骨折は日常の景色を少し、強制的に変化させる
2009年夏、高2で体育の時間に骨折したときの話。
その日は雨が降ったことで体育館でフットサルだった。フットサルはまじで楽しい。
小学生の頃から何が許せないって、体育でも美術でも現代文でも、1授業の尺が同じ50分だろ?傾斜かけろやって10年間ずっと思ってた。小学校は2時間つなげたりする考慮があったからまだ評価してた。しかし、高校ではそうもいかなかった。そろそろ公教育の現場も'常識'にとらわれずに変革をしていけ。
んで、準備運動とかウォームアップとか片付けとかあるからパフォーマンスできるのは実質20分とかでしょう?そのせいで、出し切ろうと張り切るんだよ。
ゴール前にいて、味方からパスが飛んできた。ボールとの距離を詰めてボレーシュートするために空中に飛んだ。その後ゴールしたかどうかは全く覚えてない。おぼえてるのは、左足が空中で右膝の裏あたりに引っかかって、体感3秒くらい空中で時が止まったこと。で、もう経験で、これは終わったな。とその(3秒間)の間にはっきりわかった。人生4回目の骨折だ。その体勢のまま、左足の外側から床に向かって真下に落ちた。一番最初に床に着いた箇所に全体重がかかって、その2秒後から(これはどの骨折でも2秒後くらい)、地獄の激痛タイム。
さすがにもういいオトコなので涙は堪えたが、大声は出たはず。そのときに体育教師に声をかけられたシーンを昨日のことのようにおぼえている。「おーい、大げさだなあ。ちょっと冷やしてこい、重症ではないだろ〜」
いつもそうである。自分の体のことは自分が一番わかるし、骨折の瞬間はそもそも3回経験済みだ。で、学校の教師ほど自分のことをわかっていない大人はいない。
保健室に着いた。とりあえず冷やして横になった。痛みが引かない。当然のことながら、腫れも引かない。親が迎えに来るまで、なんやかんや1時間以上待った気がする。病院に着いた頃にはもう痛いとかどうでもよくて、改めて骨折が確定した。んなもんその腫れを見れば幼稚園児でもわかる。
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全治は1〜2ヶ月だったと思う。その次の日から、これももはや伝統芸ではあるが、朝めちゃ早く登校することになった。特に今回は足だったので、まずバスに乗って登校するのが無理。親の送りでしばらく登校してたはず。家から車で20分かけて、07:45くらいかな?に学校に着く。その時間はマジで閑散としてるからね。
ほぼ毎日、クラス一番乗り。そこで知ったのが、うちだけなのかもしれない?が教頭が一通り校内を回っていた。だから、毎朝校内で初めて会話する相手が必然的に、教頭になる。教頭とカラむことなんてそうそうない。そこから、教頭と世間話の毎朝が日常になった。内容なんてない。だが、俺は毎朝教頭と話す。今思えばそんなこともあったなって感じで、おそらくこの体験をしたことのある高校生はそんなにいないはず。名前なんか覚えてないが、顔は覚えている。高校の教頭の顔をはっきり思い出せるヤツも少数派でしょう。
毎朝、2番目に教室に着くクラスメイト、3番目に着くクラスメイト、これらもほぼいつメンである。そして、基本的に男子は朝早く教室に登校しない。そして、2,3番目に登校するヤツは基本的に人に優しい。
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骨折をすることで、高校生の24時間の中身は少し変わる。普段話さなかった人とも話すようになる。痛みと不自由さと引き換えに、少しの温かみと少しの自由さを享受できる権利を得る。
高2の夏は、プレイヤーとしては大会に出れなかった。高体連も。
球出しをして、球拾いをする。部員と楽しく喋る。部長になって初めての夏は、あっという間に過ぎていった。
テニスの雑誌を買い始めた。少ない手持ちの金は購買のチョコチップパンや小岩井みかん味や、放課後のマック、マッシュ(カラオケ)などに使ってきたが、雑誌なんかを買い始めた。
復帰後、サーブのスピードが明らかに速くなった。遊びでやってたテニスも、理論やプロのスタイルを参考に、ロジカルに思考してアウトプットする楽しさを知った。
もう骨折はしたくないが、タイムスリップして骨折していた日の自分を、その日常を、第三者目線で見てみたいものである。
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