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「他人の感情に責任を負わなくていい」

年末から、マインドマップの師でもある希恵さんの「お母さんのための心理学講座」(母学)を受講しています。

この母学、そして毎朝希恵さんが配信しているインスタLIVEで立て続けに耳にしたのが、「他人の感情に責任を負わなくていい」という一言。
え!?怒らせちゃったり不機嫌にさせちゃっても、それは「私の責任」と思わなくていいの!?
いや~……衝撃でした。

そこで知ったのが、「自他境界(バウンダリー)」。

もしかして、私が犯してきた人間関係の数々の失敗も、親との関係で時に悶々とするのも、この「バウンダリー」に手がかりがあるのでは!?と思い当たりまして。

自分なりに何冊か本を読んだりする中で、様々なキーワードや気づきを得たので、本日はそんな「バウンダリー」について簡単にお話したいと思います。


バウンダリーとは?

バウンダリーとは、自分と他人との間にある境界線…というか、もう少し緩やかに、境目(さかいめ)という方がマッチするのかしら。

それぞれの「時間的・空間的なパーソナルスペース」の境目、といったところ。人間関係の間合いともいえます。

ちなみに、このバウンダリーは仕切り直しもOK。
「いいものを取り入れ悪しきものを出す」こともできる。
そのため、がっちり互いを出入り禁止にする「高い壁」ではなく、
出入口を付けた「柵」と表現されることもあります。

そんなバウンダリーに守られたパーソナルスペースがそれぞれあるはずなのに、自分は、あるいは他人は、しばしばそれを侵す。

「あなたのためを思って」


たとえば、よく出くわす「あなたのためを思って」。

これは総じて、実は「自分のため」。
いや、本人は本当に「あなた」を思っていることも少なくない。別に自分の都合のいいようにコントロールしようとしているとも限らないんです。じゃぁどうして「自分のため」?

それは、「自分の『いい』=あなたにとっても『いいはず』」。つまり、自分と他人の境目を曖昧にすることで、相手の事情や価値観を無視して自分と同一視しているから起こること。
意識的・無意識的問わず、「バウンダリー無視!」の一例。


「困っているひとを助けなくてはならない」


これもまたよく言われる言葉。けれど、これもバウンダリーの問題をはらむことが多いのです。

それは本当に「自分がそうすべきだ」と思っているのだろうか?誰かから植え付けられた考え方ではないか?実は自分は「今は助けたくない/助けられない」事情があるにもかかわらず、「せねばならない」から溜息つきながら助けていないか?――だとしたら、それは「他者中心」の選択。「バウンダリー」を超えて誰かさんにコントロールされている状態。

人は「理想=MUST」にしがち。そこから思い込みが生まれ、悩みが増える原因になる。

もし「助けない(助けられない)」のだとしても、それは相手を大切にしていないこととイコールではないのです。

思考が走ると「マインドレス」に

わたしはもともと「ビビり」なのですが、その一因は「思考に走りすぎだったから」というのも読書を通じて気づいたこと。

まず「何が正解か」を考えてしまうから、「自分中心」ではないところにどんどん話が飛んで行ってしまう。

思考はコントロールできても、感情はごまかせない。
にもかかわらず、ごまかせないはずの感情を抑え込んで一生懸命思考すると、「マインドレス状態」になっていく。「~しなければならない」は「それをして当たり前」に翻訳され、それができないと自分を責めることになる。

「自分中心」の生き方というところにフォーカスすると、自分の感じ方を信じることができ、自分の状況がわかるようになる。「今」「ここ」で自分が何を感じているかわかる=マインドフルな状態になるので、自然に「自分を大切にする」方向や、「トラブルに見舞われない」方向に基準が設けられる。――自分を傷つけない選択ができるといいます。

これにも至極納得。
人との関係や見られ方に臆病になっているが故に、人から傷つけられないように「思考」優先にして自分を抑えようとするけれど、結果的にそれは自分を自ら傷つける行為だったと。あぁ、なんということを自分はこれまで繰り広げていたのか!


でも、相手が怒ったらどうするの?

例えば自分が行った選択の結果、相手が怒ってしまうこともあるかもしれない。

けれどそれは「私の責任ではない」
だって、自分にも相手にも「自由」があるから。感情の自由、生き方の自由。

誰かを傷つけよう、いやな思いをさせようとして行った選択なら、それはいけません!
けれど、「自分が幸せになるため」に選び取った結果、相手が怒りだしたのであれば――それは「相手が感情の自由の中で『怒り』を選択した」ということ。

たしかに、どんなに大切に思う恋人に対しても、気持ちに変化が生まれて「別れ」を選んだことってきっとあるはず。できれば傷つけたくないし、申し訳ないとも思う。けれど自分は一緒にいられないと思えば、自分の未来のために、別れを選択する。

逆に、誠意をもってフラれたとき。時間はかかっても「それは仕方のないことだったのだ」「誰のせいでもない」と自分なりに消化して、「あの人が幸せになりますように」とすら思える。

こんな風に経験を振り返っても、相手の感情に責任をもつ必要はないし、もたなくて大丈夫なんですよね。


私は「バウンダリー使い」がヘタっぴだった!

そんなこんなで読了した中で思ったのは、

  • 私は他人に対して「心配」「先回り」でバウンダリーオーバーをしがちである

  • 相手の気持ちを同一視しすぎる(→理想の反応を頭に描きすぎる→勝手に傷つく)

  • 自分だけでなく相手に自由があることを認識できれば「マインドフル」になれる

わたしは「社交性」を上位資質にもち、「役割意識」が強い。だから、雰囲気良くしようと積極的に働きかけようとすることが多いのですが…それは相手に「どれだけ近づくか」ではなく、「どこまで近づくか」という視点をどこかに忘れがちだった気がします。

いや~まだまだバウンダリー使い(?)はヘタっぴですが、それでも知っているのと知らないのでは大違い!「社交性」という自分の資質を活かしながら、自分を傷つけない方法をこれから少しずつトレーニングしていきたいと思います!

▼今回私が読んだ本はこちら

2021年12月、WordPressでWEBサイト「じぶん実験室」を立ち上げましたが、2023年6月より、noteにお引越しを始めました。

2021年12月~2023年6月の記事は、WEBサイトに掲載していたコンテンツをそのまま移行したものです。

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