取材「年に350件」テレビに引っ張りだこ◆あのスーパーの社長はどんな人?【時事ドットコム取材班】(2023年02月12日08時30分)
食品値上げに野菜の記録的な不作、レジ袋の有料化ー。幅広いテーマでテレビのインタビューを受ける様子を一度は見たことがある人も多いのではないでしょうか。街の八百屋さんから有名スーパーマーケットに成長させた社長によると、取材の数は年350件にも上るそう。いったいどんな人なのだろう。気になる名物社長に会ってきました。(時事ドットコム編集部 谷山絹香)
商品は3000品目以上
西武新宿線・武蔵関駅(東京都練馬区)から歩くこと約5分。住宅街の一角にあるスーパー「アキダイ」の関町本店は、買い物袋を手にした多くの客でにぎわっていた。「いらっしゃい、いらっしゃい!」「見ていって、安いよ!」。野菜や果物が所狭しと並んだ店頭で、白色のパーカーに紺色のエプロンを身に着けたあの人が呼び込みをしている。秋葉弘道社長(54)だ。
関町本店で取り扱う商品は、野菜や牛肉など3000~4000品目。ロシアのウクライナ侵攻などで身近な食料品も値上げが続くが、秋葉さんによると、「卵は記録的な高値」だ。餌代の高騰や鳥インフルエンザの流行もあり、普段なら100円台の1パックの値段は240円台にまで跳ね上がったという。「そもそもの商品代が上がっている上に、冷蔵設備の電気代など、店舗運営費も上がっている。本来はその分も価格転嫁しないと同じ利益が出ないんですが…」と厳しい表情を浮かべる。
口べたな幼少期
秋葉さんは埼玉県で育った。テレビの取材には「全部アドリブ」で応じているというが、「小さい時は全然しゃべれなかった」そうだ。小学校では授業中に手を上げて発言することができず、同級生にからかわれたときも、言葉がうまく出てこず、手を出してしまうこともあったという。
転機は卒業式。「中学生になったらもうけんかしちゃだめだよ」との恩師の言葉を胸に、中学進学後は「けんかではなく部活動」に取り組んだ。3年生の体育祭では、応援団長に挑戦。人前で大きな声を出し、それに仲間が答えてくれることに喜びを感じ、「苦手なことを閉ざすのではなく、チャレンジしていきたいと思えるようになった」という。
出会いは高校1年生のとき
工業高校1年生のときに出会ったのが、後に天職となる八百屋さんだ。アルバイトの時給は、当時では高めの600円。「接客を通じて苦手なおしゃべりも改善できるかもしれない、との思いもあった」といい、先輩の姿を見ながら販売方法を学び、アルバイトの時間外だった開店準備も自発的に手伝った。1日で130箱の桃を売ったこともあったという。「お店からは1人の社会人として扱ってもらい、お客さんにもかわいがっていただいた。ただただ楽しくて、とにかくやりがいを感じていた」と振り返る。
高校卒業後、家計を支えようと、計測制御機器の大手メーカーに就職した。仕事も任され、順調に滑り出したサラリーマン生活だったが、「人との会話や四季を感じながら 、本当に自分しかできないことをやりたい」と1年余りで退社。かつてのアルバイト先だった八百屋さんで再び働きはじめ、仕入れから販売まで「商売のイロハ」を勉強した。
自分の店を持ちたいー。その後独立を決意するが、当時、弱冠23歳の秋葉さんをテナントとして受け入れてくれるオーナーはなかなか現れず、最終的にたどり着いたのが、現在の関町本店すぐ近くにあった空き店舗だ。たまたまオーナーの娘が秋葉さんと同い年で、「娘の同級生が頑張っているなら」と借りることができたという。金融機関の担当者から「店舗の前の道は人がほとんど通らない」と開業資金の融資を断られたが、貯金と身内からの借金でオープンにこぎ着けた。
念願の開業、でも…
1992年3月25日、念願の開店。当初は、特売のチラシを見た買い物客がやってきたものの、3日後には客足が途絶えた。
融資担当者の言葉通りだったのか。店を開けても1時間半ぐらい全くお客さんが来ない。そんなある日、そばを通る路線バスに向かって「大根10円」 と書いた段ボールを掲げたところ、高齢の乗客らがバスを降りて、店に立ち寄ってくれた。「嫁にお店のことを言っておくから」「あそこは新鮮だよ」。口コミはどんどん広がり、1日数万円だった売り上げは、その年のゴールデンウイーク明けには30万円を超え、秋には80万円以上になった。「忙しさで、『もう店を閉めよう』と思っていたことも忘れた。本当に苦しかったけれど、人生で一番成長できた1年」と秋葉さん。今では、スーパーからパン屋まで計10店舗を経営し、従業員は200人、年商は40億円に上る。