トウゲマリア/compass
暮らしにちょっと役立つ「セルフラブ」「セルフケア」の情報をアップしていきます。
自分のモヤモヤと向き合うためのヒントになるような「自己分析」「自己対話」の手引きマガジン
自分を愛する生き方のヒントとなるメッセージ集
水を差す人っているでしょ。 楽しんでやっていることに対して。 「そんなんじゃ、駄目なんじゃない?」 みたいな類の言葉。 要するに、否定。 「そのやり方じゃ、できっこないよ」 的な、言葉。 理由や、大義名分や、建前はさておいて、 もうすでにあるものや起きたこと、その人を、批判したり、否定したりする行為全部は、わからない人だけがやっていることなんだよね。 よくわからないから、平気で言えてしまう。 知らないから、その言葉を抑えるブレーキを持っていない。 そうい
未来なんてロクなもんじゃない。 何も確かなことなどないはずの世を 何か確かなことになるはずだと 思わせられる幻だ。 過去なんてロクなもんじゃない。 真実などわかるはずもない世を わかったように勘違いさせられる。 幻だ。 今なんてロクなもんじゃない。 耳にする言葉、目にしたこと 考えていること、したこと、しなかったこと。 夢だ。 幻だよ。 生きることなんて。 命なんて。 嘘っぱち。 やけくそだよ。 こんなものは。 本気の、本物の、真実の、リアルの、やけくそだ。
こんにちは☀ Mariaです。 「疲れが取れない」の裏側には、エネルギー循環の乱れが潜んでいます。 足の裏から地球へ。 しっかりと養分としてのエネルギーを還す。 そして、地球から足の裏へ新しい気をもらう。 その循環がうまくいくことが、この地球という星に生きるわたしたち人間の1番気持ち良い状態です。 足の裏を少し丁寧に洗ってみてくださいね。 「よ〜し、よし、よく頑張ったねぇ」 なんて、言いながら。 夏でもできるだけ「入浴」も大事。 わたしもサボる日ありますけど(
さらりとした風が吹く 静かな川べりで 消えるとも消えないあかりが 時々線を描く あの光は私を知っているだろうか こちらに向かっているのだろうか それともあちらに逃げているのだろうか ぽやりぽやりと浮かぶあかりが 「そうかもね」 「そうじゃないかもね」 と嘯く つかみたいと手をのばしても つかまらぬ 夢中で追っているうちに 小さなほたるがそっと膝にとまる 麻璃亜
雨の日だった。 その日は、一日お天気が良くなくて、保育園で娘は公園遊びができなかった。お迎えに行くと、先生と一緒に楽しそうに遊んでいて、室内を満喫した様子がうかがえた。 走っても、走っても、体力が有り余っている娘の保育園の子どもたちは、晴れの日はなんと計3回公園で遊ぶ。 朝と、夕方と、降園後、帰る前に保護者と一緒に。 我が家も例によって、その3回のお外遊びを思う存分にやる。 それが雨の日は、できない。 何人かの子どもたちは、抑えきれずに駆け出してしまう。 お迎えに行
何かに興味を持つ、やってみたいと感じる→やってみると楽しい!→できない/わからないことが、悔しい/もどかしい。→もっとできる/わかるようになりたい!→興味を持つ・・・ このプロセスは、どの分野にいる人にとっても、共通した「ハマる」プロセスです。もちろん、絶対にこの通りというわけではないでしょうが、何かに興味を持って、ハマったことがあるひとなら、共感していただけるかなと。 何かにハマる、夢中になるというのは必ず「小さなひらめき」から始まります。ちょっと趣味を見つけたいな~と
女同士が集まると、 世代関係なく、 噂話に花が咲くのは、 いつの時代も同じだったのでしょうか。 言葉は、生み出された時点で 2つの道をたどると思います。 一つは、祈り。 そして、もうひとつが呪い。 一見真逆にあるように思えるふたつ。 でも、実は、本当にすぐに形を変える。 よく、いい言葉を使えば 幸せになれる、と言う。 わたしは、そのたびにいい言葉とは? と、思う。 たとえば、人を傷つけたり罵倒する汚い言葉。 それは、論外として。 では、うつ病の人
1⃣問いかけの効果 あなたは、今、自分の声が聞こえていますか? 何かを選ぶとき、何かを探すとき、何かを伝えるとき。 どんな時にも”自分がどうしたいか”を基準にするのは自分を愛する生き方の基本のキ。 ですが今の社会では、自分の声を聞かず他人の声を基準にしてしまったり、ちゃんと自分の声が聞こえていても「そんなのいらない」と捨ててしまったり。 自分の声たちは、あまりにないがしろにされ過ぎています。 いつの間にか声が出てこなくなったり、本当に聞こえなくなってしまった方もたくさん
