書くときはいつも自由
わたしにとって大切なことは、「自由に書くこと」だ。
noteをはじめて約6か月になるが、毎日自由に書いている。
なんでも書ける
熱が出て「コロナかも」と不安になりながら、初めて書いた。
仕事や家事でなんだか知らないうちに時間が過ぎて、疲れても船を漕ぎながら書いた。
元日も書いた。
書くことがないと思っても、とりあえず書いた。
めんどくさいな、とちょっと思うことはあっても、本当に嫌なら半年も続かなかったと思う。
どうして続けられたかというと、楽しいからだし、どうして楽しいのかというと、決まったテーマや字数などがなく、自由に思ったことを書けるからだ。
例えば、仕事についてのnoteなどというように、決まったテーマで書こうとすると、書くことがない、となることがあって書くのが億劫になるだろうし
毎回、真剣な内容で書かなければいけないと、「こんなことわたしが言わなくても、もっとすごい誰かがもっと素敵な文章で書くはず」などと自分で制限してしまって、結局何も生み出さずゼロのままだったりするだろう。
わたしは特にテーマを決めて書いていないので、なんでも書けるわけなので、
家族のこと、自分のやりたいことやニュースを見て思ったこと、この年代だからこその仕事についての思いなどを率直に書いているが
それもこれも、テーマや字数などにきまりがなく、自由に書けるから楽しく書けている。
決まったテーマのnoteは、たとえれば専門店で、わたしのようにいろんなことを何でも書いてるnoteは、スーパーマーケットのよう。雑多だけど、「今日はなにかな?」と思えるのもわたしは好きだ。
ほぼ誰も知らない
そして、noteを書いているのを知っているのは、独身時代勤めていた出版社の上司であるNさんだけである。
noteを始めたころに、「こんなんはじめました」と一度メールをすると、「じゃ、読ませてもらうわ」という返事をもらい、それっきりなので、いまも読んでくれているのかどうかはわからないが(聞けばいいだけなんだけど、何故か聞いてない)
その人以外知らない。
家族も知らない。
実家の親も知らない。
ママ友たちも知らない。
地元の友達、学生時代の友達も知らない。
だから、「こんなこと思ってるのか」と思われたらどうしよう、とか恥ずかしいとかがない。
そうすると、本当に思った通りのことを書ける。日常にある、身近な人に対する遠慮がない。
ただ、インターネットという世界中の誰もが目にすることができる、ということから、自分やまわりの人に迷惑がかからないように、ということを気を付けて書いているだけ。
日常と一線をひくnote
自由にものをいうのは、こんなに自由な日本でも、普段の日常生活ではなかなか難しい。
自分はあまり人にどう思われるかを、どちらかというと気にしないほうだとは思うけれど、
それでも、海外に住んだこともない井の中の蛙なので、日本人的な思考から、あまりにスパッとは言い切れないことが多いと思う。
だからnoteで勝手気ままに書けるのが、
とても楽しく、自分的に健やかである。
健康って体はもちろんだけど、気持ちの健康を保つのもかなり大事なことだと思う。
そこまで大それたことでなくても、書いているときは落ち着く、という人がnoterさんのなかでは結構いるみたいだ。
とてもよくわかる。
読まれる方にとっては、みながみな、わたしが書くものを楽しく、気持ちよく読めるとは限らず、知らない間に不快にさせていることがあるかもしれない。
けれども、自分の機嫌を自分でとる、自分が落ち着ける術を知っているというのは、なかなかいいことなんではないか、と最近思うようになった。
それもこれも、自由に文章を書けるからだ。
だから、わたしにとって、「自由に書ける」ことが、いまのところはいちばん大切だといえるのだ。