イギリスの歴史(1)ヘンリ8世と「悪貨は良貨を駆逐する」(グレシャムの法則)とは?
こんにちは!自由主義研究所の藤丸です😊
今回から不定期で、
「イギリスの歴史シリーズ」を書こうと思います。
なぜ「自由主義研究所」のnoteで、
自由主義に直接関係なさそうな「歴史」の話なのか?
と言いますと…。
現在、私の主催している「自由主義を学ぶ会」というオンライン勉強会で、
毎月1回、江崎道朗先生を講師にお迎えして、
保守自由主義を学ぶ勉強会をしています。
そこで、エドマンド・バークの「フランス革命についての省察」を
テキストにしているのですが、
バークの思想を知るにはイギリスの歴史やアメリカの建国を知ることが重要と思い、イギリス・アメリカについての発表をしています。
勉強会の動画はこちら。↓
本はこちら。↓
※ちなみに、私はこのバークの勉強会を開始するまで「省察」を
「しょうさつ」だと思ってました💦
「せいさつ」が一般的?らしいです。
ですので、noteのこのシリーズでは
「バーク勉強会」での発表を文字起こしして紹介しつつ、
自由主義につながることにも注目して書いていこうと思います😆
かなり脱線・個人的な感想が多いシリーズになりそうなので、
真面目な歴史の話が好きな方にはあまりオススメしません…😇
※私は歴史の専門家でないことはもちろん、高校でも世界史を選択すらしておりません。
本を読んで調べてまとめただけですので、間違いがあるかもしれません。
何かありましたらコメント欄等で指摘していただけるとありがたいです。
(文責は完全に藤丸個人にあります)。
1,16~18世紀の「イギリス」とヨーロッパの宗教
当時のイギリスは、まだ現代のような「イギリス」ではなく、
以下の図のように、4地域に分かれていました。
※今後、このシリーズでは図の赤い部分「イングランド」を中心に書いていきます😆
当時のヨーロッパの宗教のキリスト教は、以下の3つに大別されます。
学生時代の歴史の授業でやったような気がしますね…?😆💦
カトリックとプロテスタントの間の対立は激しく、
宗教戦争が何回もおこっています。
拷問・火あぶりとかも…。
当時はイングランドはまだ小国です。
異民族である隣のスコットランドとは長年、
お互いを不倶戴天の敵として対立していました。
ヨーロッパ大陸では、
神聖ローマ帝国やスペインのハプスブルク家とフランスの対立にも、
小国イングランドは振り回されました。
※ちなみに、現代のヨーロッパの地図はこちら ↓ です。
2,イングランド王ヘンリ8世の離婚問題で、ローマ教皇と対立。イングランド国教会を形成!!
さて、16世紀のヨーロッパでは、
「免罪符」を売りつけるなどカトリック教会の腐敗💦が目立っていました。
1517年、ドイツの神学者マルティン・ルターは『95ヶ条の論題』を提出してカトリック教会を批判し、宗教改革をはじめます。
プロテスタントの誕生です‼
ルターはこんな人 ↓ 。中学の歴史の教科書にも載っていた気がします😆
当時のイングランドでは、ヘンリ8世が王様です。
王はカトリックでしたが、跡継ぎ問題などで離婚を望んでいました。
でもカトリックの教義では基本的に離婚はできませんし、
離婚するとしてもローマ教皇の解釈に委ねられてしまうので、
結局は政治の問題でした。
ローマ教皇の支配下にある以上、その意向に逆らうことはできません💦
そこでヘンリ8世は、
王(自分)をイングランドの教会や聖職者の「最高の首長である」と、
議会に認めさせます。
「上訴禁止法」が制定され、
イングランドの法廷を飛び越えたローマ教皇への直訴は禁止されます。
「イングランドは古来から帝国であり、
いかなる外国勢力からも侵犯されない」と記されました。
ヘンリ8世はイングランド史上初めて、
自らを公式文書で「陛下」と表記しました。
これらのヘンリ8世の動きは、
これまで国や民族を超越してキリスト教会に君臨してきたローマ教皇庁への
真っ向からの挑戦‼でした。
※ヘンリ8世も登場する、トマス・モアを描いた映画「わが命つきるとも」は名作です😊
このヘンリ8世の行動に怒ったローマ教皇は、ヘンリ8世を破門💦します。
