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「父と私の出会い」続編

おはようございます。

じーさん観察日記と申します。体調不良を訴え、禁煙禁酒生活を始めた父の観察日記です。

6月6日(土)。

禁煙10日目 / 禁酒6日目

本日は昨日の続き「父と私の出会い」を書いていきます。

母が失踪後、ドタバタであった我が家。どんな状態だったか実のところほとんど覚えていない。

その日、友人と遊んで帰ったら、父に「かーさんいなくなったぞ」と他人事にように言われ、なんとなく母に腹が立ったことだけ覚えている。

何の前触れもなく、消えたのだ。

たった一人で出て行ったのです。

なんか、この消化できない私の感情は、父への反抗期のような形で暴れた。

当時の私は父と怒鳴りあいの喧嘩ばっかりだったのです。

「お前の母親のことだろ」と怒鳴られ

「お前が結婚したんだと」父にどなり、

お互いのネガティブな不安な感情をただぶつけ合う時期だった。

母が消えたとはいえ、これまでの暮らしを何事もなく過ごそうとする父にも腹立ったんだよね。

父からしたら、私たち3人を守ることで必死だったんだろうと、今ならわかるけど。

当時の私は中学生。

「お父さんありがとう」と単純にはおもえなかった。

もともと学校生活が大嫌いだった私は、高校へ入学したものの1カ月ちょっとで、高校を中退。

寮付きの美容室へ就職。

父への甘えが、恨みつらみとして感情をぶつけてしまう自分も嫌だったことあり、父のもとを離れたい。その一心だった16歳の私。

16歳の私の寮暮らしは承諾されませんでした。

家を出たい私と、まだ子供だ!と手放してくれない父。

母が消えて残された私たち家族は、一緒にいることが苦しい家族でした。私だけかもだけど、、、w

父の母、祖母も疲労で倒れてしまい、入院生活が始まったのもこのころ。

18歳でいよいよアパート暮らしを許されるまで、

ぶつかり合いの2年間でした。

18歳を迎え、車の免許を取り、ようやく承諾されたアパート暮らし。

父からの条件は、今出ていくなら一切援助しない。お前もここを(実家)を頼れると思うな。困っても助け船はだせない。

でした。父なりの愛だったのかww

父がアパートに来ることもなく、とにかく必死だったのかな?

合わなくなった、父と大人になった私の続きは、、、

また明日。

本日も、父はやっぱり元気です。

今日は、消耗品を買いに朝から薬局へ出かけていったよ。w

がんばろうね、父よ。

健康に生きるのだ。






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