話題は子どもら
久しぶりに夏陽浴ぶれば心地よくセロトニン増し深き眠りも
半月まへ戯れに植ゑしキタアカリが立派に芽を出し縮れ葉さへ生(は)ゆ
『社会的共通資本』の医療なるにもはや破綻のあるを憂ふも
高枝を剪定せむと太枝用鋏もつ両腕に渾身の力を
枯木を伐り強き陽射しに曝さるる五株の万年青は日陰へ移す
薄紅と白ハナミズキの連なれる津軽の「街道」をタクシーにて通ふ
つがる市に梅雨のなければ残雪の岩木山を愛でむ地吹雪忘れて
庭縁に赤白ロゼのアスチルベ雨曇りのなか咲ききそひゐる
松の木を妻は小まめに剪定し我は生垣を大ばさみにて
蔵書あふれ新たに本棚作りしに書斎を背表紙の壁になすはめに
『桃太郎』も芥川龍之介の手になれば心証かはりて「理不尽」とさへ
梅雨なれば書斎のエアコンを除湿にして今日「父の日」は蔵書を整理す
ふるさとへ戻りて一年、町内会のねぷた運行にいくらか寄付せむ
帰郷一年の記念日なれば丹精を込めし庭にて思ひ出かたり合ふ
名を呼べば酸素は邪魔だと首を振る媼は最期に何を思ふか
夏至すぎてズッキーニはいま黄花咲き食卓へ上る日の近からむ
太陽の余命を聞けば人の世のなんと短く切なくもあり
ジャンボヒマワリ本葉出づれば「地植えしよう」と妻は指図し吾は穴を掘る
朝陽あび苦瓜の蔓は手のごとく掴みてネットを攀じ登りけり
梅雨うけて庭に薄紫(はくし)のあやめ咲き編目模様が雨粒にゆがむ
ジャガイモを半分に割り植ゑたるに二株として花咲かせたり
プランターの赤き小かぶを一つ抜き夫婦で半分づつ食ふは喜び
震災後の石巻市民に尽くされし医師・長純一先生おしや逝去さる
一日一首(令和四年五月)
土用とて土公神さまの祟り恐れ庭仕事できず〈数独〉する妻
長男の電話に妻の声はづむ「武者人形を飾らなくっちゃ」
はやばやと届きしゴーヤーの苗なれど「八十八夜の別れ霜」を警戒
唸る風に揺るる木蓮の枝先に花は音なきハンドベルのごとし
七十四年前の鯉のぼりを日干しして立夏に鍬ふり畑をたがやす
「来年は金婚式だね」と朝食で。さは言へコロナ禍やまぬ鬱気よ
満開の満天星の下占めて鈴蘭水仙も白花ほこる
子らからの祝ひの帽子のツーショットを腕のばし自撮りす目つきゆがめて
菜の花の黄におほはれし休耕田を農夫ら眺む何思へるや
田水に映る岩木山ごと代かきするトラクターには農神やどらむ
通勤路の両側に広がる林檎樹はいま白き花、赤き実をまつ
「反抗」とふ花言葉のシャガも顔負けなりその日陰にさへスギナは繁茂す
ライラックの花咲けば想ふ夭折の友のふるさと北海道を
雨あがりの庭にゴーヤーの苗植ゑて「ごちゃまぜ」料理の「チャンプルー」思ふ
庭先まで茗荷が地下茎伸ばしたり因果を含めて裏庭に移す
朝昼の寒暖差が二十度もあるゆゑに通勤服えらびは妻の手借りて
『明鏡欄』へ三か月ぶりに掲載され妻の評価もソコソコなりき
我がエッセイ更に南下し仙台市の季刊誌『みちのく春秋』にも載る
うち払ひし庭木の枝は妻により池坊流に華麗に活けらる
爺医われ被災地における体験よりポリファーマシー見直す津軽でも
雨のなかキッチンガーデンのコンテナに大根の双葉は二列にならぶ
時は‘小満’、オイル塗られしウッドデッキに陽の差し庭はレース透き明るし
キッチンの隅にてキタアカリの芽を出せば半分に切り植ゑしが如何に
だだちゃ豆、ズッキーニそしてオクラの苗、ならべてはみるが畑せま過ぎ
岩木山は残雪どんどん縮小し濃き緑が山頂へかけあがりゆく
「三十度!」にゴーヤーの苗は喜びて今日の津軽は真夏なるらむ
裏庭に移しし茗荷の地下茎より五つ芽の出づ雨に濡れつつ
真夏日が一夜明くれば寒空にゴーヤを気づかふストーブの部屋にて
冷雨やみ初夏の日差に蘇生してゴーヤの苗は蔓を絡ます
ピン札の原稿料を仏壇に供へし妻の読後感まつ
早苗田に強き雨降り映りゐる逆さ岩木山容姿おぼろに
一日一首(令和四年四月)
四月一日、淡雪おほふ庭ながめエイプリルフールの真偽を思ふ
気合入れて朝刊にフェイク・ニュースをさがすなり今日は四月一日なれば
陽だまりに水仙びつしり芽吹きをり軈(やが)て白と黄の花ひしめかむ
陽だまりの雪囲ひ外せば亡き友の形見の棕櫚の緑々(あをあを)とせり
ある媼のレントゲン写真におぞましや胸水に浮かぶ肺腫瘍の影
利尿剤と酸素吸入の効きたるや媼の唇徐々に朱を帯ぶ
病得て個室に移りし媼にはひと日ひと日の安らぎあれな
勝手口にリンゴ箱ならべ土を入れ何を蒔こうかキッチンガーデン
‘清明’の四月八日に雪降れど一年生らの黄帽子は跳ね
鳥曇(とりぐもり)のもと冠雪の岩木山あはき斜陽を光背にうかぶ
花曇りの温き風吹く庭に出て妻は草取り我は耕す
ベランダにテーブルと椅子二個ならべ庭ながめつつカフェで語らふ
縁側わきの藤を植ゑ替ふ庭縁に沿うて白花の屏風たれと
タウン誌の編集者からのお墨付き「面白かった」で二作目を書く
「小説はなんでもあり」との言(げん)あれば書かむと思ふ老いの繰り言
深き雪に耐へしクリスマスローズらは春陽に誘はれ白き花もたぐ
家々の庭に植はるる木蓮の白き花らは雪洞のごとし
雪どけにダム放流されし岩木川の水増し護岸に逆巻き流る
生垣の椹(さはら)の古枝ら切り除(と)ればミツバツツジに春風かよふ
古希過ぎし妻の誕生日おもひだし味噌汁のみつつ「おめでとう」と
連翹の枝にびつしり花のつき囀り交はす黄の小鳥とも
春陽あび土手に水仙の黄毛氈はるか岩木山に残雪まぶし
岩木川の岸辺の葦牙(あしかび)睥睨して土手に桜の咲き始めけり
猩々袴、別名ジャパニーズ・ヒヤシンスが松の根元にひそやかに咲く
催花雨やみ庭の花々に誘はれて妻ハサミ持ち吾はスコップを
沈丁花の香れる庭にて妻とふたり草を取るさへ楽しからずや
庭先の手水鉢(てうづばち)脇の木瓜(ぼけ)の若木なに色の花を咲かせたるにや
白き花まとふ雪柳の細枝の揺らめくさまに春風の見ゆ
球根を土竜に齧られても黒百合の蕾はふくらむ催花雨のなか
二年ぶり月刊『弘前』への連載に「ごきげんね」とぞ妻もよろこぶ
三月(みつき)ごとのデンタルケアを受けたれば足取り軽し春風のなか
自転車を連ねてつきし墓地公園の我が更地には桜吹雪まふ
妻のあと自転車連ねて墓地公園へ。墓の予定箇所に桜吹雪まふ
一日一首(令和四年三月)
弥生に入りコートは薄手に。タクシーは春霞たつ津軽路をぬふ
憧れし加山雄三がなすといふリハビリに倣ひバーベル握る
内裏雛の視線に誘はれ障子開く。まさに庭こめ雪しんしんと
雪のあと春雷とどろき内裏さまさへも驚かるる今日雛祭
雪原に立ちならびゐる林檎樹の剪定されし小枝に春みゆ
「啓蟄」と暦は言へど我が庭は深雪に埋もれ虫らは夢のなか
明恵上人の和歌にいざなはれ上人の四十年に亘る『夢記(ゆめのき)』 読まむ
岩木川は雪濁りの流れ滔々たり真白きほとりに春霞たつ
雪原に剪定すませし林檎樹はマリオネットのごと枝広げをり
陽をあびて岩木山おほふ雪さへも青空うつすいよいよ春なり
色違ひのスマホを持ちて妻とわれ新規設定に休日つひやす
東日本大震災から十一年。気仙なまりは未だ忘れず
老境は須(すべか)らく妻に従ふべくスマホ買ひケースもそろへて候
随筆も安楽椅子に身を沈めスマホに語りて草し終(を)ふなり
みづみづしき新玉ねぎのスライスに鰹節かけ春を味はふ
屋根雪とけ雨音ひびく軒下の黒き土には草すでに生(お)ひて
雪解けに日ごと道幅広がるも路面の窪みで居眠りならず
夢うつつに長く揺れしが目覚むれば十一年前の大地震(おほなゐ)に繋がる
彼岸入りに庭の日向に福寿草の五株がはやも芽吹き初めけり
一面の銀世界には音のなく雪つもりける春彼岸の朝
引越しや大雪にも耐へ臘梅は津軽で根付き雪囲ひに咲けり
真東にうかぶ朝日に掌(て)を合はせウクライナの平和を切に祈りぬ
緒方洪庵『扶氏医戒之略』に鑑みて良き医者たるには耳の痛さよ
地震後の電力逼迫の報よみて「暖房は無理」とテレビ消す妻
留守がちな主に初めて見つめられ黄金色かがやく庭の福寿草
菜園の予定地の雪を砕きつつ何を植ゑむかと農夫の気分
雨ふりて堅雪も溶け庭木々は枝はねあげて春の陽を浴ぶ
道沿ひの防雪柵もたたまれて雪どけの田に春風ながる
最高気温12度Cとふ 春風を切り裂き消防車五台が走る
雪どけの水田につどふ白鳥の首しなやかにSの字えがく
タウン誌の『医者様の繰り言』の連載に早や濫觴で逡巡する筆
一日一首(令和四年二月)
3Gサービス終了を潮時にケータイ無用の気儘もとめむ
大雪につぶされし小屋が道ふさぎタクシーは大きく迂回させらる
節分の朝(あした)はややに陽も強く庭の冠雪ゆるむ気配す
「立春」とふ語の響きよく元気が出て朝焼けの中を職場へむかふ
不意を衝き地吹雪しまきて津軽路は立春の日のホワイトアウト
介助にて「思いやり」とふ巧言の裏に「効率化」の見え隠れせり
雪の壁を僅かに掻きて汗かくも道ひろがらず春早く来よ
はやばやと二月初旬に雛人形かざる妻の背に娘(こ)らへの慈愛
「ありがとう」を笑顔でくりかへす妻に対(む)き小声でかへす「ありがとう」と
愚痴言はず感謝の日々を経しのちは「ありがとう」と告げむ縦(たとへ)惚けても
感謝のむた心穏やかな老いの日の早く来たれと凡夫の吾は
世のなかに博覧強記の者あれど知識を生かす知恵あらざれば
知識と知恵、似て非なるものなれただ単に博覧強記といふは寂しき
企業たるマスメディアゆゑの煽り記事。それと見破る眼力がいる
長男の四十八歳の誕生日けふ若き産科医たりし日々よみがへる
職場でのバレンタインの義理チョコさへ煩はしかる心の綾の
氷点下さへ立春すぐれば「春寒(はるさむ)」と詠みて春恋ふ風流人たち
百二年の人生閉じし媼には銘酒『天寿』を奉りたし
春陽あび冠雪はらひに深雪の庭を歩みて腰まで踏み抜く
当世の鉄面皮らに贈りたき「名こそ惜しけれ」武士ならねども
節気「雨水(うすい)」、変り目となり窓を打つ地吹雪さへも湿り気はらめ
近頃は新聞下段の黒枠のお悔やみ欄に「医師会」ならぶ
女學校のアルバムにみる十六歳(じふろく)の母のセーラー服姿まぶしかりけり
雪道の吹き溜まりに軽トラはまりゐて二月下旬は冬の掉尾なり
天皇誕生日、降りやまぬ雪に埋(うづ)もれて温き部屋より呆(ばう)と眺むる
『この国のかたち』に込めし司馬遼太郎の遺言のごとき思ひ身に染む
コサックの末裔なるやウクライナ。懐かしき歌「ステンカラージン」
軍刀をたづさふる父の写真(うつしゑ)に感慨ひとしほ 故に我在れば
雨しぶき雷(らい)とどろきて春の幕開きたり三月に間に合ひにけり
一億五千万キロ彼方より射す陽に溶けて雪はちりちりと幽(かそ)けき音(ね)をあぐ
一日一首(令和四年一月)
初茜に木々の冠雪(かむりゆき)ほのと白む新しき筆にて年初の短歌(うた)を
雪ふみて天満宮へ詣づれば執筆初めは淀みなからむ
五冊目のキンドル本を上梓して六冊目に向け筆執り始む
初夢に詠みたる短歌(うた)の目覚めにて消え去り願ふ夢の録画を
百五歳の媼の胸にステトあて「元気な音だ」と御用始めに
大晦日にバリカン使って頭スッキリ、‘小寒’の今朝「やや、早まったか」
寒に入り雪はひたすら降り続き除雪の壁は背丈超えむとす
「七草よ」と妻の作りし〈けの汁〉にほんのり香る亡き母の味
〈寒〉にこそ朝陽にむかひ手をあはせセロトニンふやし健脳たもたむ
寒中に小雨まじりのプラス二度。春の気配は妄想なるか
凍て道に転ばぬやうに手をつなぎ老いの散歩の意外に楽し
雨のなか雪どけ道にしぶきあぐるスノータイヤの音たのもしき
猛吹雪に煽られながら背を丸めフードをおさへて回診にむかふ
除雪車の置土産の氷壁かたづけし額に舞ひくる雪片すずし
雪庇こゆる地吹雪を突き進むタクシーはさながら風洞実験
山茱萸の冠雪はらへば萎びたる赤き実のそばで既に蕾が
寒中の小雨に山茱萸の黒き肌うちしめりゐて妖艶なりき
雪道の轍に振られしタクシーを降りるや否や目眩(めまひ)に襲はる
