第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた
瞼が垂れ下がる。
まぶしくて、瞼がけいれんする。
なのに、検査入院では「異常なし」という診断。
悔しさが溢れでた……。
これが前回までのお話しです。
第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた
私は小学校低学年の頃から、何となく心身が重いと感じていました。
肌感覚も、何となく気持ちが悪い。
けれど、どれも表だった不調ではなかったし、他の人もそうなのだろうと思っていました。
なので、誰かに伝えようとは考えませんでした。
それに、運動が得意で割と活発な子だったので、それなりに元気に過ごせていました。
しかし中学生頃になると、徐々に心身の違和感が増していきました。
どうしようもなく、イライラする。
全速力で走ろうとすると、突然、脚が麻痺したように動かなくなる。
習っていたスイミングで、突然、腕が麻痺したように動かなくなる。
それでも、人に伝えませんでした。
今思うと、どれも症状として認識していなかった気がします。
疲れやすいのも、刺激に弱いのも、体が動かしづらいのも、自分が人として弱いから。
いつの間にか自然な流れで、そう思い込むようになっていました。
気難しい性格の子。
内にこもることが増えて、家族からそう思われるようになりました。
そんな自分が嫌で。
学校ではめいっぱい、明るく元気な私を演じるようになりました。
弱さを周りに知られることが不安で、虚勢を張っていたというのもあります。
私は二重人格なのだろうか。
自分が分からず、性格のことで密かに悩むことが、日常でした。
*
高校生、大学生と成長すると、異変はさらに重なりました。
椅子に座っていると、上体がなぜか傾いてしまう。
髪の毛が首に当たることが気持ち悪い。
光がまぶしくて、顔がこわばる。
カラオケに行くと、喉がつまる感じがする。
常に体に力が入っていて、リラックスできない。
過敏の程度が増すと、人への恐怖心まで感じ始めました。
大学の学食で一人で食べることができなくて、トイレの個室にこもって食ベる日も。
社会人になった頃には、通勤するだけで息が少し切れるようになっていました。
「頑張り屋さん」として踏ん張って生きてきたけれど、もうエンジンが切れ始めていたのです。
求心を飲んで、ごまかす日々でした。
*
不調を感じていることは日常であったため、滅多なことがない限り病院に行くことはありませんでした。
それに、不調は心も含め全身で感じるものだったので、どの病院の何科を頼れば良いのか分からなかったのだと思います。
それでも、たまには病院に行くこともありました。
しかし、検査をしても異常なし。
精神的な問題だと言われるのは、人間性を否定された気分になります。
他の人は耐えられるのに私が耐えられないのは、私という人間に問題があるから。
そう言われている気がするのです。
その中で、瞼が垂れ下がる異変が出ました。
これだけ明らかな症状があるのだし、重症筋無力症を判断するための検査でも、反応が出た。
もうこれは、精神的なものとは言われないだろう。
そう思っていたのに、今回も異常なし。
*
私は、検査入院を終えて退院すると、自分で病院を調べることにしました。これまでの私ならば、診断結果を受け入れていたでしょう。
しかし、今回ばかりは精神的な問題だとは思えなかった。
おまけに、私は憤っていました。
退院時に渡された、心療内科宛の紹介状がきっかけです。
それは、担当医が
「良かったら行ってみてください」
と言って、書いてくれたもの。
でも、私は自分の心は正常だと思っていました。
心療内科になど行く必要はない。
だから、帰宅して封を開けてみたのです。
用紙を開いてみる。
すると、傷病名のところに「ヒステリーの疑い」と書かれてありました。
これまで何度も医師たちから言われてきた言葉。
「精神的な問題」。
とどめを刺された気分でした。
絶対に原因をつかんでやる。
原因追求するまでの私の長い旅が、
ここから本格的に始まって行くのでした。
(つづく)
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