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いたいの いたいの とんでけーっ!
「 いたいの いたいの とんでけーっ! 」
あなたを生んでから
いったい 何回
この言葉をとなえたことか。
公園でひっくり返って
膝を擦りむいたり
階段から落っこちたりするあなたに、
「 いたいの いたいの とんでけーっ!
ほら!
いたいの、とんでったよ 」
『 どこに? 』
「 あの山の向こうに 」
『 まだいたい! とんでけ、して 』
「 いたいの いたいの とんでけーっ! 」…
わたしは
何回もくりかえした。
あなたを授かる前、
わたしはこの言葉を
ささやかな、気休めのような
" ちょっとしたおまじないみたいなもの "
だと思っていた。
でも母親になった今、
わたしはこの言葉の意味が
変わったことに気づいた。
あなたがベビーカーから落ちて
頭を強くぶつけた時、
「 いたいの いたいの とんでけえーっ! 」
と わたしは本気で祈った。
(神様! どうかこの子を助けてください!)
わたしはあなたを抱きかかえ
必死で小さい頭をさすりながら、
何回も
何回もくりかえした。
これは
単に " おまじない " じゃなく、
母親の切実な " 祈りの言葉 " だった。
あなたが泣き叫ぶたび、
わたしもいっしょに泣いた。
でも母親だから
泣いてはいけない…
強くなければいけない…
そう思っていた。
母親になったら
もっと強くなれると思っていたけど、
実際は
自分の弱さや無力さを感じる毎日だった。
もしかしたら
母親になるということは、
この無力さを知ることなのかもしれない。
あなたが大人になっても、
あなたのそばにいてあげられなくても、
わたしは祈り続ける。
どうにもしてやれない
あなたの痛みや悲しみに…
「 いたい のいたいの とんでけーっ! 」
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