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義父母の介護保険利用

12年前、私は 家を出された。
文字通り、家を追い出された。
きっかけは、義父の妄想だった。
私に莫大な借金があって、毎日のように借金取りがくる。
あいつが家にいると、家を乗っ取られる。家の権利書まで持ち出した。
だから 俺は命に変えても アイツを追い出さなければならない。
自分の兄弟の所へ出かけては、そういう話をしていた。

事実であるはずが無い。私は借金なんて無い。ローン一つ組んだ事もない。
借金取りなんて 来た事もない。どうして こういう話になったのか、皆目
見当もつかない。

だが、義父の兄弟たちは みんな 長兄の言うことをマルっと信じてしまった。
ある日、大挙して押し寄せてきた義父の兄弟が 義母と夫に「嫁を追い出せ」と
迫った。鬼気迫る叔父と叔母たちに 命の危険を感じた夫は、私を連れて
実家へ向かい、そのまま 私は置いて行かれた。
私の父に 泣きながら「Yを頼みます、私が力不足で申し訳ありません」と
頭を下げ、振り返りもせず 家へと向かう夫の小さな背中を今でも覚えている。

そんな義父母が とうとう身体も言う事を聞かなくなり、介護のお世話に
なりたい、と言う。無理もない。私が追い出されてから、義母はずっと
自分で料理や洗濯、掃除など 家事を全てやってきた。義父は 昔気質の人
だから 自分のことくらい自分でやりなさいよ!なんて 言っても聞かない。
もう90歳になるのだ。ずっと介護保険料も納めてきた。何一つ 介護保険の
お世話になった事のない、気骨のある老夫婦だ。
昔の小さな深いお風呂に自分で入れなくなった。お湯を沸かしてる最中に
出かけてしまって、ヤカンが真っ赤になっていて火事になるところだった。
灯油を給油してて忘れて、灯油が漏れてしまった。なんてことは日常茶飯事だ。
そうなったって、嫁の私が家に入れば また在らぬ妄想が膨らんでしまう。
嫁の作る飯には、毒が入っている、と 本気で信じている。
そんな状況では 義母に対して どんなに申し訳なく思っていても 
嫁である私は 手を出せない。

そんな義母が デイサービスに行きたいという。家のお風呂が寒くて
浴槽に入れないほど足腰が弱っているので、冬でもシャワーしか出来ない。
寒すぎる。あったかいお風呂に入りたい。
そりゃそうだ。すでに朝は氷点下になることもある場所に住んでいるのだ。

市役所へ出向き、12年前からの成り行きを話し、義母の希望を伝えた。
すぐに動き出してくれた。あっという間に認定が下り、要支援2だという。
もう90になると言うのに、支援? 要介護より手前? 凄いなぁ。
耳は遠いけど頭はシャッキリしていて、歩くことや座ることに問題はあるけど
つかまって歩けるし、座れるし 自分で出来ることが同じ年代の人より多い。
50年以上農業をしてきた人の凄さ、だろうか。
あれよ、あれよと言う間に デイサービスの場所も決まり、曜日も決まり、
その時におじいちゃんのお昼は困るでしょうから、と お弁当の事まで
考えてくれた。市役所のケアマネージャーさん、頼りになります。

12年前、家を出された時、義父は認知症だろうと思った。
認知症にも色々あって、今でこそ様々な検査や薬や 対応の仕方があった
けれど 当時は本当に どこにも支援の場所がなくて、怒りや絶望の吐口も 
支援の窓口も 全然 充実してなかった。でも 12年経って、私も(認知症の)
家族会に入り 少しずつ勉強して 人との繋がりも出来て、心の準備も 
それなりにして来た。
以前の私だったら 嫁という世間体と地域のシガラミと家族という枠組みの中で
きっと雁字搦めになって 苦しんでいたと思う。
でも 今は 違う。 頼れる人がいる。助けてくれる人がいる。
大丈夫と言ってくれる家族がいる。親身になって相談にのってくれる人がいる。
これからやっと 義母に少しだけ 恩返しができる。
これからの人生、少しでも「楽しかった、温かかった、良かった」と
思ってもらえる毎日に出来たら 最高だ。

12年前、真剣に離婚を考えた。まだ 子供もいなかった私は、絶望して
夫と一緒に生きる希望も、勇気も 無くしていた。
その頃の 自分に会えるなら、こう言ってあげたい。
「大丈夫、きっと大丈夫。助けてくれる人との出会いがあるから。
 そして皆が 助けてくれるから。だから 生きていこう。」と。
あの時、義父を恨んだまま 死ななくて良かった。
今、心から そう思う。




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四葉と話すネコ
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