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第7話 点と点が線になってきた

幼い頃に後頭部を強打して脳震盪を起こした過去が、急によみがえってきた。
私の原因は脳なんだ。
脳を診てもらわないと。
でも、どの病院に行けば良いのだろう。
ふと、一件の治療院が頭に浮かんだ……。

これが前回までのお話です。




第7話 点と点が線になってきた


この治療院は、たまたまインターネットで見つけて以前から気になっていました。
さっそく、先生の本を買って読んでみる。
すると、あるページに目が止まりました。

「交通事故などで、頭部を強打したり打撲した経験はないだろうか」

「自分の性格のことで過去に悩んだことがあったり、現在も悩んでいる人は、頭蓋骨に異常がある確率が非常に高い」

私のことだと思いました。

頭蓋骨とジストニアとの関係は、本の中には書かれていませんでした。
けれど、少しでも人生が変わってくれるのなら。
藁をもすがる想いで、行ってみることにしました。


先生は、私の頭部を丁寧に触診してくれました。

「左後頭部全体と、中央から右2センチあたりの右後頭部まで、骨折してるね。
縦に3本、横に2本、まだ骨折の跡が残ってるよ。
その下の脳までダメージを受けてしまっている」

先生によると、「微細骨折」というのがあるそうです。
画像には映らない。けれど、触診すれば分かる骨折。

「長年、頭に爆弾を抱えていたんだね」

先生の言葉を受けて、暗いトンネルに、ようやく光がさし始めてきた気がしました。



この治療院には、もう10年近く通っています。長年かけて積み重ねてしまった身体の問題。当然、一度では解明しきれません。
けれど、通院を重ねるうち分かったことは、後頭部の問題はあらゆる症状の下地ではあるけれどジストニアの直接的な原因ではないということ。
顎関節症の手術が、最初の引き金でした。

先生は、ジストニアとは薬剤性を除けば、どこに症状が出ようと感染症が原因だと考えているようです。


2006年、夏の終わり。私は左顎関節症の手術を受けました。学生時代からの違和感が社会人になって強くなり、いよいよ口が開きづらくなったのです。

この時から過去をつきつめられていたら、未来は変わったのだろうか。

当時は、ただ顎が痛い、口が開かない、だから治療が必要だと思っていました。
画像上でも歪みが確認できるから、手術しかないだろう、と。

けれど、なぜ歪んでいるのか?
そこに意識を向けられていたら、もしかしたら幼少期に転倒したことを思い出せたかもしれない。
頭蓋骨が歪み、顎まで歪んでしまったのではないか、と思うことができたかもしれない。

でも、治療という選択しか持たなかった私は、手術を受け、病原体に感染。それが、脳全体に広がったようです。

顎の手術から数か月後。
今度は左目の視界に違和感を覚え、眼底検査を受けました。
結果は、多発性一過性白点症候群。

「目が風邪をひいたようなもん」と当時の眼科医は説明しました。

顎から感染した病原菌が、左目に入っていった。
これが「目の風邪」の正体だと考えられます。

瞼が垂れ下がり、眩しさを感じ、瞼がけいれんするようになったのは、この検査の後からでした。
元々ダメージを受けていた私の脳は、検査時に受けた光のフラッシュで一気に弱ったと思われます。

幼い頃から疲れやすかった。
瞼も重かった。
けれど、脳は弱いなりに頑張って瞼を開けてくれていたのでしょう。

それが、検査をきっかけにもう頑張れなくなった。
本格的に瞼が垂れ下がり、眩しさを異常に感じ、瞼がけいれんするようになった。
その治療のために受けた瞼の手術により、さらに感染症は広がり、全身性ジストニアへ……


これまで、たくさんの「なぜ」が頭を埋め尽くしてきました。

どうしてジストニアになったのだろう?
何がきっかけだったのだろう?
どうして悪化したのだろう?

生き方が間違っていたのだろうか?
そんなことまで考えるようになりました。

けれど、それらの疑問が少しずつ解けてきて、気持ちが楽になっていった。

私はここから、さらに月日を重ねながらジストニアへの理解を深め、心が解けていくようになりました。


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