満月の惜しげもなく照らす雪道を揺られて帰る タクシー温し
朝陽さす雪原にわく朝霧に厳然と浮かぶ蒼き岩木山
大寒なり 昇りくる日に手を合はせ延命十句観音経唱ふ
大寒にてさむさ底うち今日からは「三寒四温」とはや春を恋ふ
三月ごとのデンタルケアの予約せしも滑る雪道に田沢歯科とほし
九十七歳の現役ナースの手記を読み「死ぬまで働く」の意気に魂消ぬ
不安なり短歌教室ものぐさの二日続きの急な休みに
なにごともなかりし由に斧正請ひて謝意籠め今日も短歌を一首
わが市にも「蔓延防止等指定重点措置」とぞ。神仏を頼みに今日も職場へ向かふ
ピンポ~ンと子らから祝ひの届きたり。あと数日で七十四歳とは
ひさしぶりの地吹雪に遭ふ通勤なり津軽の冬の掉尾たるべし
屋根雪のすべる快音、寒中にハエトリグモもすばやく動く
七十四年経て〈姙産婦乳幼兒手帳〉は黄ばみけり。赤飯そなへて仏壇に掌(て)あはす
服薬やめ低血糖症状の消え去りて老医のわれに気力よみがへる
一日一首(令和三年十二月)
気がかりな事がつぎつぎ際限なし短歌を詠みて気分転換す
木曜はフレイル予防に肉を食ひマシン漕ぎつつ『養生訓』繰る
玄関は妻がシンビジウムの鉢など置き師走初旬からクリスマス・モード
朝の陽の七色アーチが突き刺さる山の端さして津軽路を行く
雪かきもアスレティックと頑張りて一汗かけば風呂ここちよし
月曜の朝は雪曇にて重苦し車中でせめて楽しき作歌を
大雪(たいせつ)の日に雲を裂き陽のさして冠雪(かむりゆき)とけ垂雪(しずりゆき)ひびく
夜明け前に朝食すませて出勤し日暮れて戻る冬至の近く
朝刊に後輩医師の訃報載る。心沈みて朝陽のまぶし
好天に雪の岩木山は青く照るも週末の朝陽にじんわり溶けて
息子より岡山転勤の電話うけ「遠くなるね」と妻はポツリと
今夜から降雪との予報に満を持し玄関前のロードヒーティング
地吹雪に尾灯を追へるタクシーも内は温くて吾は舟こぐ
突然のオイルヒーターの不具合にエアコンでしのぐ大雪(たいせつ)の候
しとどに降る師走の雨に二日(ふつか)前の地吹雪のあとの田は水びたし
山口仲美著『日本語の歴史』を音読し言文一致の妙を味はふ
小雨ふる師走の暗き朝なれど土日を前に今日は頑張る
朝陽あび庭木の雪の輝けりこれぞ津軽の冬の詩情なり
真冬日のベランダの雪を眺めつつ珈琲すすりて週明けに備ふ
一面の銀世界を行くタクシーのまひあぐる雪煙に朝陽のかすむ
公表の〈健康寿命〉はさておきて吾は唱へむ「一病息災!」
冬至の朝、吹雪きて道はホワイトアウト。古人に倣へば今日が年明け
もさもさと積もりゆく雪ながめつつ「春よ来い」などのメロディうかぶ
〈えんじゅの里〉の食堂にハンドベル鳴るに老いたちはひたすら和菓子を食すに夢中
寒波つれサンタクロースの来たるらし。冠雪の松の滑稽なるさま
冬至すぎ朝陽の輝き増したるらし。思ひは既に雪消(ゆきげ)の庭へ
車庫前まで雪が山なし積まれゐて除雪車の有難さも迷惑に変はる
大雪警報!ガタガタ道の通勤に難行苦行の往復二時間
寒波去り陽のさす老健えんじゅの里、今日が御用納めか、岩木山あふぐ
娘から煮しめの味付け法を尋ねられ受話器を握る妻はたちまち母に
神棚の煤払ひをし御幣替へ短歌(うた)を詠むなり大晦日の朝
晴れたれば凍て庭に出て枝や葉の冠雪はらふ大晦日の昼
一日一首(令和三年十一月)
晩秋に「新春随想」のネタ探し気分を令和四年へ飛ばして
肥大せる前立腺の影みとめポケットエコーにサイズを尋ぬ
ひさびさの晴ゆゑ散歩する〈文化の日〉コラムを新聞へ投稿もして
診察後に握手をすれば恥ぢらひて笑む媼らは母にもおぼゆ
レントゲンにぐしゃりと潰れし椎体二個 これでは腰もさぞ痛からう
エイジズムも肯定的に唱へれば亀の甲より歳の功なり
妻さそひウォーキングに汗ばみて半袖姿に。立冬の日に
忙しく朝からバタバタ飛びまわり気づけば夕陽の山の端を染む
老人を包括的に診らるるは老医なりとふ言や宜なる
診断書に老衰と記し捺印す窓打つ氷雨の音のかそけさ
車いすに座らせっぱなしの介護では媼の心もささくれだたむ
風呂なれば流れ作業で…とふ洒落か、介護の業に合点のいかず
老健のマネイジメントの要諦は有限リソースの賢き遣り繰り
病院から老健へと変はり視座もまた個々の老人介護に活力探す
どんよりと津軽の空はよどみゐる心の芯まで鬱々となる
受けざれば気づかぬ事も多からむ介護の業と情けのかかはり
痛がりし翁もぷつくり腫れたる膝の穿刺受け笑顔に変はりぬ
巻き爪と爪白癬の処置なせば媼らは笑まひ疲れ吹き飛ぶ
「おかえり」と妻の迎へは変はらねど金曜日にはひときは弾む
週末は小春日和に。妻さそひ散歩をかねて煎餅屋へ行く
いさぎよく丸刈りせむと思へどもバリカン持つ妻はそれを許さず
老いの身に週休三日はありがたくあと数年は医者つづけたし
妻と吾と勤労感謝の日の朝に労ねぎらひ合ひ珈琲うまし
初雪が地吹雪となれど迷ひなく完全防備で回診へ向かふ
水虫の巣食ひし爪に刃をあてて抉りとるなり彫師のごとく
高飛車な家族の言に難儀するも医師の矜持で軽く受けながす
初雪の庭に八手の緑映え厄除け念ず一病息災をと
ペダル漕ぎ養生訓を唱ふれば脚と脳と喉にもよろし
雪空を連なりわたる白鳥の鳴き声のむた墨絵にまがふ
タクシーのスノータイヤの走行音うるさけれどもいつしかララバイ
一日一首(令和三年十月)
藁焼きの煙にかすむ津軽路に車ら渋滞ライトをつけて
秋晴れの土曜の午後はベランダで茶をのみ本を読むなどで過ごす
老眼鏡あはなくなりて不快なり。散歩がてらに眼鏡屋へ寄る
常ならぬツナギの下着を着せられし翁の眼(まなこ)は何もかたらず
タクシーのメーター上がるたびに近づかむ我が家の風呂と飯とベッドに
雨あがり雲海にうかぶ岩木山 錦秋の時を楽しみとして
冷えまさり「岩木山に初冠雪!」と思ひきや頂にかかる浮浪雲なりき
今まさに媼の霊は病床を離れてよもつひらさかを逝く
新しき眼鏡をかくれば容貌まで「好々爺ですね」と妻はほほえむ
新しき眼鏡をかくれば視力上がり脳活性化して仕事はかどる
秋晴れにサイクリングと思ひ立ち更地の墓地にて岩木山を愛づ
雨降りも良きお湿りと思へれば月曜の朝も安寧ならむ
雨降るは良きお湿りぞと励まして月曜の朝出勤せむとす
右足の動脈つまりて壊死せしも飯くふ翁に死相はあらず
菊晴れに紅葉(もみぢ)さかんなり岩木山 庭に寒露の朝陽に光る
ななかまど赤々とせる彼方には岩木山まさに錦秋の時
遠き家路つるべ落としの太陽にせかさるるごと夕餉をめざす
自らの足がミイラのごとかるに気付かず翁は息引き取りぬ
初雪の報に岩木山をながむれば錦秋はなほ朝の陽に映ゆ
世はうつり法令などさへ変はれども〈えんじゅの里〉の‘ゆでがへる’らは!
御襁褓やめトイレを済ましし媼なり笑顔うかべて尊厳さへ帯ぶ
新刊に検印おして読みをへし吾はさながら図書係なりき
錦秋の岩木山けふまだらにも冠雪さへしてひときは雅趣あり
日に一首を続けて気づけば一千首。一万首ならば百寿祝ひか
ラシックス1アンプルの静注に媼が胸の木枯し去りぬ
編物の得意な媼に勧めけり痛む両膝のウオーマー編むを
ぱらぱらと霙の窓打つ音に和し土地整備の重機ら競ひ働く
指の痺れ訴ふる媼に握らする“あやこ”はお手玉 リハビリのため
抗認知症薬つづけさせこし媼しめす〈易怒性〉に抗精神病薬の追加はなからう
水曜は十五分だけ早退しタクシーにのりこみホッと息つく
最新型ポケットエコーは探り出す媼の子宮溜膿腫の影を
雲破り射す太陽光あび白鳥らそれぞれ無心に落穂ついばむ
青森県医師会報掲載の拙文へなつかしき友より祝ひの電話あり
一日一首(令和三年九月)
通勤のタクシー五十分かかれども一首詠むにはちやうど宜しも
通勤のタクシーより見るバス停名「下青女子」は「しもあおなご」とふ
岩木山の裾野を通へば「船沢」とふ地名のありてその由来あやし
パーゴラに木香薔薇を誘引せり。「早く育てよ黄色の日よけ」
涼しさも程が過ぐれば「寒い」と言ふ。はやダウンベストの心地よき秋
タクシーのエアコンは早や暖房に。月曜の朝からまどろむほどなり
草の露白き候なり我が庭に小さき花ども競ひて咲けり
タクシーの荒き運転に五十分。ストレスためて仕事にむかふ
強き雨に頭を垂るる稲穂たち今年の米は大安値とか
くりかへす誤嚥性肺炎の予防にと半夏厚朴湯を自家薬籠に
また誤嚥!ポジショニングと食支援さらに薬の調整をせむ
秋晴れに庭ながめつつ本ひろげ医師脳(いしあたま)にも知識つめこむ
誤嚥性肺炎と誤嚥性肺臓炎とは似て非なり。病態みきはめ治療いたさむ
ストレスにならぬやうにと気をつかひストレスためて腹いたみたり
けなげにも実を十個余も細き枝につけて林檎の若木立つなり
昼下がり腹病みてわれはタクシーに乗り込む後(あと)を同僚に託して
腹いたみて旧友営む内科医院へ駆け込めば院長名はその息子(こ)の名前
澤田内科医院の元院長は旧友にて診察にたちあひ我をいたはる
若院長の内視鏡診察たくみにて「胃も大腸も異常なし」とぞ
最悪は大腸への膵臓癌の浸潤なりCT検査はそを否定せり
痛む腹のポツンと赤き膨疹は帯状疱疹 パラシクロビルにてよろし
ノートパソコンに大型モニターを接続し何かと便利 敬老の日に
ひむがしの地平にうかぶ十五夜の柿色の月に快癒を祈る
ヘルペスの痛みうすらぎふと浮かぶ「薄皮をはぐやうに…」とふレトリック
病むゆゑか浮かぶ一句は「虫の音の短調に変はる秋彼岸」など
柿色の月に届けと紫の十五夜草は芒と競う
秋陽あび散歩がてらの通院に「病は気から…」と汗ぬぐひをり
亡き父の半纏みつけ羽織りたり朝の寒さに父のぬくもり
病癒え十日ぶりにかよふ津軽路は刈田ひろがり林檎はたわわ
寒き朝わが出勤を待ちゐしごと逝きし媼のおだやかなる顔
空覆ふ鱗雲のした岩木山の紅葉すすみ朝の陽(ひ)に映ゆ
夕やみに藁焼きの煙たちこめてシルエットさへかすむ岩木山
一日一首(令和三年八月)
蒸す大気をゆすれる草刈りエンジン音 不快指数をさらに上げをる
蒸し暑き大気にひびく笛太鼓はねぷた祭りのお囃子ならむ
新しき網戸に替へて心地よし真夏の夜も良き眠りとならむ
つがる市のふるさと納税おもひ立つも返礼品の多彩にまよふ
バタバタと〈えんじゅの里〉をとびまはるスタミナ配分顧慮の外(ほか)にて
青森県つがる市さへも熱波受く 炎暑の今こそ地吹雪おこれ
〈えんじゅの里〉の診察室の引越に汗かきてスタッフら絆を深む
温度計の‘三十六度’をにらみつつ「今日は立秋」と唱へてをりぬ
深緑色の公用旅券に記さるるアラビア文字のかなし懐かし
エアコンの吐く水ながめ感謝せり蒸す大気より絞りし技に
掛軸を替へむと床の間の父の遺品を曝涼すなりお盆に向けて
雨あがり涼風至る夕まぐれうす掛け羽毛布団を早目に出して
夕暮れにカナカナと響く蜩の生き急ぐごとき声のせつなさ
夕暮に蜩の鳴くカナカナの響きは気に沁み心ふるはす
お盆とて茄子と胡瓜に箸さして精霊牛馬となし仏壇の前に
仏壇へ朱塗りのお膳をそなへたり浄土三部経のCD聞きつつ
ひさびさに『失敗の本質』を読み返す終戦記念日のおだやかな午後
二十歳からハンドルにぎりし半世紀の〈運転経歴証明書〉を得ぬ
肺炎と診断をつけ点滴し自宅へいそぐ薄暮の津軽路
雨ふりて緑濃き林檎や稲田ぬひ津軽路を経て〈えんじゅの里〉へ
理事長へプレゼンせむとパソコンにデータを打ち込みパワポで飾る
エネルギーを使ひはたしし金曜は帰宅の車中で舟をこぐなり
夕飯と十時間余りの爆睡で老医師われは充電完了
めざむれば蒙霧升降する庭さきに新しき日よけのストライプ眼に沁む
盆すぎて処暑に入りぬ出勤のタクシーに上着を羽織りて乗り込む
ボイラーを新調しての初シャワー疲れも流す打たせ湯さながら
強き雨に黄色の合羽をはおりたる案山子立つなりお役目として
アマゾンからコンデジカメラ買ひたれど届きしは大箱でほとんどが空気
