みなさんは、いま話題となっているBBCの下記の記事をお読みになりましたか?
この記事を実際に読んでみて、思う感想は人それぞれでしょう。同意できる点と同意できない点がみなそれぞれあるに違いないと思います。
そこで今回、私がこの記事を読んでみて、同意できる点と少し異なるのではないかなと思う点をまとめたので、よかったらご覧になってみてください。
少し異なるかなと思った点
この記事では、日本の官僚制が非効率の代表だとされています。
果たしてそうでしょうか?
マンホールはたしかに意匠を凝らしたものに敢えてする必要はないかもしれない。ただ、こういったマンホールを面白いと注目する人がいるのもまた事実です。そういった人たちが、わざわざ訪れる観光資源もない町にマンホール見たさに訪れる。あながち意味がないとは言い切れないと思います。
免許の違反者講習についても同様です。
仮に定年後の雇用を作らなくてよいとして、違反者講習はいらないでしょうか?そんなことはないでしょう。ある程度違反歴のある人は、ゴールド免許の30分の講習とは異なり120分の講習を受け、交通安全に対する理解を深める。中にはこの記事のように寝てしまう人もいるかもしれませんが(最初に寝てはいけないと注意されることが多いですが)、交通事故の恐ろしさを改めて認識し、帰りの車のハンドルをいつも以上に注意深く持つようになる人も大勢いるはずです。
もちろん、いずれも統計的なデータを見ての判断ではないので個人的な主観です。ただ、上記の例が効率をあえて下げているものだとは思いません。それに日本の公務員の比率は、その他の先進国と比べても低いため、もし上記のような例によって各公務員に過重な負担が掛かっているのであれば、日本は公務員数を増やすことも検討して良いのではないかと思ってしまいます。
その通りだなと思う点
大きく分けて2つです。
①移民政策に関して
日本は少子高齢化が進行しつづけている中で、移民の受け入れを拒み続け、新たな問題が発生し続けています。私たちは授業で、その昔、弥生時代に渡来人によって日本列島には稲作がもたらされ、元からいた縄文人と交流し、現在の日本人が形作られたと教えられてきました(最新の学説を把握してないので今は異なった見解になっているかもしれません)。その当時は、文化も、言葉も、外見も異なる人々が日本列島に共存していたのでしょう。そして長い年月をかけて今の日本に至る言語や、文化、慣習が発生したのだと思います。
これは個人的な意見ですが、現代は、新たな弥生時代だと考えています。岸田首相がどんなに少子化対策をがんばっても、昨年までに生まれた子どもの数は決まっており、人口構成、つまり少子高齢化の大きな流れは変えることができない。
私たちは労働力を維持し、社会に活力をもたらし、さまざまな価値観の存在が許される多様な世の中を実現するためにも、一定数の移民を受け入れ、その移民の人たちと交流し、新たな日本人、そして新旧入り交じった新たな固有の文化を形作っていく必要があるのではないでしょうか。
②現在の政治の指導者層について
上記の記述はまさに私の思うことそのものです。日本は明治維新以降、あまりにも同じ階級の人たちが指導的立場に立ち続けてきました。
戦後にある程度の入れ替わりはありましたが、それでも、最近の自民党の総理大臣は世襲じゃない人のほうが珍しい有様です。
そんな人たちの意識を代弁した言葉をご紹介します。安倍元首相の祖父である岸信介は、アメリカ初の日系人上院議会議員であるダニエル・イノウエが1954年に来日したとき、このように言ったようです。
この言葉こそ、自民党の世襲政治家たちの嘘偽りない気持ちでしょう。たしかに彼らは、地盤や看板があるから、政治家になるのは他の人と比べ簡単です。
しかし、その志はどの程度のものでしょうか?
父親や親戚が政治家だから政治家になる。あまりにも、政治家になるのことが自己目的化しているのではないでしょうか?
政治的な指導者層の新陳代謝がない国は、事なかれ主義が横行し、いずれ国力が衰え、その後必ず混乱が生じ、新たな指導層や政治体系が現れる。これは歴史の必然です。
ただ救いがあるのが、私たちは民主主義国家に生きているということです。選挙がない国では、指導者層に不満がある人は、実力行使でしか政権交代(=革命)を成し遂げられません。
しかし、幸い、私たちは民主主義国家に生きています。血みどろの闘争をしなくても、新陳代謝を成し遂げることができます。
「世襲貴族議員」たちを国会から追い出す、ある意味庶民の、"投票"によっての「革命」が、今こそ日本には必要なのではないでしょうか?