嫌な事があった時の考え方〜イライラの対処方、凹んだ時どうするか
仕事でとても嫌なことあった。
大した事ではないと、自分に言い聞かせても
そのことがぐるぐるして辛かった。
『自分は悪くない』の論争に巻き込まれ、
やり取りを残しておくでもなかった私は
とっとと謝った。
それでも、『自分は悪くない』と躍起な人たちは
あれやこれやで私を批判した。
夫が、
もう過ぎたこと、
他人にどう思われたって構わないこと、
相当の年次なのだから気にしないで次!
と励ましてくれた。
有り難かったが
それでもぐるぐるとその事が離れなかった。
子どもをお風呂に入れても
その事を気にしていた。
批判してくる相手に腹が立ってみたり
味方してくれている上司に感謝したり
あの時にどうすればよかったのかと反省したり
また腹が立ってみたり。
子どもをお風呂に入れた後、
子どもが毎日見るアニメを一緒に見た。
3人のヒーローの1人がこう言っていた。
『自分の過ちを認めずに、
僕は悪くないんだと悪者のせいにしてばかり
いたからダメだったんだ。
ちゃんと自分が悪かったと認めて
どうしたら良いか2人と相談すれば良かった』
その時、
私のことだと思った。
私が常日頃頭で考えていること、
考え方のクセが、
いつも私の目の前で繰り広げられている。
赤い車を気にすると
道で赤い車ばかり目に入るように。
私が過去に他人にやっていたこと、
今頻繁に思っていること、
それらが現実となって目の前に現れる。
嫌なことがあったとき、
それは私が誰かにやっていることで、
そうでなくても過去にやった何かだ。
嫌なことがあったとき、
それに相手があったとして
その人に腹が立つ、怒ることは、
大きなエネルギーとなる。
それが自分を取囲み、そのエネルギーの中に入り
体や近くに充満して、
自分を色々な嫌な事に出逢わせる。
このとき、先程のように、
どんなことも全ては自分の考えたことが
目の前に現れるのだと思うと、
いつか誰かにやったことあったなごめんね、
私もそういう時あったな、
嫌な事考えちゃってたな、
等と怒りではなく前向きで建設的な思考になる。
他人がやる悪い事も、
自分の考えに起因していると思えば、
他人を恨まず怒らず
変なエネルギーに惑わされず
さっさと、
そっか、ごめんね、それやるのやめよ、と
切り替えることが出来る。
我が子の見たアニメのヒーローは、
自分が悪くないと言い続けて
自分で壊してしまった乗り物を壊れていないと
言い張って戦いに挑み、
街をかえって壊してしまったり
仲間を窮地に追いやってしまうことになったり、
たくさんの時間を費やした。
でもその壊れた街や傷ついた仲間をみて
やっと気づく。
『自分が悪かった』と。
そしてここからは早い。
2人と知恵を絞りすぐに悪者を倒し
世界平和を成し遂げた。
他人に怒る事、イライラを募らせる事は、
自分に自分でそれを纏わせる。
イライラの服を着て過ごすようなものだ。
自分のために、
自分の幸せのために、
明るい未来の、明日のために。
バカバカしいので自分の潔白は1度主張したら
その後に周りが何をして来てもどこ吹く風。
やられた時には、
あぁ私にそんな考えが残ってたんだろうな、
あの人みたいなそんな考えはやめよう
やっちゃってたことあったなぁごめんね、
きっと誰かにそう思わせちゃったことあったんだろうなぁごめんね、
等と自分由来の考えが
相手の行動を、または嫌な事を引き起こしたのだと思って、
さっさとそのことから身を引いたほうが良い。
そんな時にも
味方になってくれた夫や上司や、
黙ってイザコザに入らなかった周りの同僚たち、
今日も元気で可愛い我が子に、
心から感謝したい。
生きていれば色々な事があって
多様な考え方、生き方をする人たちと交わう。
良い悪いは自分の考え方で、
人によって真反対のこともある。
他者が、親でも子であったとしても、
異なっていいし、自分も異なったって良い。
毒親にそうしてほしくなかったように、
自分も他人に不機嫌にしたり
口撃したり、悪態をついたりしない。
そして私はいつでも、自分を立て直せる。
その勇気と元気と気力ならある。
負けない。
毒親に植え付けられた自己否定に
負けたりなんかしない。