薬剤の散布車〈スピードスプレーヤー〉は津軽路に渋滞おこし林檎園へと
津軽でも診察終へれば媼らは笑みて掌(て)を合はす。医者冥利なり
「天地始めて粛し」とふ処暑の候なれどエアコンをドライに〈甲子園〉を観る
岩木山を眺めて通ふ津軽路に無数の林檎が色づきはじむ
岩木川のラバーダムにひそむ小魚をあさりて飽くなき白鷺に秋
一日一首(令和三年七月)
初日から〈えんじゅの里〉は多忙にて老医われを待ちかまへてゐたるや
岩木山を正面に見つつ昼食し気分はすでに津軽衆なり
築二十五年の我が家にもどり修繕など快適な終の棲家となさむ
さ庭にて甘栗を受けに茶を喫す自づと夫婦の会話はづめり
通勤のタクシーの中で短歌よめどついうとうととして霧消せり
運転手もルートも日ごとに異なれど職場には同じ時刻に到着
七夕に友の訃報の届きけり牽牛織女の逢はむ今夜に
医局にてランチとりつつ頼み込み他科診察の快諾を得ぬ
左方なる岩木山ながめ出勤し帰りは疲れて夢のなかなり
真夜中に業務改善のアイデアがふいに湧きたれば急ぎ記せり
二十年ぶりの青森県医師会報にわが縦書き脳はしばしとまどふ
転勤十日、介護医療院と老健の連携強化を模索し始む
〈東奥日報・明鏡欄〉に随想寄せふるさと回帰のよろこびを記す
笛太鼓!〈えんじゅの里〉は佞武多なり破顔で翁も媼も囃す
あたらしきニッパーにて爪を剪りやれば媼は足より変若(を)ち返りけり
当直医に「看取りになればよろしく」と書き残ししは週末の夕
週末のわれの帰宅に間に合わせ媼は四時に黄泉路へと発ちぬ
黄のクリアブックに「メイドインインドネシア」のタグありて貼りし娘ら偲ぶかな
家中(うちぢう)の灯りをLEDにして皺がよく見ゆるも喜ぶべきならむ
33度の熱波の中を老健と介護医療院を往復するなり
「給料は社会貢献への報酬」と新しき職場の明細書を受く
九十四歳の媼が歌集出し驚けり『薔薇を抱く』とふ表題にもまた
大暑の候、四連休はありがたし.。二度寝をさそふ早暁の風
大暑に入り家にこもりて繙くは老いの痛みに『整形内科』
スモークツリーの隣家へのびたる枝きればその香に大暑の朝もさはやか
自転車のチェイン洗ひて油さし大暑の朝に汗流しをり
百枚の処方箋さへ労せずに電子カルテはペンだこ知らず
雨降れば老健と介護医療院を傘さして往復するさへ遠き道なり
つがる市に台風八号近づかば林檎あやふし舐瓜も西瓜も
ありがたき盆休みなる風習にて〈えんじゅの里〉は三連休なり
むくむくと入道雲のわきたちてしばしのあとに猛烈な雷雨
来春の3G終了を潮時に解約しやう携帯電話は
一日一首(令和三年六月)
梅雨模様にアロマディフューザーを片づけて近づく引越の準備を急ぐ
アンテナをたたみて暫し閉局す津軽の空へCQ発信まで
じりじりと朝日にあぶられ十階の階段昇降す 朝飯うまし
勝海舟の「毀誉は他人の主張」にして「我与らず」との言まこと同感
‘候’は芒種、早苗の並ぶ水張田(みはりだ)に綿雲かづく岩手山うつる
老ゆるほどユーモアと笑みの大切さしみて思へり怒りは忘れ
荷造りの「バブルラップ」とふ名を忘れ妻は電話で「プチプチ」と言へり
JOC経理部長の死のかたる東京五輪の闇のふかさよ
うちあげられしマッコウクジラの胃の中に30キロものプラスティックありしと
日時計の影は時刻を示せども〈漏刻〉の水嵩は時間ならずや
施設長の四年八か月を感謝して〈老健カルモナ〉の弥栄を祈る
ぶつぶつと不平もらすも荷造りを共同作業するわれら老夫婦
〈盛岡タイムス〉へ最終稿出し初稿より二年半余のおもひでに耽る
あらかたの食器はすでに荷造り済み卓上の皿は常に変はらず
すさまじき雷鳴のあと夜の明けて岩手山に積乱雲たつ
雷神は二日つづきのお勤めでさすがに今日は充電中か
金(かね)のため何がなんでもやるさうな。東京五輪、否コロナ五輪を
ナイーブな民の心をもてあそぶトーチキスとふ五輪の儀式
切り戻して段ボールに詰めし鉢植の枝より若葉がすでに出でくる
父の日にふと思ひ出づわが父を老衰死なりと診断せしこと
目覚むれば夏至の暁あかるかりもそもそ起きてトイレに向かふ
岩手山に高速バスより分かれ告げ津軽の我が家へ帰りなむいざ
なつかしき〈東奥日報〉を購読し津軽のくらし今日より始む
盛岡より伴ひし蝋梅一鉢が津軽の地にても根付くを祈る
梅雨晴れの庭には花々咲きさかりわれらが帰りを待ち焦がれゐしごと
わが庭の陽だまりに植ゑし棕櫚ながめ陸前高田の亡き友を憶ふ
故郷への引越しを機に断捨離し終の棲家は「あんづますぐ」なる
薫風にレースのカーテン緑(あを)くゆらぐ吾が淹れしカフェの香りとともに
つがる市の「えんじゅの里」なる老健が終の勤めぞいよいよ始まる
気ばらしに庭の草とり収穫せし蕗は煮つけで箸休めとなる
一日一首(令和三年五月)
静岡の義姉より届きし茶を飲めば「八十八夜~」と唱歌の浮かぶ
コロナ禍のステイホームの徒然にキンドル濫読エッセイ起筆
雨つづく黄金週間の中日(なかび)には『憲法入門』を読破せむとす
唐突に「五月四日は何の日」と問はれて詰まる〈みどりの日〉とぞ
立夏の候、けなげに泳ぐ鯉のぼり。岩手山ではまた吹雪とふ
二年後にはコロナ禍も去らむ五月六日金婚式を祝ひたきもの
「歴史的仮名遣ひ」と言へば大仰なれど旧かなづかひにて作歌を続けむ
笹蒲鉾かめば筍コリコリと朝餉に愛であふ小さき春を
〈母の日〉は五月の第二日曜なり。〈こどもの日〉とは付かず離れず
子らからのプレゼント届き忽ちに妻の顔から母に変りぬ
淡々と聞きながしをらば世に在りて諍ひのなくのどけからまし
コロナ禍に免疫機能たかめむと日に三度(みたび)九階までの階段昇降
朝日あび階段昇降しておけばメラトニン増し深き眠りも
十階を昇降しつつ短歌詠めばボケ予防にも恐らくならむ
ベランダに鉢植ならべ雨まつも予想外れてジョウロ(如雨露)雨降らす
夫婦とは斯くあるべしと得心し生物多様性を修めをるなり
雨催ひに鉢植どもを切り戻しひと月先の引越に備ふ
老医われ終の職場に選びしは〈介護医療院〉ふるさと津軽の
小倉謙著『砂の上の精神医学』を読了しその論鋒の鋭さに目眩す
引越の日取りも決まりいそいそと準備に精出す妻の肩揉む
今にして一億五千万円関知せずと自民幹部らはや保身に走る
麦雨ふり小満の候となりたれど新型コロナますます勢ふ
也有翁が『鶉衣』を眺めつつその諧謔的生活を推察しをり
引越の見積すめば大量のパンダマークの段ボールの束
今朝も又ものぐさ短歌教室の子弟の遣り取りにくすりと笑ふ
妻手配のシモンズ・ベッドに目覚むれば雲上人のごとき心地す
シュレッダーはザーザザーザとかみきるも老健施設長の五年は散らず
隠居せしパソコンたちのOSをリナックスに替へ再雇用せむ
介護医療院より「白衣」の希望の色きかれ「紺」と応へき奇妙な応答
老医われダイバーシティに寄り添ひて「女性老年内科」を掲げむ
衣更へに引越かさなり荷造りの段ボール箱の山は壁なす
録画してオンディマンドで快適にコマーシャル飛ばしテレビ視聴す
一日一首(令和三年四月)
くれぐれも今日を切っ掛けに油断なく! 新聞記事にもエイプリルフール
今日でさへ嘘はつかぬと政治家ら弁舌さわやかエイプリルフール
黄砂やみ青空に映ゆる白き峰にコロナ禍もやめと掌(て)を合はせをり
君知るや三十代と二十代の死因一位が〈自殺〉なること
作歌始めやうやく八百日目なり春陽の輝き殊に眩しも
かつてなら結核に逝きし若者の尊き命を自ら断つとは
盛岡西消防署の銀屋根朝の日にかがやき五羽の鳩つどふ見ゆ
出動のサイレンに鳩はとびたつも火事に興味なし舞ひもどりたり
妻留守の日は「シーン」とふ音聞こえ〈時〉のゆるゆる進む感あり
妻留守のゆるゆる過ぎし〈時〉に乞うあと二晩は倍速モードで
東大総長コロナ感染の報を見て五十七歳とふ若さに驚く
五十七歳にして東大総長を務むる人も新型コロナは避けてはくれず
うつすらと雪の覆へる銀屋根に四月の朝陽がそそぎて眩し
エフイチの原発汚染水海洋放出も「アンダーコントロール」と日本政府は
青空に真白き奥羽山脈のび見下ろせば桜まさに咲き初む
鞍掛山登頂時に拾ひし団栗は小楢の若木となりて芽吹けり
エフイチの放射性水はタンク千基、海へ四十年かけ放出するとふ
エフイチのトリチウム含む廃水は行くか七つの海の果ての果てまで
公園をぐるぐる走るトーチをば「聖火リレー」と言ふ人らをり
中止とは口が裂けても言へぬらしオリンピックまであと百日ぞ
みそ汁を薄めてみても飲み干さば高血圧の予防とならじ
限りある海にトリチウム垂れ流し「杞憂」と笑ふ人もをるらし
ZOOMでのリモート会議に嵌まり込みパネルづくりやヘッドセットも
娘(こ)らからの誕生日祝ひの電話うけし妻のうれしげな声の響けり
緊急事態宣言も三度目となり人間がコロナ変異種に嗤はれてをるか
菅首相、バイデン参りすコロナ禍に不要不急の誹(そし)り尻目に
穀雨の候、「春眠暁を覚えず」とふ孟浩然詩の真意を知りぬ
すぐ出さぬ緊急事態宣言に首をかしぐる‘緊急’ではあるよ
帰郷すべく退職・就職にむけて連立方程式の解をまさぐる
いづれ来むZOOM面接に備へむと逸る心を文に綴れり
買出しはリュックにバッグの散歩なり往きはうきうき帰りはふうふう
俯瞰する街には雲の影まだら遠山にさまざまな雪形のこる
岩手日報の「よい出会い運」の占いにリモート面接の上首尾ならむ
穀雨の候は「五風十雨」と言ふなれど平穏無事には遠き世の中
昭和の日に惟るなり戦場で果てし余多の大御宝を
指折りて引越も十二回目と数へつつ思ひ出しをりかの日かの場所
一日一首(令和三年三月)
十度目の弥生に悼む「忘れない」岩手日報の見出しの嗟嘆
岩手日報の「忘れない」特集によみがへる十年前の弥生の惨事
「七万円払っておけば…」と悔みつつ広報官は入院せしか
才媛は広報官までかけあがり只飯くひてゲームオーバー
大勢の媼と祝ふ雛祭り散らし寿司には桃色でんぶ
世のなかに〈文春砲〉のなかりせば霞の心のどけからまし
今日もまた〈文春砲〉の鳴り響き霞が関は大揺れならむ
啓蟄に霞が関のお偉方は逆に入院の為体(ていたらく)なり
人類の一万世代にくらぶれば十世代にたるか文明社会は
人類の誕生以来の歴史に比し現代文明はいまだ揺籃期
飢餓遺伝子を一万世代も受け継ぎて飽食に病む現代の皮肉
ベランダで吹雪に耐へし鉢植の蝋梅咲きたり五十余輪も
コロナ禍に五十輪余の蝋梅は薄化粧にて春を告げをり
十年前にメルトスルーと知りつつも偽りし政府を今も忘れず
昨今の「あれから十年」に郷愁の募りて弘前のわが家を憶ふ
福島は汚染水処理さへ先送り「石棺」とふ文字が冷ややかに浮かぶ
福島の廃炉工程は目途立たず「石棺」とふ文字が冷ややかに浮かぶ
SNSの「いいね」を求むる呪縛とけスマホを持つも通話するのみ
ナースから「39度!」とふ電話うけ「もしやコロナ?」と寝つかれざりき
朝刊のわがエッセイに思ひをり九年前なる〈財当仮設〉を
雪形の鷲飛び去りてふたたびを真白なる岩手山ま青な空に冴ゆ
騎兵第三旅団あとのプラタナス〈宮家お手植え〉にして令和に伐らる
明治からの世の移ろひを見飽きしや喬木プラタナス令和に逝きぬ
春彼岸に入れど盛岡は風寒し防寒コートの襟たて出勤
専門店〈一本堂〉の開店祝ひの花輪の辺りに食パンの香り
食パン屋〈一本堂〉は一人づつ客入れ応対すコロナ対策で
岩手山の頂(いただき)あたりに現はれし鷲の雪形 今日は〈春分の日〉
土曜日が〈春分の日〉とてつぶやけり「振替へならずもったいない」と
真西なる山の端にかかる太陽を妻とをろがむ「南無阿弥陀仏」
おだやかな〈春分の日〉の夕餉どき強き地震に椀おさへけり
〈一本堂〉もちもち食パンこんがりと湘南ゴールドバターで日曜ランチ
今にして『往生要集』を手に取れば幼きころの閻魔堂の壁画
春彼岸あけて盛岡に霞たち「の・ど・か」の文字が頭をめぐる
