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「高校教師」

「高校教師」といえば、真田広之さん?藤木直人さん?

こんばんは、しえるです。

先日のhachiのnoteを読んで、自分の過去の恋が走馬灯のように蘇って胸がいっぱいになってしまい、今日はある一つの淡い思い出を書こうと思います。

女子高に通っていた私は、同年代に恋をすることなく青春時代を過ごしていたけれど、高校3年生の頃、公民の非常勤の先生が大好きだった。
先生には彼女がいたし、教師と生徒の恋愛は宜しくないという知識もあったから(「高校教師」見てたしね。)、「実らせたい恋」でもないし、「あこがれ」ともまた違う、年の離れたお兄ちゃんのような、でも毎日会いたい、そんな感じ。

元々政治や経済の勉強が教養として好きだった私は、先生の存在も相まって、大学入試センター試験の科目に公民を選んだ。(そういえば、もうセンター試験じゃないんですよね…遠い目。)
塾には行かず、学校の授業と自力で頑張ることを選んだ私は、わからないことがあると教員室に行って先生に個別に質問をする。先生は優しかったから、いつでも時間を割いてくれ、私はその時間が好きで、質問がない日もわざわざ質問をひねり出した。
教員室の奥にスペースを作ってくれる時もあれば、廊下のベンチに座って、勉強したり世間話をしたりした。

非常勤だった先生は、教員室よりも廊下の方が気楽なようで、常勤になりたいけどなかなか募集もないんだよね、、、そんなことをポロっと言ったりしていたな。

先生が帰るタイミングを見計らい、偶然を装って校門の外でバッタリと出くわして、駅まで一緒に歩いたりして。笑
(私は午後の授業を取っていなくて、その時間に学校を出るのは私を含めて数人だった。)
友達の中には、もちろんリアルな彼氏がいる子もたくさんいたけど、興味がなかった。頻繁に連絡を取るのも、頻繁に会うのも面倒くさいと思っていた。(いま思うと、本気の恋を知らなかった、ただそれだけだと思う。)

おかげさまで勉強も頑張れたし、毎日ドキドキしたり、嬉しくなったり、会えないとがっかりしたり、今思うと張り合いのある受験生生活だったと思う。センター試験が終われば、教員室に行く用事もなくなりとても寂しかったけれど、これは期間限定の恋心だと思って、高校を卒業した。

常々「選挙に行く大人になってね」と言われていたので、私は20歳を迎えてからその教えのとおり、(当たり前だけど)選挙に行っている。

その後私は大学生になって初めての彼氏ができたし、時は過ぎ、結婚していまや母になって、先生を思い出すのは選挙の時くらいで(笑)、感慨に耽ることもなかった。

今年の春、実家に遊びに行ったときに、「いい加減に荷物を片付けて!いらないものは捨てて、必要なものは持って帰ってよ」と母に言われて引き出しを整理していると、1冊のノートが出てきた。1枚めくると目が飛び出そうになった…!!
あの高校3年生の日々、溢れ出る想いを先生にぶつけるわけにもいかず、日々書き留めていたノート・・・。しかも日記ではなく、手紙調!!!
こんなの書いてた!?ような気もする!!ていうか、これずっと実家に置きっぱなし…!!母は見たか!?!?!?
なんだかもう色々混乱して、心臓が飛び出そうになりながら、「持って帰る袋」にそっとしまった。何ごともない顔をして。

その晩、夫も子どもも寝静まった夜に、そっとノートを取り出して読んでみると、当時のことが鮮明に思い出されて、恥ずかしいどころか、なぜか涙が出た。もう20年近くも前のことなのに、タイムスリップしたみたいな気持ちになる。
先生はいまどうしているだろうか?元気にしているだろうか?あの時なにか行動を起こしていたら未来は変わっていたのだろうか?いや、何もしなかったから、良い思い出が今も残ってるんだろうな。そんなことをぐるぐる考えながら、気づけばSNSで先生を探していた。

そんな都合よくみつかるはずもなく、漢字にしてみたりローマ字にしてみたり、苗字と名前をひっくり返してみたり。


・・・いた!

アイコンの写真はあの時のままで、すぐにわかった。
「現役学生からの申請はお断りします」
あ、まだ先生なんだ。

プロフィールを見ると、常勤になりたいという夢は叶ったようだった。
まさか連絡するわけにもいかず、そっと画面を閉じた。

でも考えれば考えるほど、感謝しかないな…という思いが募り、1ヶ月くらい経ったある日、自分の誕生日に背中を押され、えいや!とメッセージを送ってみた。
20年近くも前にお世話になった、数多いる生徒の一人、先生の記憶にあるかもわからない。


それから数か月。そのメッセージは既読にすらならないままだけれど、それでいい。

淡く懐かしい思い出として、この先もそっと胸にしまっておこうと思う。

(いつかリアクションが来たら、また書きますね。笑)


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