「ラクに終わった」と「疲れてない」は別物!?
私の習慣の一つが、「非常階段上り」。
我が家はマンションの10F以上の高さのフロアにあります。
毎朝子どもたちの登校をマンション下で見送った後、自宅に戻るときにはエレベーターではなく階段を使う。ゼーゼーと息切れしながら玄関のドアを開ける日々です。
STAY HOME時代のコロナ太り解消のため、少しでも足を動かす機会を……と思って始めたこの習慣。
何度か自然消滅したのですが、体重が成長曲線を描き始めるたびに「階段上っておくか……」とそのたびに復活するということを繰り返しています。(笑)
物事を習慣化するには、「既にある習慣とセットにする」のがキモ、とはよく言われますが、これも「子どもの見送り」というものの帰りにセットしているからこそ続くもの。非常階段の隣にはエレベーターがあるので毎朝誘惑に駆られるものの(笑)、実際時間を計ってみると2分程度の運動なので「それくらいなら耐えてみるか……」ということで何とか頑張れます。
たとえ数分の運動でも、心拍数が上がった状態で家に戻ると、体にエンジンがかかっているので勢いに任せて億劫に思えていた片付けに取り掛かれたりするので、それもまた好循環。
「ラクに終わった」と「疲れてない」は別物!?
……と、実は今日お伝えしたいのはその「習慣」の話ではなく……。
今朝もよいしょよいしょと階段を上ったわたくし。
その途中で、ふとスマホを眺めながら足を進めると、あら!気づかないうちにもうわずかというところまで到達していました。
実はこの「気を逸らす」効果は過去にも感じていて、誰かのブログを見たりしながら歩いていると、いつもはしんどいはずの道のりがあっという間に過ぎ去り、気づけば自分の階を通り越してた!なんてことも。
これまでは「なるほど~億劫な時やしんどくて気が重いものに対しては、こうやってそこに集中せずに済むお楽しみをセットすればいいのね!」なんて解釈していたのですが――。
最近、しばしば子どもや家族にブチ切れまくりのわたくしは、自分にとってのストレッサーやコーピングの在り方について、もっと敏感になろうというアンテナを立てている日々でして。
そういう意識でこの「スマホを見ながらすいすい上る」ことを見つめてみたら、「むむ、これって危険な行為かも……」って思っちゃったんです。
「強制終了」というコーピングの有効性
同じ負荷の運動を続ければ、身体が慣れてラクになることはあるにせよ、たった1日でそこまで変わるはずはなく。同じ段数の階段を同じスピードで上り切れば、昨日とほぼ同じ疲労レベルであることは間違いない。
なのに、ちょっと意識を逸らしてごまかすことで、「あれれ、軽々登れちゃった!」と、自分の疲れに気づかずやり過ごしてしまう――。
いろんなことに対して、できるだけ前向きに楽しみながら取り組むって素晴らしいし、せっかくならそうありたい。
けれど、その「ポジティブさ」から切り離して、「疲れ」というものを一度落ち着いて手のひらに乗せて眺めてみたり、重さを測ったりすることもわすれちゃいけない。
わたしは比較的パワーに満ちているタイプで、自分にとってデフォルトでも人から見ると活動量が多いと言われることも多い。言い換えると、ブレーキを持ち合わせていないともいえるのかも。
そういうタイプの人間は、いざって時に「こういう風にリセットします」と備えても無駄。だって、ブレーキがないから、自分でかけようがない。(笑)
だからギリギリまでガンガン進んで、大事故起こしてブチン!!!て切れるんだ!!!!
もしかしたら、これまで私が考えていた「コーピング」は、疲れや不安を誤魔化す術に留まってないかい?
いざって時にコーピングスイッチを押すのが苦手(=気づけない)なら、「〇曜日は(自覚の有無にかかわらず)何もしないを徹底する」「この日は、自分のためのことしかしない」と機械的なスケジュールを決めて、強制的にクールダウンするような仕組みの方が適しているのかも。
――ということで、今がご機嫌であろうが、疲れていないと思っていようが、5月からは「強制終了」というスケジュールをコーピングとして取り入れてみようと思います。
わたしとおなじタイプの方がいらしたら、ぜひご一緒に。