六道輪廻の生死かさぬる世と知れば今日も不善を為す能はざる
本日は電気記念日、感謝して暖かければエアコンを切る
明治十一年アーク灯50個ともりたる三月二十五日は電気記念日
臨終にて欣求浄土を十念す 死因欄には老衰と記す
ZOOMなるリモート会議で気になるは画面の下の小窓のアホ面
春陽あびベランダ花壇の手入れして地上へ一度も降りぬ日なりき
連載の随筆ははや百回目、その表題を「ぼけなりに」としき
ワクチンに負けじとコロナ変異株。継代の意志持つかと思はる
春陽さへ浅黄の紗に変へてたゆたへる黄砂の里はゴビ砂漠らし
コロナ禍にゴビ砂漠より飛来する黄砂のおほふ日本列島
一日一首(令和三年二月)
神棚の誕生祝の赤飯を妻の思ひと噛みしむるなり
令和三年は立春が一日早く来てベランダの雪は既に消えたり
ありがたきナイチンゲール精神に支へられコロナ禍を乗り切らむと励む
〈最強の85歳〉とふビデオ見て舌禍のやまぬ森〈翁〉を憂ふ
〈最強の85歳〉とふビデオ見て舌禍のやまぬ森〈翁〉を恥づ
買ひ出しし四箱の金柑を背負へるに腹立たしかる春の雪道
はからずも性差別発言に見ゆる無定見なる〈アンコンシャス・バイアス〉
無駄表現「馬から落馬」のやうな愚を気づかずやらかす特に作歌で
同年者の看取りに書きし診断書の「脳梗塞後三年」や寂しき
「紀元節」を「建国記念の日」に替へて祝日にせしはいかなる思惑か
「の」を入れしは異論が出ぬやうとの配慮にて今日は「建国記念の日」なり
旧正月とてリクエストせし雑煮食べ元気に職場へ。金曜日の朝
長男の誕生日にと赤飯たく妻の後姿(うしろで)は母性そのもの
長男の誕生日に想ふ若き日の新米産科医の感奮興起を
妻からのバレンタインのチョコレート愛情ほどの甘さはなくて
携帯のアラームとともに揺れ続きかの大震災の恐怖が走る
東日本大震災後十年の激しき余震に恐怖よみがへる
東日本大震災後十年の余震と聞くも予兆ならずや
猛烈な吹雪の唸りと揺れのあればこれも余震かと恐怖がつのる
思へらく強き余震に新幹線の運休措置はコロナ禍にも適(かな)ふ
東京五輪組織委会長の騒動は五輪大臣の出戻りでちょん
こたびの大山鳴動もおさまれば五輪大臣の出戻り劇か
五七五七七の音(おん)そろへつつ詩情をいかに盛らむか苦心す
川柳とも俳句ともつかぬ上の句に適宜下の句をつけて短歌(うた)とす
ワクチンまた注射器さへも他国だのみ「Japan as No.1 」は過去の幻想
得意気に「二番じゃダメ?」とふ蓮舫の事業仕分けも今や恨めし
百二十六代目たる今上天皇の誕生日なれどコロナ禍にかすむ
敗戦で‘象徴’となられし天皇も今や三代目が務めておられる
おめでたき百寿の媼を祝ふとてコロナ禍の先の弥栄を祈る
いつの世も貧官汚吏の蠢きて霞が関に水澄む間なし
春近く鳥虫草木は蠢くも貧官汚吏に季節なきごと
一人前七万円とふ飯くひて〈別人格〉の僕(しもべ)になるとは
一人前七万円もの飯くひて広報官は何を語るや
一人前七万円もの飯くひて公僕の腹は痛まざりしか
いづれ来むパンデミックに備へせよ 国産ワクチン製品化急げ
一日一首(令和三年一月)
初春やふさはしき歌をと詠みければ令和三年も斧正こひたし
書初めせし『心機一転』を眺むれど佳き短歌(うた)うかばず墨かわきけり
初夢を見しか見ざりしか二度寝して確かめたくなる温き床にて
年明けて初の仕事にいざ出でむ老いらの無事を幸ひとして
暦では「小寒」なれど盛岡の朝の凍(こご)えは「大寒」と言ふべく
朝陽あび白く輝く南部富士の峰ゆ舞ひあがる雪煙あをし
唐土の鳥が渡らぬさきに」と七草をきざみし妻と粥をすすらむ
極北のブリザードのごとき夜のあけて白きベランダに陽のありがたし
吹雪さりて倒れし鉢をもどす手にローズマリーの香の残りゐる
コロナ禍の緊急事態宣言に毫も響かぬ総理の言行
「捻りすぎ」と妻の辛口批評うけわがエッセイを切り抜く手ゆがむ
コロナ禍に意地をはりあふ狐狸をりて弱き人らは泣くばかりなり
コロナ禍に台湾モデルの凄さ知り「台湾に学べ」と今さら羨む
中国の隠蔽体質なかりせばコロナなき世ののどけからまし
WHOを手玉に取りし中国のめざす世界に安寧ありや
「偏見」とふ酷烈なる言を受くれども吾は詠はむ忖度などせず
小正月に妻のつくりし〈けの汁〉は亡母(はは)の味なり津軽なつかし
〈けの汁〉を子らに送りて妻いはく「あなたにはまた作るからね」と
夜の更けて逝きし媼は笑みうかべ生保内(おぼない)の空へ魂(たま)駆けをらむ
新しきグンゼの股引ぬくければ夜更けの呼出しもう苦にならず
施設長室の屋根雪どどどと滑り落ち岩戸が開くがに天窓ゆ陽の箭(や)
大寒(だいかん)も盛岡の路面は黒きまま。津軽の大雪ふと懐かしき
トランプ氏乗せてエアフォースワンは飛び立てり。悪夢のごとき不祥事残して
新しき主(あるじ)迎へしホワイトハウス、その白頭鷲の慈眼を恃まむ
「最初だが最後ではなかろう」と副大統領のコートはパープル
養生は自ら律するものなればメタボ健診も潮時なるらむ
「ヤギさんのおヒゲ」と妻の微苦笑に電動バリカンをしぶしぶあてる
マダガスカルでの写真が二十年(はたとせ)の時空こえ届きぬあつき人情とともに
本当にオリンピックをやれるとは菅総理さへ思はざらまし
永年の抗精神病薬の軛(くびき)から解放されて翁は逝けり
祖母の編みし赤マフラーで銀賞の小学時代をひとり恥ぢたり
白雪に朝陽まぶしき盛岡で七十三歳 わが生さらに
目覚むれば窓から満月われを見る「今日から73歳、さあがんばるぞ」
一日一首(令和二年十二月)
「食べてすぐ寝ると牛になる」といふは老いの肺炎予防によろし
寝室のカーテンを開け驚きぬ近々と冬空に浮かぶ満月
随筆を小説じたてに書きたれば差し障りなく筆すすみけり
寝室のカーテン開くれば眼下には真白に広がるミニチュアの街
人口構成ピラミッド型や崩れ去る団塊世代も高齢化して
歌会はいづれが生徒か先生か笑ひ絶えざるデイサービスなり
歌会では個々の短歌をただ褒め合ひ昔話に過ごすデイサービス
『コロナ禍に愚考す』と書きし四千字フォーマットにあふれ投稿できず
ぼけぬまに棚卸せむとクラウドの駄文ならべて『ときをただよふ』
窓外にサインカーブを保ちつつ餌場へ向かふ白鳥の列
キンドルの電子出版を準備して値はとりあえず百円としぬ
キンドルに『百円文庫』レーベルで三冊上梓し作家の気分
CT画像に前頭葉の萎縮ありてその主(ぬし)の顔をそつと窺ふ
コロナ感染予防に窓をあけ放てば雪が吹き込む けふは真冬日
第六回東奥文学賞の落選に参加証つくり次回へつなげむ
夕食後に『万引き家族』を録画に観てわれら老夫婦黙(もだ)深くゐき
肺炎か!細菌感染にホッとして抗生剤の点滴を打つ
誤嚥性肺炎の老いを診ておもふ介護士の「もうひとさじ」が仇となりしか
凍てし街をじんわりとかす太陽の無量の熱に慈愛さへ感ず
たまさかに幾多郎歌集を読みて知るこの哲学者の子煩悩なる面を
真夜中に大きな揺れあり目覚むるも冬至の夜の明けはまだまだ
すつぽりと雪雲にしづむ盛岡なり救急車の唸り聞くのみにして
日捲りに「平成の日」といふ赤き文字入るか暮れの祝日として
図書券の五枚届きてうち二枚を妻へお裾湧分けクリスマスゆゑ
コロナ禍の第一波二波三波と揉まるる日本は船頭不在なるらむ
コロナ・ウイルスの大波のなか海図なく地球丸は何処へ向かはむとすや
イギリスの変異種コロナを運びしは検疫フリーのパイロット、嗚呼
年末の連載よみて心はやり一月四日の稿をおくりぬ
三密の極みなる国会にコロナクラスターの起こらぬ不思議
死の近き生き物なれば食べぬなり逆にあらずとあらためて知れ
有明のコールド・ムーンの照らせるは白く凍(しば)れる歳暮(さいぼ)の盛岡
一日一首(令和二年十一月)
秋の陽を浴びゐる南蛮辛子らの赤も緑も辛さ競はむ
イチジクの甘煮をヨーグルトに乗せて食めば五臓六腑に秋の味沁む
県都の顔たる盛岡駅前の〈滝の広場〉その喫煙所つひに消えたり
晩秋の陽を享けてベランダに茶を喫し文化の日には香に顕つ短歌(うた)詠まむ
国会で過ちを交(かざ)る政治家の厚顔無恥にテレビ切るなり
速報のアメリカ大統領選おもしろし。腹立たしきは日本の国会
国会の「回答を控えたい」とふ常套句、何処に消えしや「言論の府」は
立冬の日陰に咲くは毒草のトリカブトの花にて紫不気味
国会会議録検索システムに尋ぬればあまた常套句を瞬時に答ふ
寒き日の「す~」とふ音や心地よきスチーム温くアロマに安らぐ
冬の陽のさしこむ部屋にてカルテ書く観葉植物の仲間となりて
入所時に“How do you do!”と握手せし英語教諭を看取る寒き夜
干し柿の出来ぐあひ如何と試食して妻は笑顔に 上々ならむ
コロナ感染クラスター発生!岩手医大の医師らの食事会が源(みなもと)なりとぞ
消防署の二十余名隔離されコロナ禍ひろがる小さき町にも
女性教師が新型コロナに感染し小学2校を閉鎖せしとぞ
ある過去にシンクロニシティありし思ふ願はくは未来にも起こらむことを
同期会の中止しらする便り来る四人の訃報をあはせ知りたり
コロナ禍で同期の会は中止なれば年会費収めて絆を保たむ
土砂降りの軒打つ音の心地よさ。コロナウイルスも流して呉れよ
公園の大樹は葉落ちて半年ぶり見通しよろしく遠き峰々
ヒルティの『幸福論』によらずとも老いて働ける幸せを思ふ
夕食で「今日はいい夫婦の日だって」と自分のカキフライ二個妻は別け呉る
「岩手でもコロナ感染死者出る」とふ記事の「高齢者」の字に合掌す
去る者は日々に疎しと云ふなれど看取りし老いらの笑顔忘れじ
妻が言ふ「あなたもがんばって!」に団塊世代われの競争心むらむらと湧く
回診で主治医意見書を二枚書き安寧ねがふ金曜の朝
明け方の目覚め際(ぎは)ふとエッセイのネタ湧くこれもセレンディピティ
若き日のキャリフォーニアの甘き風をグーグルマップにてたぐり寄せをり
タイムズ紙の我が連載随想を切り抜き持ち朝陽を背(せな)に出勤せむとす
一日一首(令和二年十月)
雨ふれど十五夜なれば縁に出て〈コロナ払ひ〉と団子を食はむ
国勢調査、五年前には三陸にて書きしを想ふ 海に名月
このところ泥(なづ)み勝ちなる添削に師を案じつつ「一日一首」
コロナ鬱をうち払ふべく商工会の上ぐる花火が明月に対(む)く
硬筆を筆ペンに代へ短歌(うた)詠むに力入れ過ぎ寄席文字となる
ふるさとのテレビ局より取材うけ津軽弁使ひ‘あずましく’語る
秋の夜や107号は「終の部屋」家族を待ちて臨終つげむ
「法政」とふ母校の名前に恥じぬやう法にのつとり政(まつりごと)せよ
池袋暴走事故の老被告! 無罪主張や見苦しかりける
いつの世も服(まつろ)はぬ民への見せしめはお上のなさる常套手段か
日本学術会議任命拒否とふ理不尽に戦前回帰を恐れをるなり
八十路(やそじ)まで先は遥かに遠ければ一念発起し何かをなさむ
ネイチャー誌に掲載されし菅総理 トランプとならび気分良からう
真夜中の電飾てらす涙には金正恩の保身や滲む
さはやかな秋晴れなれどコロナ禍になにがな心うつうつたる日々
日本学術会議の会員六名の任命拒否とふ蛮行許さじ
中曽根大勲位に弔意を示めせと菅総理 忘るるなかれ神嘗祭を
筆ペンに思ひを込めて短歌(うた)を書く心に平安歌人を宿して
岩手山初冠雪は冬を告げダウンベストを急ぎ取り出す
昨今の権力者たちの言動は弱きをくじき強きにへつらふ
寒き夜に看取りをすませ清めの塩 心の冷えて寝つかれざりき
われは医師 名を呼びペンライトを瞳(め)に振れど反応のなく時計を視たり
「弘前でクラスター発生!」保健所の初期対応の遅れを責むべし
官邸のテレビ監視に驚きぬメディアを支配し何処へ向かふや
暦には「霜降」とありベランダのミカンの鉢を居間に入れたり
コロナ禍に出生数は八十万 我らが世代の三分の一とは!
