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映画「海底2万マイル」のはなし 〜または”Atom信仰”とはなんだったのか〜

ディズニープラスに入り、「海底2万マイル」をようやく見終えて、僕の中のディズニーの「未来意識」は根本から崩れ去りました。

重い。あまりにも重い。

ネモ船長の覚悟は、海の深さよりも深く。アロナクス教授の探究心は空の高さよりも高く。それぞれのコントラストが重くのしかかる様にしてやってくるなんて、僕は全く思っていませんでした。

今日はそんな映画の感想文です。

ネモ船長とアロナクス「享受」

アロナクス教授は、最後の最後までノーチラス号の技術や発明に心奪われたままで、ずーっとうわの空だったように見えます。最後の爆発を見て「これでよかったのかも」と叫ぶまでは、誰よりも技術そのものを信じていたのかもしれません。アロナクス「享受」です。

何かを盲信しすぎて何かを忘れてしまうのはよくありがちです。それが技術であれ考え方であれ、僕の目には非常に奇妙に見えました。人類が正しく”その力“を使うためにはどうすればいいのか、この映画ではその答えを示すことはついに最後までなかったのも、やはり時代を反映しているのかもしれないと私は感じました。

ネモ船長は素直でないというのはよくわかります。ですが、「その力」を知ってしまった以上、強烈でネガティブな気持ちに支配されてしまったようにも思います。力を扱う者として、覚悟があまりにも違いすぎる。この2人は非常に対照的ですが、辿った道は2人とも同じ「幻滅」ではないか、と。

「Atom信仰」は「ヴィラン」か

僕がこの映画に衝撃を受けた最大の部分は、「当時のディズニーは”技術の力“に対してもうちょっと楽観的だったと勝手に考えていたから」というものです。ディズニープラスのスペース・マウンテン特集を見ればそんなことはなかったと誰もが感じるのですが、”ウォルト自身が未来というものが何か分からなかった“という事実は僕にとってあまりにも衝撃的でした。

映画「海底2万マイル」と公開が同じ時代の、1950年代のテレビ番組「ディズニーランド」では、未来を象徴する技術として「Atom」(原子力)をよく取り上げていたように感じます。「Magic Highway U.S.A.」なんかも最後は動力に原子力を持ってきて〆ていて、僕はこれを「Atom信仰」とよく呼んでいます。いずれにせよスリーマイルの事故あたりで幻滅してるんだろうなと思ったんですが、まさか同時代でこんな映画があったとは思いもしなかったです。

海底2万マイルは「原子力」という明確なワードを出しはしませんでしたが、アロナクス教授に動力源を見せた時や、バルケニアの基地なんかはもうそのまんま「その力」を見せているようでした。それをイメージするのは、フクシマを経験した現代でも十分可能なほどです。僕はこれに、大きな戦慄を覚えています。

天才ジョン・ヘンチ

これを可能にしたのは、間違いなく特殊効果を担当したジョン・ヘンチあってのものでしょう。

ヘンチは実際にトゥモローランドの建設の際ウォルトに助言するなど、誰よりもそのビジョンを見据えていた天才です。19世紀から考えた「未来」はこうだろう、というのを十二分に表現しきったことはさすがだと思います。電撃のシーンや潜水艦の技術描写など、「うそのほんもの」というのが伸びきった楽しさいっぱいだと感じます。

くらさはあれど、あかるさはある。当時の船舶から徐々に「まだ見ぬ技術」をリック・フレアーのように順繰りで上手く見せていくその巧さも非常にずば抜けています。これと並行して「力を扱うことの難しさ」を見せていることが僕にとって衝撃的だったんですが、底抜けではないことにリアリティも感じました。

ネッドは人間の良心か?

重い(想い)心を抱えたまま沈むネモ船長とは対照的に、ワノ国でのウソップのようにとにかく必死に生き抜こうとするネッド。僕はこの姿に、この映画に隠されたもう一つのメッセージを受け取ったかのように思いました。

生きて生きて生き抜くこと。

どんなことになっても、生き抜くこと。

技術よりも大切なのは、生き抜く心意気。

この映画が進むにつれて、そのぶれない姿に大きな感銘を受けました。どれだけ失望しても、酒に酔えばなんだって楽しくなれる。そしてそれは、自分は自分なんだという軸を持っているから。

命の前には、なんだって代えられない。もちろん目の前の宝石にくらむこともあるけど、宝石や黄金より大切なものは、確かにそこにあったと思います。

アトラクションを感じて

映画の中では、東京ディズニーシーの「ミステリアスアイランド」との共通点を多く感じることができました。ミステリアスアイランドの構造は映画の中のバルケニアとそっくりですし、アトラクションの2万マイルはより「探検」に重きを置いて作られています。ノーチラス号の船内の窓の配置やソファの配置もそうです。アトラクションの潜水艦と本当にそっくりで、とても驚きました。

この街はアキバに似てる、みたいだと言ったらそれまでなのですが…シーの2万マイルがこの映画に比べて非常にマイルドなのは、僕自身は「発見の喜びを感じてほしいから」だと考えています。東京ディズニーシーは発見の場所。だから一部でマイナスなイメージがあるコロンブスが、そこにいるのかもしれないのです。

ネモ船長たちが持つ未知の技術は、僕はアトラクションとは思いません。おそらく向こうもそう思っているでしょう。見せ物ではないからこそ、誰よりも考え抜く責務がある。私たちはそれを、誰よりも試されているかもしれないと感じると、途端にワクワクしてしまうのはサガですね。

ゴジラとノーチラスと

最後にこの感想を締める前に、公開時期も近く、同じ理念を共にし、共にいなくなっていった彼について触れなければなりません。初代ゴジラです。老若男女多くの方が知るゴジラですが、水爆の実験によって生まれた初代の恐ろしさは群を抜いているでしょう。

初代ゴジラ、ノーチラス、オキシジェン・デストロイヤー、そしてネモ船長と芹沢博士。これらは同じ輪の中にあると感じます。強大な力と、それに苦悩する者。わたしたちが生み出したものそのものに苦悩する者。そう感じずにはいられませんでした。

不安なまま締め括った「ゴジラ」と違い、「海底2万マイル」での希望はネッドの存在そのものです。そこに尊厳がある限り、人間は生き続ける。たとえ世界が「スレッズ」のようになっても、確かに生き続けていく。僕はちょっとだけ、また未来に希望が見えた気がします。

そして。Atom信仰の影響あったトゥモローランドも、大きく自然と融合しつつあります。その先陣を切るのが舞浜の新スペース・マウンテンとその広場なのが、誰よりも誇らしいのです。

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