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体育会系の人たちはなぜ「敬うこと」に必死なのか?それは○○欲しいからだ。

少年サッカーをしていると
様々なコーチや親御さんと出会う。

もちろんそれぞれが
それぞれの思いや、
考えがあることが当然であり
そのことにとやかく言う必要はないが
意見が合わないことが多々出てくるのは
紛れもない事実です。

実際、
「親子交流会」というものがあり
お酒が入ると親同士がケンカになる。

そして、最悪の場合
子どもが他のサッカークラブへ移籍する。
そんなことが起る。

しかも2年連続。

2年連続
コーチに対する思いで揉めている。

超体育会系 VS ゆるい体育会系。


つまり

コーチ擁護派 VS コーチ現実主義派


言い換えれば

昭和的コーチ待望派 VS やることやってからコーチも言ってほしい派


私は基本、どちらにも肩入れせず
ニコニコとその2時間をやり過ごします。

けれども、
私としては

もちろんコーチを敬うが、
やはり、
結果も出さず、
自分の言ったこともできてないのに
親には高い要求をする。
昭和的になんでもかんでも
コーチの命令を聞け、みたいな
発想には到底納得ができないと
考えています。

とにかく
コーチの言うことは盲目的に正しいとする
親御さんが一定数存在していて

大体、
そのコーチ擁護派の親と
コーチにふさわしいか懐疑派の親
が揉めます。

大抵、コーチのいないところで。

必要以上に
「コーチのことを敬え」
と、アピールをするのです。

なんでもかんでも、
盲目的にコーチは正しいと思い込む心理とは何かと

考えに考えたところ

私の結論としては、

儒教的な体育会系的な思想は
「数年後、十数年後の自分を敬ってもらうこと」
を前提としているんだ。
と気づきました。

お金のことを言ってるんじゃないっていってるヤツが
お金のことを言っているように

自分のことを言ってるんじゃないって言うヤツは
自分のことを言っている。

そうです、
コーチという存在を
将来の自分に見立てて
敬えと言っているのです。

体育会系の人たちは
なぜ敬うことに必死なのか?
それは、将来 自分を敬って欲しいから
なんですね。

良いとか、悪いとかではなく
そう言う考えが根底にあるんだと気づきました。

司馬遼太郎が言った
「アジア的停滞」

その原因が「儒教」だという指摘がありました。

そうなんです、
アジアの根底にある儒教的上下関係。
それは、やはり「停滞」の原因なんだと、

変えられない年齢で上下関係を決めたい人間と、
結果で決めたい人間。
その両方がいたら、それは揉めるんだろう。

ふとそんなことを考えました。

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