核兵器禁止条約発効に被爆国たる日本は何処
文章のメタボを戒め十八字四十三行に綴るエッセイ
皮むきて軒に吊せる蜂屋柿じんわり色づき渋抜けゆくか
コロナ禍で危ふくなるか国民の三大権利また三大義務さへ
「得意顔」の鼻高々を連想し「特高(とくだか)顔」と、戦後生まれは
一日一首(令和二年九月)
九月朔 夕日の彼方よりサイレンの唸りとどきて不安を掻き立つ
数学の〈離散集合〉と似て非なる〈離合集散〉は政治屋どもの
一日一首の短歌を詠みきて今日555首目! 勇気を呉れる数ではあるよ
〈東奥文学賞〉にいざ応募せむ百枚の『ときをただよふ』を大安の今日こそ
秋田から夜汽車で上京せし少年 僥倖といはむつひに総理に?
早池峰の尾根にただよふ白雲を朝日の透けゐる盛岡の秋
コロナ禍のキャンペーンに首かしぐ「Go To!」のあとに「With CORONA」とは
「忘れやすい」と「記憶しづらい」は似て非なり記憶せざれば物忘れもせず
世の中に脳トレの類(たぐひ)は多々あれど「記憶難」に効き目のありや
認知症の予防の術のなかりせば我が余生こそ思ひ和(のど)むれ
日本の一億余人の現住民、千年後には数千人とふ
食ひ違ふ〈いすかのさし〉をよくみれば左右差あれど種子をよくとる
冷蔵庫の食材つきし金曜日「今日もどる」とふ妻の声や佳き
ベランダの満艦飾なす洗濯に我ら夫婦の幸せのみゆ
全米オープンを抗議の7枚マスクにて制覇せしかな大坂なおみ
自民党総裁選とふ茶番にて日本の総理の誕生せしか
「宰相の資格」を語る次期総理・菅氏に求む真つ正直であれと
思へらく首班指名の菅義偉は〈本能寺の変〉の秀吉ならむ
コロナ禍で凍てし心を溶かしける大坂なおみのメッセージと笑み
〈目標〉を公表せざれば〈失敗〉もなく完璧なりけり嗚呼無謬主義
秋晴れの彼岸の入りにゴマおはぎ食べつつ話題は来む金婚式
副総理の「かん内閣」と呼びけるは単なるボケか深層心理か
副総理の「かん内閣」と呼びけるを〈他山の石〉と聞き流しをり
秋晴れのベランダに餃子を包みつつ「敬老の日だね」と夫婦で笑み交はす
秋分の日に家中の鉢物をベランダにならべくつろぎてをり
四連休ステイホームであつと過ぎ「今日から仕事!」と張り切り準備
誤嚥性肺炎こそは老衰の兆しなるゆゑ心して食まむ
噎(む)せもせず咳も出ぬまま密やかに誤嚥かさねて肺炎となりき
寝返りして腰痛あらば徴(しるし)なり骨粗鬆症性椎体骨折の
湯舟にて熱唱すれば気のはれて誤嚥予防の鍛錬にもなり
若き女優の自死を報ずる新聞見て老健へ向かふ寒き秋の朝
師の詠みし「美貌の女優X」に謎のままなるXの解
月刊『弘前』の連載を終へ安堵せしが故郷つがるの遠くならずや
一日一首(令和二年八月)
天高くわきあがる雲のかがやきにマダガスカルの産科医をおもふ
「健全な常識人」とは何なりや 〈現代短歌そのこころみ〉 を読む
競売で「スー」とよばれし恐竜は化石になりて人の欲を知るや
梅雨空にさんさ踊りのハレもなく蝉の声さへうつたうしき日々
イソジンで嗽をすればオーケーと大阪府知事はフェイクの極み
パソコンのリセット機能をふと妬む自(し)が人生に悔いはなけれど
梅雨明けの報聞かぬ間の‘立秋’に蝉も蛙も静かとなれり
梅雨寒し紅白に咲きゐしゼラニウムいま紅盛りて平家の世となる
梅雨空に遠花火の音の漠として花の半分雲の中なり
御盆とて油断めさるなコロナ禍ぞ老健施設に土産はいらぬ
歌舞伎町の七十五人が三百首の『ホスト万葉集』を上梓するとふ
夏の宵スマホ片手にベランダで短歌(うた)詠みをれば万葉の風
夕日を背に入道雲を見てゐしが右半分のみ虹のかかれり
乱雲にたまゆら虹の断片の架かれり今年の夏の思ひ出
みちのくは梅雨あけぬまま盆むかへ飛びかふ蜻蛉や先祖の霊ならむ
日のしづむ西方浄土へ掌(て)をあはせ「南無阿弥陀仏」と十度となへぬ
豆乳に乾燥果実に寒天に…愛くはへしが妻の車厘(じぇりぃ)ぞ
師と友へ宅配したき盛岡の涼風なりこのベランダに吹くを
八月の尖閣諸島に潜むとふ《夏の態勢》や悪夢でありたき
マスクしてパナマかぶりて出かければガラスに映りし怪しき人影
世のなかに「藤井聡太」の多かれど二冠を得しは唯一君なり
ただたんに長さきそひし政権の掉尾となるや〈コロナ払ひ〉で
原稿用紙百枚に書きこし繰り言の『ときをただよふ』 デンと机上に
コロナ禍にストレス多き医者稼業にうた詠みもの書くが癒やしなりけり
ありがたき受賞の報かな医者つづけ歌詠みもの書き百寿めざさむ
「〈要支援一〉おりた」と告ぐるメールには八十路の友の無念がにじむ
窓先の二匹の蜻蛉に亡父母を思ひ「いってまいります」と出勤するなり
アンテナに弥次郎兵衛のさまに翅をさげ蜻蛉よ今朝はなに惟(おもんみ)る
〈権力の私物化〉問はるる安倍首相「潰瘍性大腸炎」にて辞任を決意す
〈はだいろ〉といふクレヨンは名をかへて〈うすだいだい〉で今の世を生く
雷神と風神あばるる強き雨さぞかし秋の嚆矢たるべし
一日一首(令和二年七月)
「老衰は死への旅路」との哲学者ジャンケレヴィッチの言を諾ふ
韓非子の「唯々諾々」は読み慣るるに「諾」の訓読み「うべなふ」は今知りぬ
「コロナ禍中お見舞ひ申しあげます」を暑中見舞ひの代はりとなさむ
つゆぞらにズドーンと響く加農砲は自衛隊なすコロナ払いか
縦書きの『三人の卓子で一言』のブログを読むは妻と子らなり
指先で酸素飽和度測定し青柳卓雄氏の事績に謝さむ
ベランダの鉢にあふるる花たちへ「きれいよ」と妻褒む 雨の七夕
温暖化にて永久凍土の溶けながら危険な古代菌の現るるとも
牧村著〈漱石と鉄道〉に語らるる明治人らの活力すごし
先生と呼ばれ続けて半世紀 いまや符牒のやうなものなり
シン・ジョンア学歴詐称事件にて国民性の懸隔を知る
ぬばたまのベンタブラックより黒き〈究極の黒〉はブラックホールか
畢竟はわれらが選びし為政者なり非を論うても後のまつりぞ
選挙にて権利と義務とを果たさねば瑞穂の国やいつしか絶えぬ
世のなかに学歴詐称の蔓延れば言ふもの勝ちで選良となる
中国の数字を鵜呑みせぬやうに賢く磨くチャイナリテラシー
コロナ禍に民度の高さを自慢する太郎節には笑ふほかなし
幼女(をさなご)に祭の由来はだうでもよし鍋のかたちの笠かぶらせらる
突然の雷雨に子らは驚きて奇声を発し逃げまどふなり
「Go To!」とアベノトラベル張り切りて津々浦々にウイルス飛ばすや
品川教授九十六歳にて旅立たる吾も古希すぎしと告げざるままに
「人間は遺伝子はこぶ生き物」とふドーキンス博士の視点や愉快なる
満帆に〈老い風〉うけて「宜候(ようそろう)」と老い真つ盛り活躍盛り
〈コロナ禍〉の不安が起こす「CIAMS」なる珍症状に御注意くだされ
予言獣「阿摩比古」様のおはすなら早きコロナ禍退散を願はむ
一尋(ひとひろ)を地球の歴史に見立てれば文明史とは爪先ほどなり
添削を受けし歌など書きくはへ良し悪し問はずエッセイ綴る
三十年(みそとせ)まへ岐阜新聞の予言せし「伝染病」は今の‘コロナ’か
ああ歌人岡井隆は逝去せりその著『わが告白』に吃驚せざるや
「Go To!」に乗せられ出かけし岩手人 キャンプみやげがコロナ感染とは
老人言ふ「家で死にたい」を読み解けば「家で生きたい」の心なるらむ
一日一首(令和二年六月)
「俺こんな国はいやだ」との替え歌あり 政治の不実はわれも見てゐる
のちのちの話の種に取りおかむアベノマスクに恨みなけれど
‘コロナ’には「誰もが感染しうる」と言ふ達増知事が岩手を鎮めむ
人民の血を流したる天安門事件は六月四日 今も悪夢なり
筒井康隆著〈創作の極意と掟〉に学びしが吾が短編に進歩見られず
棚ぼたを頼むはいかにも能なきことセレンディップの王子のやうに
「コロナ禍の埋草」といふ企画にて連載ふゆれば意欲もいや増す
行間にも思ひを籠めてつづるなり 筆力衰へぬ間にと急ぎて
断定の「なり」は用言の連体形と体言に付くこと今に知りたり
梅雨入りしてはや土砂降りの激しさに垣根の薔薇らうなだれてをり
風つよき高層階のベランダにアッツザクラのルビーの輝き
葉牡丹の中央伸びて咲く見れば菜の花つまりアブラナ科なりき
「女帝とは誰のことかしら」と睨付(ねめつ)ける東京都知事の素顔は知らず
『文藝春秋』の〈三人の卓子〉に投稿しわれも文士の端くれとなる
老健で「三密さけよ」は無理なこと 接触なしでは介護は出来ぬ
コロナ予防のステイホームの煽り受けあまたの医院が窮してをるらし
歳とれば合はなくなると思ひしが「小百合」のままで喜寿になるらし
従妹より古希記念の冊子が届きたり〈ベオグラードにて〉とふ回顧録なり
父の日に五島の蒲鉾とどきたり電話に娘の新妻ぶりも
「寝覚めよき事こそなさめ」と後藤新平 良き言(げん)なれど実行難し
岩手山を高度九千(ft.)のチェロキーから撮りしとふ八十路の友の送り呉れたり
コロナ渦中で選挙せむとの医師会には北里柴三郎がドンネル(雷)落とさむ
「廃止とは知らなかった」と尾身先生。〈専門家会議〉は幻となる
コロナ禍でマスク姿の絶えざれば季節感さへくるひをるなり
医師会長選挙の投票は感染予防の異様なる姿で。新旧交代す
テレワークの旗振り役が官邸のテレビ電話の不調を訴ふ
甘夏の種をためしに鉢に埋め今朝驚かさる双葉出でゐて
古希すぎて生命保険のやめどきを語りあふ日の茶のしぶさかな
一日一首(令和二年五月)
あすからの五連休に思ひをり退職ののちは有難かるや
失策を民の誤解と言ひ逃るる無謬主義にや浅ましさの見ゆ
コロナ禍にて運動不足と徒歩により九階までの昇降を妻と
「遺憾」とは責任逃れの便利語でなく「不徳の致すところ」と言ふべし
はや五月 ステイホームのつれづれに随想七千二百字をものせり
はや五月「ステイホーム!」のつれづれに曝書がてらの読書三昧
失策を民の誤解と言ひ逃るる大臣の弁に浅ましさの見ゆ
みちのくの巌鷲山なる頂きの雪形の鷲や飛び立たむとする
目のまえの空気をつかみ腕をふり百六十段を下りまたのぼる
雨ふりて階段昇降も断念し〈雷(いかづち)の男〉を読む日曜日
伝記なる『ドンネルの男』を読みながら明治大正の世界に浸る
大臣は「知らない」と言ふ死亡者数19人から171人に変更されしを
コロナ禍で渉猟できず楽しみはアンリミテドのキンドル本のみ
習近平が「病毒」と呼ぶウイルスで中国責めるトランプ政権
書きあげし九万五千字を読みかへし自信をもちて投稿しけり
Eスポの悪戯ならむ春の午後 九州からのラグチューつづく
武漢発「新型冠状病毒」は未だ岩手に達せじと聞く
医者として後藤新平は任果たす二十万余の帰還兵の検疫
ウイルスのホストジャンプの奇怪さは擬人化されしアニメキャラ並
札幌の老健施設でコロナ・クラスタ- 感染八十五人、死者十一人とふ
混乱の〈アカシアハイツ〉の患者移送 家族らあはれただおろおろと
コロナ禍の今 後藤新平の〈国難来る〉を読みつつ学ぶこと多きを知りぬ
後藤新平の『国難来』はいつの世も明瞭に映す鏡と言はむ
コロナ禍は天の意思かもと思へども人生百歳、目指して頑張る
〈言霊(ことだま)のさきはふ日本〉に生きてきて歌詠む楽しさ難しさ知る
〈言霊の幸ふ〉日本に生きてきてその精神は吾にも浸透す
〈言霊の幸ふ〉といふ万葉の言葉に惹かれ詠みこし五百首余
コロナ禍にあけくれて早も世は初夏に されど半袖を着る気にならぬ
「第二波にそなえ取っときましょう」と届きしアベノマスク2枚に妻は
