自分の中に眠る潜在意識
思いおこせばあれは小学校の4年生だったかな、初めて仲間はずれにされた日。仲良しグループのリーダー的存在のA子と些細なことで喧嘩になった。その日のうちに仲直り出来なくて、明日には仲直りしてまた一緒に遊べるかなぁなんて軽く考えていた私。
でも次の日学校でT子に『おはよ〜』と声をかけると何故か無視された。
え?何で?私何かしたかな?昨日まで一緒に遊んでいた友達が急に無視するようになる。
『ねぇ、私何かした?』
T子『ごめんね、もう一緒に遊べないんだ。話ももう出来ないから』
なんとなく分かった。これってこれからいじめが始まる序章?
些細な喧嘩から仲間はずれが始まり、グループのリーダー的A子が周りの友達に私を無視するよう指示していたのだ。
よくTVでいじめ問題とか話題になってたけど、まさか自分がこれからそういう対象になるなんて思ってもみなかった。
何より昨日まで当たり前のように一緒にいた友達全員が一瞬で『あんたとは仕方なく一緒に居てあげてただけだから、A子と居られればそれでいいんだから』と言っているかのようにさえ感じた。
私が仲良しと思っていた友達は皆A子の一言で私を無視するようになった。
遠くから見ていたA子は私と目が合うと、サッと視線を逸らしその場を立ち去った。
その日から地獄のような日が始まる‥‥。
大人になった今でも私の中に過去の出来事が今でもひょっこり顔を出すことがある。
子供達は将来ひとり親であることを理由にいじめられたりしないだろうか?
私には両親がいたけど、A子との関係悪化からいじめの対象になった。いじめの原因になるきっかけなんて何にでもなり得るものなのだ。
子供の世界は残酷で、何か一つでも大多数と違う性質や『みんなと違う』というカテゴリーからこぼれ落ちるといじめの対象になる場合がある。今でいう多様性なんて考えは残念ながらそう簡単に認められる世界ではない。
もし私がシングルマザーであることが子供達の学校生活でいじめのきっかけになるとしたら?
‥‥耐えられない。子供が努力して回避できる理由じゃなくただ『親の離婚』という子供にはどうしようもない事を理由にいじめにあうなんて‥‥。
まだ子供達がいじめにあうなんて決まってもいないのに、どんどん思考がマイナスの渦に引き込まれていく。
子供達がそんな思いをするリスクは避けたい。離婚しなければ?私さえ我慢すれば?
当初はそう思い自分の心に蓋をして生きていた。
自分の心の奥に潜む『孤独、喪失感、自分の存在を他者に認められたい願望』がいつしか『自分が想うほど他人は自分を想っていない』という冷めた思考にすり替わって上書き保存されたのだ。
私が仲良しだと勘違いしていただけなのかもしれない。周りは全くそう思っていなかったんだ。他人に期待し過ぎていたから嫌われていじめにあったんだ。
そんな風に自分の存在を全否定することで『虐められている自分に原因があるからいじめられても仕方ない』と何とか今ある現実を納得しようとしている自分がいた。
そうじゃなきゃその場にいられなかった。無視される学校という場所。自分の存在を否定される場所。
いじめられる理由が自分にあると自分自身を納得させなきゃ。そうじゃないと居場所のないその場に存在し続けられなかった。