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第3話 瞼を手術して、全身性ジストニアに

幼いころから不調があっても、「精神的な問題」だと診断されてきた私。
瞼が垂れ下がっても、診断は同じ。
おまけに、「ヒステリー」とまで言われて。
原因追求する私の長い旅が、
ここから本格的に始まっていく……。

これが、前回までのお話しです。



第3話 瞼を手術して、全身性ジストニアに


原因をつかむと意気込んでみたものの、どう調べれば良いかわからない。

そこへ、母が一冊の健康雑誌を持ってきました。
紹介されていたのは、眼瞼下垂症の専門家。
眼瞼下垂症とは、瞼が黒目の上まで上がらず、垂れ下がった状態を指すそうです。
それがうっとうしくて無理に瞼を開けつづけると、あらゆる不調が現れるのだとか。
頭痛、肩こり、顎関節症、心身の疲労感、自律神経失調症など。

さらに詳しくインターネットで調べると、眼瞼けいれんという言葉が目に止まりました。
眼瞼下垂が進行すると、発症する可能性があるのだそう。

光の眩しさ、眉間のこり、瞼のけいれんが主症状。
私の症状と同じだ。
私は、眼瞼下垂が進行して、眼瞼けいれんになったのかもしれない。

さっそく、この先生を求めて信州まで行ってみることにしました。

2007年6月。
私は信州の病院で、瞼の状態を診てもらいました。
診断は、やはり眼瞼下垂と眼瞼けいれん

先生は説明してくれました。

「正常な瞼は、瞼のフチと薄い膜がつながっています。
だから、自然に瞼を開けられるんです。
でも両者の接続が緩くなったり、外れると、瞼が下がってしまう。
そのまま無理に瞼を開け続けると、けいれんが起きることがあります。
自律神経にも影響するため、心の問題が現れたり、まぶしさも感じるんですよ」

しかし、問題はそれだけではないと先生は言います。

私の瞼は、そもそも構造的に硬いのだそう。
なので、瞼まわりにボトックス注射をしてけいれんを落ち着かせても、開けづらさは残るだろう、と。

先生は手術を提案しました。
まずは一重瞼を二重にして、根本的に瞼を開けやすくする。
次に、外れている瞼の膜とフチをつなぎ合わせる。
最後に、けいれんする筋肉を切除する。
こういう内容でした。

私は、同意しました。
幼い頃からの不調の原因が、やっとつかめた想いだったからです。

眼瞼下垂は高齢者に現れやすい症状。
なのに、なぜ私は幼い頃からそれを感じていたのか。
理由は、生まれつき開けにくい瞼だったから。
それによって、幼い頃から心身ともに不調を感じていた。

でも瞼さえ開くようになれば、無理に開けることはなくなる。
けいれんもなくなる。
眩しさもなくなる。
すべてが解決して、これからは軽やかに生きられる。

原因追求が、思ったより簡単に終わってしまった。

安心感が生まれたのか、これを機に、私は昔から具合が悪かったことを母にポツポツと話せるようになりました。

その一方で、今思えば
かすかな、本当にかすかな疑問は
あった気がします。

ずっと抱えてきた悩みは、本当にまぶたが元凶なのだろうか。
悩みの深さに対して、あまりに簡単に解決されすぎてはいないだろうか。

今となっては、どこまでこの治療に納得していたのかわかりません。

けれど、それよりも期待の方が大きかった。
さっさと、悩みから解放されたかった。
私は未来に大きな希望を抱いて、手術にのぞみました。

手術を終えると、瞼は確かに開くようになりました。
頭痛、肩こり、顎関節の痛みなども軽減したような気がする。
しかし、思い描いていた軽さとはだいぶ違う。

それに、手術後から新たな症状もありました。

左顔面や側頭部が左につれる。
左半身全体が、重くだるい。
左目の強い充血と痛み。

手術前から左瞼の方が症状が強かったけれど、全体的に左に集中するようになったのです。

先生は2度目の手術を提案しました。
今度は、左下瞼の筋肉を少量とるとのこと。
私も同意しました。

私の根本的な問題は瞼なのだから、瞼を良くしなければ快適な生活は望めない。
手術をしない選択はないと思ったのです。

手術は無事に終わりました。

しかし、数日後から現れたのは両瞼の強烈なけいれん。
さらに右腕の震え、硬直感、脱力感がみられるように。
それが広がって左脚、左腕、右脚へ。
体幹まで、大きくけいれんするようになりました。

手術した病院に電話をかける。
そこで私は初めて、ジストニアという言葉を耳にするのでした。

(つづく)


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