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第1話 演技をしたから、精神的な問題です

これから10話にわたって「私のジストニア物語」を紹介していきます。

眼瞼けいれんから始まり、全身性ジストニアへ。そこからどのように回復軌道に乗れたのか。その経緯をつづった短編物語です。

序盤は耐える状況がつづきますが、最後は希望を感じられる内容になっていると思います。

のんびりと読んでいただけると嬉しいです。何かの参考になりますように。



第1話 演技をしたから、精神的な問題です


2007年、春のこと。
私は、横浜市内の大学病院に向かっていました。1週間の検査入院をするためです。
実は半年前から、瞼や顔まわりに異変が出始めていました。

瞼が垂れ下がる。
眉間が強張る。
眩しくて、瞼がけいれんする。

でも、どこに相談すれば良いか分からない。
ひとまず、お世話になっていた顎関節症の先生をたずねてみることに。



先生は別の歯科医を紹介してくれました。
そこで、私の症状は重症筋無力症ではないかという疑いが浮上。
この病気は体の筋肉に力が入らなくなる指定難病で、瞼が垂れ下がったり、物が二重に見える症状も含まれるそうです。

「一度大きな病院で診てもらった方がいいと思います」

先生はそう言って、今回の大学病院を紹介してくれたのでした。

初診で、検査入院が決まりました。症状だけでは何とも言えないから、と。
1週間の間に、さまざまな検査を受けました。
特に変化を感じないものばかり。
その中で、1つだけ身体が反応したものがありました。
それが、テンシロンテスト。

これは、重症筋無力症を判断するのに用いられる検査です。
検査薬を静脈に入れて、瞼や全身の力が入りやすくなるか診ることが目的だそう。
これに、私の身体は反応しました。
瞼がパッと開いたのです。
心身に羽が生えたような軽さを感じました。

瞼に異変が出てから初めて変化らしい変化を感じられて、嬉しかった。
これで診断がついて、治療してもらえば、問題は解決するかもしれない。

しかし、退院の前日、診断結果を聞いて私は愕然としました。

 「どこにも異常が見られませんでした。精神的なものでしょう」

決定打となったのは、2回目に使われたプラセボ薬(食塩水)でも目が開いたから。
実のところ、私は2回目のテストでは、自分の力で瞼を持ち上げました。
1回目のような反応が出ないことに、焦ってしまったのです。
薬の効果があったように見せないと、治療してもらえないかもしれない。

しかし重症筋無力症とは、どう頑張っても力が入らない病気。
一方、私は頑張れば瞼を開けることができた。
だから精神の問題だという診断になったのです。

異常がないのだから、本来ならば喜ぶべき結果のはず。
なのに、なぜその診断ではダメだったのか。
それは、私が幼い頃から心身の不調を感じていたからです。

(つづく)

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