百歳の媼の書きしエッセイの〈五月晴れ〉には青春さへみゆ
日々一首詠み続けたし一万首、吾も百寿の歌詠みとならむ
一日一首(令和二年四月)
「異常なし」が急に「多臓器不全」とは申し訳なく思ひをり候
タウン誌の『医者の繰り言』が延長され繰り言のネタをさがしをるなり
〈失敗の本質〉なる書を読みかへしマスク二枚が竹やりに思ふ
お役所の無謬主義には都合よき「想定外」とふ言葉も常添ふ
コロナ禍に動画チャットを楽しむ妻 娘の顔観てウルウルしつつ
朝刊紙上の〈モリオカNOW〉も五十号 せめて百まで書き続けたし
「やった」と言ふアリバイ作りの宣言では緊急事態の本質伝はらじ
覚悟なき緊急事態宣言のこの軽さでは危機伝はらじ
大判のわがハンカチをマスクとしスーパーに行く妻やありがたき
八割の外出自粛要請に「代議士は無理」と逃げし幹事長よ
花言葉は「私の不安をやはらげて」クリスマスローズの翠(みどり)がうつむく
感染が一目で判断つくならばホラー映画のやうになるらし
とつぜんのふとき饂飩におどろきぬ老師がうたに朱のくはふれば
老健をテレワークでと思へども対面が主ゆゑそれは空論
いつの日か〈ポツンと…〉ばかりになり果つればパンデミックはゆめ起こるまじ
コロナ禍を数理モデルで予測すれば四十二万の死者が出るらし
頼りなき為政者のもと民たちが消耗するは昔日の如し
ウイルスは「さまよへる遺伝子」まさにいま爆発的に世界をかけをり
原敬首相のスペイン風邪罹患は招かれし北里研究所の宴にてと思はる
人類の傲慢に対する警鐘を先住なるウイルスが鳴らすと覚ゆ
コロナ禍の憂さ晴らすべく老健のメニューをふやす 検食うまし
大戦を知らぬ世代の我らとて‘コロナ’の大本営発表に危惧いだくなり
Googleの人移動監視ソフトにより‘コロナ’拡大阻止は可能か
コロナ禍の不安・恐怖が駆りたつる偏見・差別こそなほ恐ろしき
感染の恐怖がさせる悪弊か感染者をバイキン呼ばわりするとはなにごとぞ
官邸は「保証なき自粛要請」で命か金かを民に問ふだけ
コロナ禍に紙面の行間広がりて吾がエッセイ欄もサイズ広がる
うつせみの人の世はいつか絶ゆれどもウイルス消ゆることのあるまじ
ウイルスは人類より前に地球に生(あ)れ人類滅亡のあとも生きゆかむ
目に見えぬウイルスさへも「不潔」とふ医学用語は見た目にあらず
一日一首(令和二年三月)
世界では「COVID-19」と呼ぶ‘新コロナ’長期休校させ子供らに媚びる?
‘コロナ’休校のあおりで出勤ままならぬママさんスタッフの不足に悩む
効くと信じ青森ヒバ油をディフューザーに‘コロナウイルス’の防護となすなり
〈ひ〉と〈み〉とで、もったいないに大違い。消費期限か賞味期限か
驚くとともに恐れぬ入所者のすべてが転倒要注意判定なり
転倒事故〈Act of God〉と諦めて「しがだねぇな」と老いの一言(ひとこと)
名を呼べば酸素マスクの揺れしかな 口癖なりし「あ、せんせぇ」と言ひにけむ
「手術は無理」と施設に戻されし九十代の媼は冬越え春宵に逝きぬ
死ぬことを「コロリ」と言ふは不快なり「ネンネンコロリ」や猶情けなき
雨音に窓あけて見て驚きぬ軒の水玉春の香のして
世の中の悪しき空気を鎮めつつ春雨降るは快かりき
しづかなる大阪場所にひびきわたる呼び出し次郎と式守伊之助の声
COVID-19のパンデミックは脅威なり大恐慌の足音さへや
武漢(ウーハン)の火の粉は世界を飛び交ひて人類(ひと)の愚かさ嘲笑ふがに
散歩にて運動不足を解消せむ保存食品の買出しかねて
生物と非生物との狭間にてウィルスめらは生きてゐるとふ
たのしみは「おかえりなさい」と迎へられ甘きものにてお茶を飲むとき
新井満著〈楽しみは〉を読み力得る佳き現代歌をば詠み継ぎゆかな
師の言ひし「トラウマ」の意に戸惑ひて「心的外傷」思ひをるなり
ウイルスの多能性こそ驚くべし胎児を守るヒーローにもなり
しづかなる大阪場所にひびきわたる白鵬くりだす張り手の唸り
しづかなる大阪場所の十日目に金星あげし阿武咲こそ
既にしてカナダは不参加を表明し東京五輪はいかになるらむ
師の詠みし「Exergy」の意味調べ〈Quality of Energy〉浮かびぬ
「延期」とふIOCの決定に金と政治の見え隠れせり
「延期」とふIOCの決定にオリンピズムを愚考するなり
今こそはオリンピズムに則りてパンデミックに立ち向かひたし
子らからの電話で笑ふ妻を見て「ながいなあ~」ともうらやましくも
新婚の娘のくれし動画にはベランダ越しの桜と雪が
このたびの芸能人の訃報には煙草と酒の弊もあるらし
とりあへず延期の東京五輪なり クーベルタンのやきもきしをらむ
一日一首(令和二年二月)
唐梅が一輪さきたる陽だまりの心地よきかな われ七十二歳
しろがねに秋田駒ケ岳かがやきて雪雲かろらかに碧空へ吸はる
自慢げに「晴れ女」と言ふ妻はいま雪つづくらしき津軽路の旅
ベルヌーイカーブ・ハサミを手に入れて「使いやう」とふ諺無用に
陽の差して‘晴れ女’の妻もどるらし夜来の雪のはや融けはじむ
朝日さす軒の垂氷(たるひ)の溶けながら眩しき盛岡 サングラス欲し
友人より「投稿見たよ」とメールあり「生きてる証さ」と照れて返信す
新聞の〈今日の運勢〉に促され妻を誘ひてランチに出かく
書きあげし八万字余のメモワール「脳の杖つき七十二段
雑誌特集「喜怒哀楽を詠む」ならば願はくは「喜」をさらに「楽」をと
老いはてて惚けはどんどん進めども喜怒哀楽は枯渇せずとふ
老いはてて彼も汝も誰か遠ざかり吾の誰かさへ何れ消ゆらし
東方を遠望すれば雪かづく早池峰の向かふに三陸の海
息子四十六歳「「誕生日おめでとう」のメール打ちその頃の自分を想ひてをりぬ
四桁の数字を記憶できざるは「物忘れ」以前の問題あらむ
幻視あらばレビー小体認知症 されば抑肝散を処方するなり
この媼は壊れしタイムマシンにて母でも娘(こ)でも変幻自在
婆さんに「この人だれ」と指さされ白衣を羽織れば「ああ先生」と
今昔の感覚あるゆゑのノスタルジー。今昔ごちゃまぜはディメンシアなり
食事してその満腹も忘れ去りすぐ食事欲(ほ)るこれディメンシア
人生の川にも澪木(みをき)を立つるごと刻舟とならざる一日一首を
長寿番付 横綱が大正生まれにて我七十二歳は幕下あたりか
たのしみは投稿謝礼の図書券をふところにしてペダル踏むとき
たのしみは黄金色なる金柑の甘く煮たるをかみしむるとき
いまはしきCOVID-19の感染は25か国7万人とふ
道内にて千六百校に休校の要請出さる‘コロナ’のせいで
新コロナウイルス感染のパンデミック目前に迫れど対策後手なり
古希過ぎてぼけなばぼけよぼけなりに日々の暮らしを楽しみゆかな
神棚に今日まで有効の免許証「優良」の二字こそ誇らしかりけれ
一日一首(令和二年一月)
新年を迎へて願ふは感動を起こす歌ども詠まむことなど
俗に言ふ富士鷹茄子の初夢なく正月二日も熟睡に目覚む
岩手山が金色(こんじき)の雲を背に立てる 施設の老いらに笑みな絶えそね
正月の夜半の看取りに参じしにご家族不在に夜をあかしけり
正月はめでたけれども突然の看取りに参じてさは言ひ切れず
食堂に恒例の餅搗きの音ひびき集ふ老いらの掛け声高し
通常は〈常食〉なれど七草の今日の昼食は習ひなれば〈粥〉
降りやまぬ夜来の雪やありがたし日照りの夏の苦労思へば
録画して〈最期の七日〉を妻と観つつ「‘今’を大事に」と語りあふなり
タクシーで寄りし本屋から自宅まで雪道を徒歩にて汗する夕
向き合ひて本読むうちにお互ひを空気のやうに忘れゐにけり
霧の底を流れくるかな啄木の〈春まだ浅く〉霧笛のやうに
老いたれば難しき議論は脇に置き歌をしづかに詠むに及(し)くなし
連休明け白衣に着替へて思ふらくかつての医学生も今は「爺医」なり
〈地域別将来推計人口〉見よ 消えゆく県あるに何が北方領土だ
おめでたき傘寿の祝をたてまつり師が歌心こそあやかりたけれ
回診にて会話漏れ聞き覗き見ればそれぞれ独語(どくご)するお婆がふたり
本を買ひワンタン麺を食すれば土曜の散歩の楽しからずや
ベランダにてのほほんと読書の日和かな暦めくれば明日は大寒
大寒とて義理に降りしやこの雪は眩しき日差にたちまち溶けむ
驚くはこの紹介状、九十四歳(くじふし)の「頭脳明晰お婆さん」とぞ
老耄も矍鑠たるも合はせての〈集団リハビリ〉は効果よろしき
願はくは医者つづけゐる日常に一瞬の〈時間の錘〉を詠みたし
生き甲斐が働き甲斐なる生活に老い甲斐ありとふやせ我慢もなす
〈七十歳の手習〉とふ名でデータ保存 その日付が叫ぶ「満一年!」と
こぞのけふ仲間入りせし〈ものぐさ〉を団塊世代の学び舎とせむ
大相撲徳勝龍の優勝に亡師「勝人」の乗り移りけり
雑誌特集〈新春歌人大競詠〉言葉を水着に歌詠みら屯(たむろ)す
「アル中」と家族に見捨てられしまま逝きし男を氷雨も哀れむ
「七十二歳おめでとう」に迎へられ背筋のばして白衣を羽織る
誕生日祝ひに子等呉れし鰻たべ夫婦で祈念す七度目の子(ね)を
一日一首(令和元年十二月)
怖いもの見たさで思ふ近未来 百寿の吾とシンギュラリティ
人生は歳の二乗で過ぐとふがテクノロジーはエクスポネンシャルでと
師走となり年越しできるを願ひつつ大正生まれの脈をとるなり
認知症予防にも効くゆゑ歯磨きすマウス実験の結果を信じて
歯周病は万病の元」と唱へたし アルツハイマー型認知症予防にも
初雪にタイヤとられて大渋滞 あきらめ顔の連なりてをり
ストーブの炎こひしき雪の夜は温き床(とこ)にて歌よむもよし
陽をあびて妻は自転車で朝市へ鼻かぜの吾はやむなく自重す
月曜の日の出を待ちて旅立ちし老女の笑みに阿弥陀が宿る
冬晴れの夕日に引かれ旅立ちし老女はクール、看取りし息子も
入所者の穏やかな死を見しよりは生くると死ぬとの境界うすらぐ
平成と令和が混じる年報のこの一年は長く感じる
マイカー通勤あと七日でやめタクシーに。無事乗りきれさうなり幸ひと言はむ
末娘の婚姻届けに保証人の署名捺印し幸せを祈る
リビングの陽だまりで語る母と娘(こ)に割り込めずただうちながめをり
かいなでの歌詠みなればいとうれし添削不要と判じらるる時
年賀状の受付開始のニュース聞き妻はせかされ吾はお手伝ひ
年内はキャンセル待ちとの電話うけ抜歯がのびてホッとはしたが
此の年の集計しつつ思ひ出づ逝きし人らの安らかな顔を
雪ふりて交通渋滞の朝なれば老婆の命をしばし延ばしぬ
抜歯のこと予定早まり明後日(あさつて)となりしはありがたしされど怖しも
冬至の朝盛岡の道はアイスバーン 転倒おそれて妻と手つなぐ
八十歳で歯二十本は少なからう。われは二十五本にて死ぬまで噛まむ
歯を抜かれイブもうどんでがまん我慢。否否、ありがたく飲み込むとしよう
爺医として社会に尽くしし証なる給料なればありがたく受く
ハンドルを握りて半世紀、無事故に過ぐ。感謝をしつつ愛車と決別
もさもさと降り続く雪の朝なれば迎へ車のありがたきかな
雪道も新しき靴にて心地よし つひ遠回り汗ばみながら
三日前に車の運転やめたれば新しき靴にて今日は本屋へ
スキー場を温き書斎より眺むればかつて描きしシュプールさへ視ゆ
かいなでの歌超えむ意思あればありがたし一日一首にコメントいただき
一日一首(令和元年十一月)
滝沢の巨大タンクをながめつつ退職どき思案の四度目の十一月
〈レ〉をあげて「朝礼」といふ南部弁チョット気になる津軽衆われ