ヘンリ8世はローマ教皇庁と絶縁し「イングランド国教会」を作ります。
これは、王とイングランド議会との相談の上で成立した法で実現しました。
カトリックの修道院を解散させ、それで得られた土地が売り払われます。
このとき土地所有者が大規模に交代し、
「ジェントリ」と呼ばれる土地貴族階級が台頭します。
一連の出来事は、イングランド宗教改革とも言われます。
ヘンリ8世のイングランドは、
政治外交軍事的には神聖ローマ帝国に対して、
宗教的にはローマ教皇庁に対して、
自らの「主権」を訴えた最初の国家であり、
「主権国家」のさきがけでもあったといえます。
ヘンリ8世の死後に即位した、息子のエドワード6世の時代、
ヘンリ8世治世末期からの財政の悪化を貨幣の悪鋳でしのごうとしました。
しかし、「悪貨は良貨を駆逐する(ので、貨幣の悪鋳は良くない)」というグレシャムの進言を受け入れ、
通貨の品質改善や財政機構の改革に着手しました。
これを「グレシャムの法則」と言います。
※このグレシャムの進言の話は、エリザベス1世のところでよく出てきます。
→ちょっとわかりにくいですね💦
「悪貨」は「質の悪いお金」、「良貨」は「質の良いお金」です。
例えば、
・金の純度100%の金貨と、
・純度50%しかない金貨(残りの50%は混ぜもの)を、
王(権力者)が「同じ額面の金貨として使え」と命令した場合を考えます。
当然、純度100%の方が、より価値の高い「良貨」といえます。
これは皆わかります。
純度100%の金貨を皆が欲しがり、自分の手元に残します。
そして純度50%しかない金貨(悪貨)は、なるべく手元に残そうとせず、
買い物で使ってしまおうと考えます。
このように、本当に価値が高い純度100%の金貨(良貨)は、
みんなが手元に残すので市場で流通せず、
価値が少ない純度50%の金貨(悪貨)が市場で使われます。
悪貨によって、良貨が市場から駆逐されたように見えるので、
このように言われるのです。
このような貨幣の悪鋳は、当時のイングランドだけでなく、
世界中で行われていました。
日本でも、江戸時代に「鐚銭(びたせん)」と呼ばれる悪貨が市場に出回る事態がありました💦
鐚(びた)っていかにも質の悪そうな感じしますね。
ほんのわずかのお金を意味する「びた一文」の「びた」は
これに由来するらしいですよ😁
※ちなみに、最近の話題漫画「ハイパーインフレーション」で、
「グレシャム」さんが出てきます…笑。
初登場のとき、金貨の金の純度を調べる場面があるので、
まさに「グレシャムの法則」から取った名前なんでしょうね😆
ずいぶん話がそれました💦
イギリスの歴史に戻します💦
ヘンリー8世は生前、息子エドワード(のちのエドワード6世)を、
スコットランド女王メアリー・ステュアートと結婚させ、
スコットランドをイングランド管理下に置く構想を持っていました。
エドワード・シーモア(エドワード6世の伯父)はこれを引き継ぎ、
スコットランドに攻め込んでメアリーを連れ去ろうとしました。
しかし、メアリーの母でスコットランドの摂政王太后のメアリー・オブ・ギーズが、自らの母国フランスの王太子フランソワ(フランソワ2世)と、
娘メアリー・ステュアートを結婚させたため、
この計画は実現しませんでした。
ちなみにこの時代、
「メアリー」がたくさん(イギリスに関係あるのは主に3人)出てきて、
わけがわからなくなります(笑)
しかもけっこう重要人物です💦
このnoteでは混乱するので詳しく書きませんが、以下の3人です。
■イングランド初の女王メアリー(この人は、次回noteに登場します!)
■スコットランドのメアリー・ステュアート
■メアリー・ステュアートの母のメアリー・オブ・ギーズ
最後まで読んでくださりありがとうございます!
次回からは、イングランド初の女王メアリーと、その妹エリザベス1世が登場します😊
この「イギリスの歴史」は、主に以下の本の流れに沿ってまとめています。
興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてくださいね😊