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【健康エッセイ】性格も、考え方も、生き方も、変えられる


・昔は「適当」が嫌いだった


かつての私は、「適当」という言葉が好きではありませんでした。

そう言う人にも、敵対心をもっていました。

私にとって「適当」とは、生きることを諦めているように感じていたから。

・本当は「適当」に憧れていた



今にして思うと、本当はそうしたかったのだと思います。

憧れていたのです。

肩の力を抜いて、リラックスしたかった。

全力を出す時は出すけれど、抜くところは抜くといった、メリハリのある考え方をしたかった。

もっと楽に生きたかった。

けれど当時は、すべてに全力を出さないと、物事に取り組むことができませんでした。

だから
「もっと肩の力を抜いて」
「もっと物事を柔軟に考えて」

と言われるたび、そう生きられない自分を責めてしまいました。

そして、苦しい生き方をしている自分を正当化するために「適当」を
嫌っていたのだと思います。

・力の入ってしまう体だから、「適当」ができなかった



今の治療院で、ある時、先生が
言ってくれました。

「これまでずっと何をやるにしても、ものすごい力が入ってたんじゃない?」

それは私の体の関節すべてが
弱っていて、全身に力を入れないと
体を支えられないからなのだそう。

体がすることには、意味があるのだと思えました。

自分の生き方や物事の取り組み方が
間違っていたのではなくて、力が入ってしまう体だから、生き方も取り組み方も力んでしまうのだ、と。

・性格も、考え方も、生き方も、変えられる



今の私も、以前ほどではないけれど、まだ力みがあると自覚しています。

けれど、もう「適当」を嫌うことは
なくなりました。

そうできないのには、ちゃんと理由があると理解できたから。

自分の努力が足りないとか、性格に問題があるとは、思わなくなったから。

だから、
「もっと肩の力を抜きなよ」
「もっと物事を柔軟に考えなよ」

と言われて、イライラしたり自分を責めていた過去の私に、伝えてあげたい。

力の入った生き方しかできないのは、柔軟な考え方ができないのは、そういう体や脳になっているから。

人としてダメなわけではない。

性格も、生き方も、考え方も、
体の状態によって
いくらでも変わるんだよ、と。

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頑張りたい理由がある人へ | ジストニア体験者・研究家 永松ひさこ
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