フラワーオブライフというシンボルを知っていますか? わたしは、人とかかわるときや、自分のことを考えるときに、度々このシンボルを思い出します。 Jiaimapの描く世界はこのフラワーオブライフの世界です。 1人1人が1つの円の役割を果たします。 1つの円がほかの円と接している部分はあまり大きくありません。 ですが、円が1つなくなるだけで、このシンボルはもはやフラワーオブライフではなくなってしまうのです。 人とはそういう存在です。 あなたが生きてこの地球にいることで、世界は世
わたしは器用だ。 何事も、まあまあソツなくできるタイプだ。 それでいて、わたしは結構、優しいところがあるし、独特の視点を持っているカリスマ風のところもあるし、頭の回転だって、そこそこ早い方なのだ。 人当たりもいいし、道だってよく聞かれるし、話も面白い方なのだ。 そうだ。 そうだ、けど。 だから、なんだって言うのだろうか。 そういう特徴は、あなたにもある。 わたしは、大したことのないやつだ。 そのことを思い知る30年だったと言ってもいい。 所詮、人だ。人間だ。 当
3年前くらい。 まだ結婚してて、娘が生まれたてのシワクチャだったころ。外で仕事をしていなかったうえ、コロナ禍最盛期、赤子を抱えて遊びに行くこともできず、社会とのつながりを全く感じられなかった私。 私の世界はほとんど、元夫や家族や友人との会話だけだった。 『話す』以外の、何か。 自分を表現することに飢えていて。 どこで知ったか、noteに出会う。 わからないなりに、楽しんで。 わからないなりに、いろいろ書いた。 その後、離婚、引っ越し、職探し…エトセトラ。 私生活が忙し
書きたいな〜と思うコンテンツがあったんだけど。お腹痛い…。こういうとき、いつも考えるのは「わたしがほんとうに喜ぶのは、どっち?」頑張って書く?今日は休む?むむむ?ここで、きちんと頭を抱えてあげることもセルフケアだと思うんだよなぁ。むむむむ。そして何気にnoteのつぶやき機能初だ。
娘の通う保育園には、月に1度お弁当日がある。 お弁当日の前日、お迎え時には各所に『明日はお弁当日』の貼り出しがしてあり、子どもたちは、あらゆる場所であらゆる人と「あしたって、おべんとうのひ、だよねェー」とホクホクしている。 対して大人たちは、貼り紙を見ては、子どもに気づかれないようにため息を吐く。 保育園だから当然なのだが、作り手である大人はみんな暮らしのために仕事がある。 子どもは勝手に起きたり、勝手に準備したりしない。 朝は、忙しい。時間との戦いだ。かと言って、
わたしは、自分にありがとうが、とっても苦手です。 某有名アニメの主人公のごとく 逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、 で、生きてきたので わたしの内側は、闘志を燃やし、命を燃やし(笑) そして、敵(妄想)にむかって、突き進んでいく・・・ ことによって、自分の弱さをできるだけ見ずに眠る。 の、毎日で、自分にありがとうと、言う? この軟弱者!!!!! みたいなことが、リアルに内側で起こっていたし、 今も、その鬼教官がすぐ出てきます。(笑) だけどね、鬼教官にはね
自分のことが嫌い、好きになれないという人。 とっても多い時代ですね。 だからこそ、こんなに「自分を好きになろう」とか「自分を大切にしよう」という活動が増えているのだろうと思いますし、私自身も、嫌いだった一人なので、自分のことが嫌いだ、好きになれないというあなたの、その気持ち、大変よくわかります。 自分のことが嫌いです、という人に起こっていることは、前回の記事 の最後にも出てくる、自己受容という言葉が大きく影響しています。 自己を受容 自分を受け入れる。 言うのは、簡単
先日、この記事で「考えることが終えられないから、疲労してきてしまい、思考をコントロールすることができなくなる。」と書きましたが、ここで、一つの大きなルールをお伝えしておきます。 そもそも、思考には「今、終わらせることができるもの」と「今は終わらせられないもの」の2つしかありません。 すぐに終わらせられるものは、問題ありません。 淡々と終わらせられますし、ほとんどの場合、勝手に終わっていきます。「取引先に着く前にトイレに行っておきたいから、あの駅についたらトイレに行こう。」