錦秋の鞍掛山の頂きにてスマホに撮らむ岩手山せまる
鞍掛山(くらかけ)は高さ八百九十七米 登りきりしが下山が問題
〈ものぐさ〉へ一日一首と詠みつづけ「老医」とわれ詠まれし十月目の幸
介護にも〈多様性〉では済まされぬ矢鱈とクレームつける人も居る
胃瘻の婆「おらさもまま」と言ひてのち無言に食しぬ茶碗八割
三年日記の3冊終了さて次は五年日記で喜寿を目指さむ
ポイントは〈下山〉にありと悟達して鞍掛山に人生を見る
朝市でもとめし柿に陽がそそぐ 岩手山頂の雪も消えむか
ゆるやかに車両基地から登りきて本線へ入る‘はやて・こまち’見き
ゆつくりと本線に発露する〈はやて〉見て安産のごと朝日ぞ祝ふ
「人生は歳の二乗で過ぎてゆく」森毅氏の言を今に肯ふ
月曜は〈モリオカNOW〉の掲載日。休刊ならばブルーマンデー
専門家にキンドル版はありがたし高価で重き原書に悩まぬ
孫悟空の乗りしとふ〈きんとうん〉は何ならむ 百寿にならば吾も乗れるやも
百歳を超えて生きむと求めしは「The 100-Year Life」のキンドル版なり
〈独楽吟〉とて橘曙覧を真似せしが「たのしみ」がとても52に及ばぬ
たのしみは朝おき出でて〈タイムズ〉に「モリオカNOW」の載るを見ること
たのしみは似非歌どもが添削で心にかなふ歌になるとき
たのしみは車両基地より本線へ〈はやて〉の現るるに立ち会へるとき
たのしみは温きふとんにくるまりて朝餉のかをりに目覚めたるとき
たのしみは早暁の市にて買ひあさり妻われ双手(もろて)に持ちかへるとき
たのしみは蜂屋柿買ひ皮むきて冬の陽に当て吊り下ぐるとき
たのしみは慌しくも朝食後チョコをつまみて珈琲のむとき
たのしみは常なら難き車庫入れを一発で決め「よし!」と言ふとき
たのしみは利用者の来ぬリハ室でマシーン踏みつつ歌つくる
たのしみは診察室でかはしたる老いが会話のかみあひしとき
たのしみは毎朝いるる珈琲に「おいしいね」と言ひて妻が笑むとき
冬の夕 大正生まれがまたひとり「だいじょぶだぁ」の笑み遺し逝く
一日一首(令和元年十月)
あしひきのやまとなでしこその半ばが五十歳越ゆとふ 十年後はいかに
日本は五人に一人が古希すぎてあの世で杜甫も苦笑しをらむ
死に場所を選ぶことさへ難き今 在宅ケアの体制急げ
選挙すみて高笑ひする代議士ら我ら愚民の憂ひ残して
こんな世にしてしまひしは誰のせい 億分の一の責任おはむ
「プロポーズされました」とふ末むすめ スマホの声の高さこころよし
ふりむけば盛岡弁の話し手は着物姿の碧い目の女
施薬院や悲田院などには僧医をりき われ爺医は看取る老健に侍りて
いつの日かみな一軒家だけの国にならば観る価値失ふこの人気番組
あなうれし日本人にまたノーベル賞 生年月日われと同じ人
日本人は二千人まで減るらしも三十世紀の地球や如何に
条例にて‘たばこ自販機’を撤去させし深浦町の健康志向よし
台風の去りて自前のカフェにて妻と肩ならべ読書するなり
『無医村に花は微笑む』の著者である将基面誠氏も婦人科医なり
村長のエピファニーここに:『民をして病ましむべからず、これ政』とぞ
神無月に〈老子〉を読みて道(タウ)の見ゆ天網恢恢疎にして漏らさず
辞書ひけば例文の見ゆ「起きる」の件「事件が起きる」「奇跡が起きる」
辞書にさへ誤りただす師の言に人間味あふると憧れてもをり
かねてよりナース言葉は難解で、リヒカ(離被架)アッキン(圧布)も日本語なりき
老醜も「老いの美学」と言ひたるは筒井康隆著〈筆力鼎を扛(あ)ぐ〉
推敲し洒落きかせしつもりのエッセイも妻にはうけず寂しき朝餉
パソコンは言はば外付け補助脳なり老医師われの頭脳の杖なり
みちのくの鞍掛山は錦秋なり〈即位礼〉の今日はおにぎりも旨し
望外の会長賞はありがたし さらに励めかそろそろ退(の)けか
臘梅が冬至に咲きぬ 二十年前東京にて惚れいま盛岡にて果たす
梅咲けば台湾からの絆見ゆ南三陸病院の庭に
妻留守の家居にひびく「ご飯できました」「お風呂わきました」と電子嬢の声
妻留守で冷蔵庫内は閑散たり外食にせむ十月の夜
妻もどり冷蔵庫内もにぎやかで津軽の珍味ならぶ夕餉ぞ
あまた花を携へ妻が津軽より戻りきてベランダが一気に華やぐ
三年(みとせ)すぎ施設長とて里こひし終の友には津軽富士ほし
一日一首(令和元年九月)
〈飯坂温泉〉の御守り札に「ボケ除け」も。ありがたくもまた寂しくもあり
随筆の掲載予定が延期となる さればゆつくり推敲すべし
ボケ除けの〈延寿守り〉に見つめられ診察室に霊験あらむ
一年の連載まとめ印刷して綴づりし快心の〈爺医草子〉これ
ひさびさに長男夫婦が帰省して妻も母親の笑顔にもどる
息子らが大阪より持ち来し暑さなるや秋の盛岡に真夏日もどる
長女まで東京より持ち来し暑さなるや秋の盛岡に真夏日もどる
誘はれて娘と燻製つくりけり帆立・蝦・鶏を桜チップで
子らかへり椅子など元に戻したり台風報ずるテレビ見ながら
妻でかけ単身なればハヤシライスを検食しつつ夕食を思案
ドア・窓など開け放ちワンルーム状態に。朝の涼風に一人めざめき
施設長われより若き利用者ふえ喜ぶべきかここ老健に
われよりも若きと年長者らの混じるゆゑ〈敬老の日〉の祝辞に悩む
名月を拝(をろが)み幾度も「ありがたいネ」を繰り返す妻よ汝もありがたし
自宅にて最期を迎ふるが願ひなり汝(なれ)とつくりし庭をめでつつ
敬老の日とて散歩がてらに大福をあまた買ひきて夫婦で祝ふ
父母のため学びし〈老人医療〉なれどやがて我がため妻のためにも
宝くじ当たらば始めむ診療所 深浦といふ過疎のまちにて
ひさびさに「論壇」に掲載、うれしもよ 爺メル友より辛口エール
舞台調ひし‘カルモナ祭り’の無事を祈り〈てるてる坊主〉と挨拶文つくる
秋空に保育園児の声ひびく祭り太鼓は老医の耳にも
わが住むは現代版の庵なり‘青山’の上、昇降機だのみ
マンションの十階までを脚で昇る まさしく歩荷(ぼつか)、足腰鍛錬
雨が降り階段のぼるは濡るるとてエレベーター使ふ 徒歩五日目に
〈青山〉なるマンション十階を徒歩に昇る。養生なれど朝日心地よし
あらかじめボケの検査をせよといふ運転免許更新のはがき
秋曇り 夫婦ふたりのバーベキューをマンション十階のベランダにおいて
親鸞の自然法爾(じねんほうに)の境地なり姑息な知恵棄てありのまま生きむ
晩節を汚すことなく全うせむ祖父が背に見しノブレソブリージュ
秋の宵「夫婦は二世」との言知りて妻の横顔そつと見るなり
一日一首(令和元年八月)
駄々こねし冷房嫌ひの婆たふる「ほらごらんなさい」は言はず点滴をなす
真夏日の日本列島きなくさし周辺諸国の熱波をあびて
夏の宵 〈ビギン…〉ながるるベランダに「時よとまれ」と祈る二つ影
厚き〈史記〉枕にこそははべらめとふ才媛が機知いみじうをかし
大気さへ歪めてしまふ夏の陽に地球は蕩(とろ)くる吾は汗滂沱(ぼうだ)たり
〈人望〉は人間評価の尺度なり〈人気〉に非ずと七平は看破す
おほらかに…と思へど難き令和にて徒然草を読みかへす宵
この夏を乗り切らせむと慈愛こめ点滴つづけるナースぞ尊き
例により♪Happy Birthday~と斉唱し「水分補給!」と念押す猛暑ぞ
〈人望〉は人の評価の規矩なれど〈人気〉で選ぶが人の世の常
〈老健〉に土日祝日などはなし御盆どきこそ油断すまいぞ
涼風よ老いらが食欲もどらしめよ されば爺医が憂ひも消えむ
日に三たび「春まだ浅く」とメロディが。盛岡の〈時〉はかくもゆったり
「やぶいり」の「やぶ」さへ気にする爺医なり 医学書めくりお盆を遣らはむ
戦争を知らざる〈団塊世代〉の人ら 不戦の誓ひをしつかと継がむ
ひさびさに老いらが笑顔もどりけり帰宅を早め御盆を遣らはむ
「定跡を学べ」と茂吉が言ふなれば〈万葉秀歌〉を読み返すなり
三つ四つも同時に流るる連呼なり 熱き地方選の街に涼風
〈慶〉が減り〈弔〉の増えたる慶弔欄 人も「絶滅危惧種」にならむか憂ふ
取上げも看取りもやりし爺医なれば「命の関守石」とも言ふべし
酒をやめSNSも消しさりて真夏なれども夜長を満喫す
酒をやめ〈SNS〉も消しさりて夜長をあじはふ。真夏なれども
朝市でブルーベルリーを求めきて台所に立つ妻は笑顔で
老いてなほ「承認欲求」さめやらず、一日一首がはや7ヶ月
古希すぎて『自助論』を読む奥手(おくて)にてわが青春は漂ふごとし
あつぱれなり 婆は酷暑をのりきりて涼風に乗り旅立ちにけり
今朝は雨 設定を「冷房」から「除湿」にす 続きし酷暑を今やさびしむ
カーエアコン二十六度の設定で温風に替はる八月の朝
妻つれて飯坂温泉へ〈いい電〉にて仕事がてらに命の洗濯を
「ちゃんこちゃんこ」は石段のことリハビリによろしと飯坂温泉めぐる
一日一首(令和元年七月)
常に日を惜しみて無駄に暮らすなく老いては益々楽しみ増やせ
「保養とて病を慎み医を選べ」益軒の言葉は今に通じる
「益軒の養生の術(すべ)とは「身を動かし気をめぐらすこと」と悟りうべなふ
益軒のメンタルヘルスはつづまりは「こころ和(やは)らげ楽しみたまへ」に
すべからく「臨機応変」になさるべし良医のならひは「温故而知新」ぞ
ハンデとはゲームを楽しむ知恵なれば現代社会の潤滑油なるぞ
兼好の願ふ良き友三つありて物くるる人と医者と知恵者と
「高名の木登り」読みて得心す危機管理の要諦は時を超ゆると
ナースらに「老人力ね」とおだてられ老健施設を飛びまはる 今日も
老健も老々介護のながれあり〈介護助手〉にて活性化せむ
やうやくに仮設床屋に回りゐるサインポールも復興の兆し
老健の〈介護助手〉こそ得難きかな老々介護ふゆる世となり
鴨長明の強さを秘むる無常観は災害おほき世にこそ光る
またしても黒川伊保子の言にしてやらる。「成熟脳は五十六歳から」と
タウン誌の原稿依頼に舞ひあがり爺医われの脳は締切の冬へ
「Let it be!」と有りのまま生くる老いの知恵 げにすべからくは心の養生
夏陽反(かへ)す巨大ガスタンク かの甘さたつぷりの西瓜・縞王とも見ゆ
タウン誌の原稿依頼の締切は4カ月先なれど〈To Doリスト〉に
顔パスで「シニア二枚」が通るのに免許証まで添える野暮あり
認知症・痴呆・ボケなど煩しディメンシアにて済ましたく候
顔みれば「シニア二枚」が効く寄席に免許証まで添えるは野暮なり
「にんち」とは俺のことかと認知症。ディメンシアにて済ましたく候
爺医なれば「You」より「We」で語りたし 診察室の空気よみつつ
「KY」とはよくぞ言ひたり山本七平 はやりの〈忖度〉も予言しにけり
食へるうち作れるうちの楽しみと鰯の蒲焼き匂ふ夕暮
「水さすな空気よめ」とふその空気にも水はさし得る瑞穂の国よ
〈やりたし〉が〈やらねばならぬ〉にならぬやう 楽しみながら‘老い’生きゆかん
小三治の〈ま・く・ら〉を読みつつ大笑ひ ベランダの陽差は梅雨明けのもの
自らの山本書店を七平は「世界最小」と誇らしげに言ひき
医者なれば他人の病も飯のタネ? 否それを超えたる「救ふ」とふ天職ぞ
ノルマとして一日一首を投稿す 今日の一首は暑中見舞を
一日一首(令和元年六月)
「継続はちから」と信じ四月余を短歌詠みきたり何ぞ哀しき
ものぐさの「いつもですが」に笑ひをる 古語つかひたくて無理をするなり
急患の処置終へしのちぼんやりと日曜の午後 施設長室に
「効いて呉れ」と念力こめて点滴す。高熱の婆を治させたまへと
熱さがり人形いだき話す婆 授乳の記憶よみがへりゐん
