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第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた

瞼が垂れ下がる。
まぶしくて、瞼がけいれんする。
なのに、検査入院では「異常なし」という診断。
悔しさが溢れでた……。

これが前回までのお話しです。




第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた


私は小学校低学年の頃から、何となく心身が重いと感じていました。
肌感覚も、何となく気持ちが悪い。
けれど、どれも表だった不調ではなかったし、他の人もそうなのだろうと思っていました。
なので、誰かに伝えようとは考えませんでした。
それに、運動が得意で割と活発な子だったので、それなりに元気に過ごせていました。

しかし中学生頃になると、徐々に心身の違和感が増していきました。

どうしようもなく、イライラする。
全速力で走ろうとすると、突然、脚が麻痺したように動かなくなる。
習っていたスイミングで、突然、腕が麻痺したように動かなくなる。

それでも、人に伝えませんでした。
今思うと、どれも症状として認識していなかった気がします。
疲れやすいのも、刺激に弱いのも、体が動かしづらいのも、自分が人として弱いから。
いつの間にか自然な流れで、そう思い込むようになっていました。

気難しい性格の子。
内にこもることが増えて、家族からそう思われるようになりました。
そんな自分が嫌で。
学校ではめいっぱい、明るく元気な私を演じるようになりました。
弱さを周りに知られることが不安で、虚勢を張っていたというのもあります。

私は二重人格なのだろうか。

自分が分からず、性格のことで密かに悩むことが、日常でした。

高校生、大学生と成長すると、異変はさらに重なりました。

椅子に座っていると、上体がなぜか傾いてしまう。
髪の毛が首に当たることが気持ち悪い。
光がまぶしくて、顔がこわばる。
カラオケに行くと、喉がつまる感じがする。
常に体に力が入っていて、リラックスできない。

過敏の程度が増すと、人への恐怖心まで感じ始めました。
大学の学食で一人で食べることができなくて、トイレの個室にこもって食ベる日も。

社会人になった頃には、通勤するだけで息が少し切れるようになっていました。
「頑張り屋さん」として踏ん張って生きてきたけれど、もうエンジンが切れ始めていたのです。
求心を飲んで、ごまかす日々でした。

不調を感じていることは日常であったため、滅多なことがない限り病院に行くことはありませんでした。
それに、不調は心も含め全身で感じるものだったので、どの病院の何科を頼れば良いのか分からなかったのだと思います。

それでも、たまには病院に行くこともありました。
しかし、検査をしても異常なし。

精神的な問題だと言われるのは、人間性を否定された気分になります。
他の人は耐えられるのに私が耐えられないのは、私という人間に問題があるから。
そう言われている気がするのです。

その中で、瞼が垂れ下がる異変が出ました。
これだけ明らかな症状があるのだし、重症筋無力症を判断するための検査でも、反応が出た。
もうこれは、精神的なものとは言われないだろう。
そう思っていたのに、今回も異常なし。

私は、検査入院を終えて退院すると、自分で病院を調べることにしました。これまでの私ならば、診断結果を受け入れていたでしょう。
しかし、今回ばかりは精神的な問題だとは思えなかった。

おまけに、私は憤っていました。
退院時に渡された、心療内科宛の紹介状がきっかけです。
それは、担当医が

「良かったら行ってみてください」

と言って、書いてくれたもの。

でも、私は自分の心は正常だと思っていました。
心療内科になど行く必要はない。
だから、帰宅して封を開けてみたのです。

用紙を開いてみる。

すると、傷病名のところに「ヒステリーの疑い」と書かれてありました。

これまで何度も医師たちから言われてきた言葉。

「精神的な問題」。

とどめを刺された気分でした。

絶対に原因をつかんでやる。

原因追求するまでの私の長い旅が、
ここから本格的に始まって行くのでした。

(つづく)


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