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第4話 手術への絶対的信頼が、私を苦しめた

2度目の眼瞼けいれんの手術のあと、全身に硬直やけいれんが現れて。

手術を受けた病院に電話をかけると、「ジストニア」という、聞きなれない言葉を耳にした……。

これが前回までのお話です。




第4話 手術への絶対的信頼が、私を苦しめた



ジストニアとは、脳に何らかの異常があって起きる運動障害だと言われています。
自分の意思とは無関係に筋肉が硬直したりけいれんしてしまう。
詳しい原因がわかっておらず、治ることも残念ながら難しいのだそう。

そんなジストニアという診断を、なぜ病院の先生は電話越しでできたのか。それは、眼瞼けいれんもジストニアの1つだから。
瞼だけの運動障害が、2度目の手術をきっかけに全身に広がったことになります。

それなのに、私はここからさらに瞼の手術を続け、悪化し続けていきました。
5年間で、合計7回。
どうしてここまで重ねてしまったのだろう。

一応、神奈川県内のジストニア専門医を訪ねてみたこともあります。
瞼の主治医に紹介してもらったのです。
診断は、そこでもやはりジストニア。

アーテンという薬が処方されました。
それによって、確かに震えやちぎれそうな筋肉の痛みは解消されました。

しかし、返って四肢や瞼の硬直感が増したような。
何より、異常な倦怠感を覚えベッドから起き上がることができなくなりました。

あまりに辛いときは、量を減らしました。
すると心身が楽になる。
やはり飲まないほうが良いのではないか。

薬の効果を感じられないことが、手術を選んだひとつの要因でした。

ただそれ以上に、根本的に治りたかったというのが大きかったと思います。

ジストニアには、対症療法しかないと言われています。
けれど、私は完治を目指したい。
その想いを当時一番叶えてくれそうだったのが、瞼の治療でした。

瞼で全身の症状をコントロールしようなんて、ジストニア界の常識からは外れた考えだったと思います。
けれど私は、瞼の状態で全身が変化することを何度も経験していました。

重症筋無力症を判断する検査で瞼がパッと開いたとき、心身ともに軽くなった経験。
2回目の手術で全身性ジストニアになったけれど、3回目の手術で瞼が開きやすくなると、全身も少し動かしやすくなった経験。

こういう経験をたびたびすると、瞼さえ治せれば……という希望をどうしても持ってしまうのです。

ジストニア専門医にこうした話をしても、あまり理解してもらえませんでした。

「それって、瞼が開きやすくなって前が見えるようになったから、歩きやすくなっただけでしょ?」

と。

けれど、私の感覚はそうではない。
確かに瞼の状態によって、全身の症状が変わるのです。

手術に希望を託すしかない。
託したい。
託せないと困る。

あらゆる感情が混ざり合って、手術を続けていったのだと思います。

(つづく)


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頑張りたい理由がある人へ | ジストニア体験者・克服研究家 永松ひさこ
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