食ぶるさへ忘るるほどの婆(ばば)なれど母性の残影か人形いだく
「平成」の文字を二本線にて消して作る死亡診断書 令和初なり
「逝くものは斯くの如きか昼夜を舎かず」と。孔子の嘆きを令和に復唱す
投影の枠付きフィルム姿消しスライドとふ名のみなほし残るも
パソコンにファイル探せばスライドにて〈昭和〉の大学病院時代まで見ゆ
逝く者は斯くの如しと嘆きつつ令和で初の診断書を置く
十階のベランダ見下ろすプラタナス十本がほどにて夏の街おほふ
診断書に「多系統萎縮症」と書き合掌す「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
心より褒むれば連鎖し世は平和。これぞ「間接的互恵性」なり
電話にて「三百万円」と言はれ上梓せむ夢は儚く砕け散りけり
「無駄だよ」と十七歳(じふしち)のころ厭(いと)ひたる古文の教師の渾名は「ばふん」
夏草に「ラブ・フォーティ!」の声ひびく騎兵旅団の馬場跡にして
工場の‘MORINAGA MILK’とふ文字が夕陽に浮かぶ その裏に騎兵旅団の営門のこる
天を衝(つ)く怒髪なぞなき老いの身は千円カットが相応なるらむ
盛岡に時間はゆつたり流れゆく「春まだ浅く」の調べとともに
レンガ製覆馬場(おほひばば)に響く「ラブ・フォーティ!」かつての騎兵の蹄音いづこ
十一時に検食をして責任もち「メニューも調理も合格」と記す
「高齢者にも食べる楽しみ与えよ」と給食会議で檄とばしたり
〈心地よい施設運営〉を約束し岩手山麓で三度目の夏
「ヒトの脳は七年周期で脱皮する」ほか、黒川伊保子の舌鋒をかし
医師法と同い年生まれの爺医(じじい)われ第一条まもり地域に貢献す
筆順を変へ書きたれば「老衰」の形ととのひ情(こころ)も籠もる
身をたもち生を養ふ要訣を益軒は‘畏’といふ一字に籠めき
一日一首(令和元年五月)
令和なる新しき世のためしとてテレビのごとく五行に詠まむ
見わたせば夜半の嵐に花散りて俯瞰する景に桜見分けられず
エイジング・パラドックスぞありがたき老いて幸福感ずる仕組み
〈チュージング・ワイズリー〉にて駆逐せむ 医者みずからがムダな医療を
こどもの日に児童公園で酒盛りとは!老害と言はれても仕方あるまい
自転車にて父の供養に来しお寺に御衣黄桜が七分咲きなりき
Eスポのいたずらならむ春の宵ハングル聞こゆ机上のハンディ機より
令和五年五月六日は金婚式そして現役医師たるを夫婦で祝はむ
〈趣味の王〉と呼ばれしアマチュア無線なり ベランダに今も小さきアンテナ
新居での暮らしもひと月と気づきたり 今朝マンションの駐車場にも慣れて
車庫入れが大儀とならば返納せむ免許証われにはマジカルパワー
〈RESPONSIBILTY〉なる50ドル札〈I〉が不足の〈責任〉や何処
早朝の運動公園はにぎやかなり声も歩調もかつての若人にて
旧聖火台が盛岡へ運ばれ来るといふ それに向かひて走りたらばいかに
'64東京五輪は記憶あれど十六歳の吾の像おぼろ
〈東洋の魔女〉の回転レシ-ブも懐かしきかな '64東京五輪
くるくると回転する〈東洋の魔女〉たちのパンツに目が行く日の丸ならずとも
「スライドを使う」と言へばプレゼンの会場に鎮座すPCプロジェクター
「スライド」は旧名への郷愁 デジタルの今もそのままの名にてプレゼンす
「い・う・つ・ん」とふ音便まなびて思へるはリエゾン頻発のパリジャンが声
カルモナに〈滝沢中央〉IC開通し東北道にて弘前も近し
目覚めたる大樹の若葉しげるなり紅色のツツジややに慎まし
春すぎて夏きたるらし盛岡にながるる調べや「春まだ浅く」
意外なほど聖火台小さく寂しくも 〈昭和東京五輪〉のイメージ潰ゆ
老いてなほ物欲あるは卑しかり付与されし範囲に余生を送らむ
新幹線〈はやて〉東京の夏を運びきて一瞬にして岩手も「夏日」
あさぼらけ急患ありて走るなり郭公の声聞こゆるなべに
「さっこら」とふ娘(こ)らの掛け声にほひ立つ「幸よ来い」との願ひなりけり
今年もまた〈チャグチャグ馬っこ〉が慰問に来て老いら喜ぶ中に百寿も
九十二歳(くじふに)の恩師が訃音に四十余年前のご講話が一気に還る
恩師作レモン汁たっぷりのハイボール 弟子らはレモンジュースと揶揄したるかな
一日一首(平成三十一年四月)
古希すぎてこののち喜寿には軽く至り傘寿・米寿など経て百寿も超えむ
令和なる新元号をつたふ臣の「巧言令色、鮮矣仁」
令和なる新元号を機に読まむ 斎藤茂吉が『万葉秀歌』
アマゾンも〈在庫切れ〉とふ万葉集 読む人ふえよ歌詠みはさらなり
ひさかたの雲(クラウド)飛びかふメッセージはネット時代の相聞なるや
そにどりの青山の地に住すれば岩手山麓に〈老健カルモナ〉見ゆ
新居にて職場を見ながらとるスマホ、ナースの声が近く聞こえる
誕生は致死率百への一歩なり 生き抜かむかな己が天寿を
老いたれど医はわが天職ぞ こののちも地域医療のささへとならむ
別れ路の高架すべりゆく〈E5系〉心細げに青森へ向かふ
書斎より東北道をながむればベランダのフェンス上を車列が滑りゆく
朝日あび冠雪かがやく岩手山 四月十日の吾がジオラマぞ
最期まで思ひどほりに生きぬきし翁の手にはしかと酸素マスク
福寿草は我が留守の間に終はりしが岩木山今も白銀のまま
山茱萸が玄関先にて迎へ呉る 主(ぬし)留守の間に津軽にも春
沖縄出なれば「めんそ~れ!」と声をかけ〈支援相談員〉の辞令書を渡す
性差別なき世の基準どこに置く 男と女の中間あたりか
「南無御襁褓不要」と唱へ最期まで生活意欲の増進あらまほし
十階のベランダより高きプラタナスよ早く目覚めよ時は春なり
旧陸軍騎兵第三旅団跡に遊ぶ子供らの叫声(けうせい)さかん
妻も古希、ベランダをカフェに祝はむか紅茶の受けはガトーショコラで
インバネスコートの祖父が背(せな)に見き弁護士然たるノブレソブリージュ
見おろせば忽然と満開の桜木は丸き白頭 風なでてをり
「這えば立て、立てば歩め」は親心。「骨盤を立てる」が介護の心得と知れ
消防士ら訓練中ならん高階より見おろせば遊具に遊ぶ児らのごとし
はや三月(みつき)否まだ三月なる歌の道。続けてかならず辞世を詠まむ
水曜日の朝礼にて読む我が秀歌、いないな週歌を詠むこともボケ防止
「団塊」と呼ばれて昭和は駆け上がり平成は下りこし〈一粒〉我も
離れたる妻を名前で呼びたれば「孫捜しか」と人の問ふなり
常ならず 四月晦日の今日はまた平成晦日と言ふも宜(むべ)なり
一日一首(平成三十一年三月)
四日ぶりに妻の戻りし仮住まひ うれしや賑やかさ五倍増なり
妻帰宅のタイミングにてベランダの臘梅開く上向きに二輪
テ―ブルとイス二脚出しさあ春だとベランダ・カフェのオープン間近
「七度九分? だいじょぶだあ」と食堂に来て飯を食う大正おお婆
スタッフもスマホもメモも頼りとて如何にか増さむ外部メモリー
改元が間近となりて思ひをり 昭和は遠くなりにけるかも
物忘れ頻りなれども救ひもある 忘れしことは覚えゐるなり
引越して職場近くに住まんとす さらに二階分だけ今より高く
ステーキもワインも好む三保さんは百寿を超えし山の手育ち
「うまいか?」に十八歳の吾はただ食ひぬ 呑むだけの父の訳も知らずに
再びをマリオスに登り祈らむ日ぞ 山むかふの三陸海岸に向き
〈断捨離〉の登録済みに驚きぬ 営みにとて〈利〉も使うらし
AIに取り仕切らるるか五次社会 われら二次あたりが相応と思ふに
AIは岩戸の陰におはします天照らす知とまで言ふ人さへ居る
「ちゃん」づけで我を呼びたる妻の声に驚きて見れば春の大雪
ホワイトデイに律儀に雪が降るとはね、クルマも春もスピードダウンだ
半日でホワイトの雪とけ去りぬ ひと月待てば桜前線
あしひきの山鳥の尾のしだり尾のさらに伸びゆくネットビジネス
和を以て貴しと為すとふ太子 知るや知らずやインテグラルを
延命の酸素マスクの音つづく あかねさす昼ぬばたまの夜も
べき乗の小さき指数ぞ恐るべき〈power〉で示す原子を宇宙を
何事にも〈e〉の付く世となりたれど短歌(うた)は〈ものぐさ〉に五十九日ぞ
「良く効くよ!」友だちの言う治療など耳に唾つけ良く聞くがよい
トンネルをぬければ残雪のハイウェイ 融雪飛ばし自宅へドライブす
薄るるともジャメヴュとは言ふなかの体験 スーツケースにバグダッドの泥
‘はやぶさ’‘こまち’連結車にて夫婦旅 気分晴れやかに東京目指さむ
准看護師おやつミスにて罰金刑 介護の世界の厳しさを知る
あばら透け「おしょし」と笑ふおばあさん シャツの上から聴診すなり
いまもなほ産科医時代の口癖の「順調ですよ」 エコーあてつつ
愛嬌ある顕微鏡下の白癬菌 アルカリ処理のかなしくもあるか
「よく効く」とふコマーシャルこそ怪しけれ 耳に唾つけ聞くべかりけり
一日一首(平成三十一年二月)
終の食 いいちこ氷なめる爺 看取る家族の禁酒令とけ
胃ろうの人 終の桃ジュースに微笑めり。味覚嗅覚蘇りしならん
酒無用! 供物もいらぬ遺影には 汝とむきあひ生くるまにこそ
辞書を引き古文の授業おもひしる 無駄だといひし十七のころ
神棚の上の天井に「天」の文字貼りて安心 天の川みゆ
看取りにて時計を見るは医のならひ家族につたふまさに今際(いまは)に
漢方もフットケアに鍼までも熟(こな)して暇なし元産科医われ
ブンブンブ~ン電動ヤスリで菌飛ばせ 爪白癬め消えてなくなれ
「天寿だ」と家族が漏らす枕辺で老医吾はただ「南無阿弥陀仏」
「あんざん!」とはしゃぎて伝へし医学生 そのシーン今も見ゆ元産科医の吾に
吹雪く夜、「老衰」と書かんとして手を止めて筆順あらため再び書くなり
寒夜半、「老衰」の文字に慣れしころ診断書かき終へ床に就かんとす
開運を唱へて渡る冬の朝 愛車で向かふ青き岩手山
歌詠み吾チラシの裏に縦書きす 良き歌どもを忘れざるうち
団塊の一粒として生まれけり母子手帳に見る配給物資よ
JKの使ひし「マジ」は変換不可 打消し助動詞〈マジ〉にあるまじ
お詫びにて「あるまじ」などとは他人事 「すまじ」と言ふべし 国会答弁
人口構成ピラミッド型外れゆがみもある膨らむ団塊世代は高齢化せり
お婆さんの足の巻き爪徐々に矯正成功 合掌された
「おしょし」とふ 老婆のむねはあばらすけ ステトをそつと肌着にあてむ
「養生に貯金なし」とふ寝だめ不可食ひだめも不可 いはんや記憶は
昭和さへ遠くなるらむ三十年ぶり新元号に変はるとなれば
顕微鏡のピント合わせて「見つけたぞ!」退治してやる白癬菌め
ただ一輪 上向きに咲く蝋梅は〈団塊の一粒〉のわれにも似たり
胆石のエコー検査で口に出る産院時代の「順調ですよ」
〈入門〉といえども難き文語体 半世紀前のリベンジや更なり
夕顔瀬 旭 開運 不来方の橋脚あらわ 春はすぐそこ
掲示板の重症者名すべて消ゆ床を払ひて春迎ふべし
盛岡の仮住まひなるマンションはやたらに広し 妻は弘前
『どんぐりと山猫』読めば不気味なる宮沢賢治の世界よみがへる
一日一首(平成三十一年一月二十六日より)
いしあたま「短歌が趣味になればいい」老いまっさかり働き盛り
趣味とはれ短歌と答ふれど未熟者 ゆびをり数ふるななつむつやつ
馬手にペン弓手ゆびおる未熟者ボケ予防にとバイタスクせむ
昨夕も今朝も看取りのコールありステトを首に岩手山みゆ
古希プラス一歳迎えし今日思ふ人生下り坂ゆっくり参らむ
雪雲が奥羽山脈こえて来て岩手の空へ軽らかに消ゆ