「こわいけども懸命に暗闇をあるく」
病気になるとこわい
とにかく怖くなってしまう。どうして?とかなんで?とか聞かれても理由なんて説明できない。何かがうまくいかなくて、それで怖さを感じてしまう。
表現すると、壁に穴が空いていて、そこから水がドバドバ出ているイメージ。必死に水を止めようと頑張るんだけども、穴を塞ぐのにガーゼ状の小さい布しか持っていないようなイメージ。
困った、困ったと穴に懸命にガーゼを当てるんだけど、水が漏れていく。
その様子を見て悲しく、なんだかやるせない思いが出てきて気持ちがやられてしまう。
元気だったときは、何か困難がきたとき、あるいはここ1番頑張らなくてはと思った時、アドレナリンのようなものが出て、自分自身に対しても信頼ができた。さあやってやるぞと思っていた。
だけど、長い期間そんな頑張りを続けていたら、あまりに頑張ってしまったのでアドレナリンが出なくなってしまった。
押しても引いても叩いても体がうんともすんとも言ってくれない。
あれだけ応えてくれていた体がいうことを聞かない。。。
悲しい。
でも、そういう体になってからもう長い年数が経ち、今までは自分の意志や脳から出ていることを体に聞かせていたのが、今度は体の声を先に聞いてあげる。
辛いかな、きついかな、嫌だろうか、どうだろうか
丁寧に耳を傾けてあげる。
もちろん、ほとんどその声に正しく応えられないのだけれど、でも前よりも何回かはその話を聞いて、丁寧に応えてあげる。
休ませてあげる。
喜んでいるのがわかる。
よく相手が望むまま応えることが良いわけではないという人や、本などがあるけれども、僕はそう思わない時がある。
やっぱり一生懸命に聞いてあげる。
その上で、思いを満たしてあげる。
そうすると、ときに裏切られることもあるけど、やっぱり自分が満たされる。
多分、人それぞれ特徴があって、考え方や特性があるのだと思うけども、僕は優しいのがいい。人にも自分にも。
だから今日も声を聞く。
辛いけど、怖いけど、暗闇を歩いていく。どこにいくのかもわからないけど、その中でやれることをやっていく。