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46歳。何者にもなれなかったジェッツは、これからどう生きるのか。

結局のところ、何者にもなれなかった。

つくづくそう思う。

ひとかどの男になりたい。

そう思い約20年走りつづけてきたように思う。

今まで、想像もできなかった
ゴールのようなものがおぼろげながら見えてきた。

今の自分が到達するであろうゴールは、
先人たちから聞いていたものよりも、
なんだかちっぽけで貧相なゴールにも思える。

それは、やる気を失せさせるには充分なことであると思う。

体力も筋力も衰えを感じずにはいられない。

おぼろげながらゴールが見えてきたということは、
私は「死の入り口」のようなところに立っているのかもしれない。

ここからは、行くも地獄、帰るも地獄。

それは、長い旅路を歩んできた
中年である私には直感的にわかるのです。

いつの間にか「希望」というものを
見失ってしまったことにも気づく。

これは、自分が悪いのか、社会が悪いのかは、
もはやどうでも良い。
ただ、「希望」を見失ったということが
現実としてあるのだ。

入社して以降の約20年で
社会のルールも大きく変わってしまった。

入社当時に教えられた、
いにしえのルールなど、
今では一部の特別な人間だけに適用される
特別なルールへと変わってしまった。

約20年の間に、私たちの社会は、
徐々に「サラリーマン無理ゲー社会」へと変貌を遂げている。

企業も生き残りをかけて
必死なのだからいたしかたない。

祖父たちが働いてきた社会。
父親たちが働いてきた社会。
私たちが働いている社会。

もうそれぞれが、
姿も形も色も異なる変化をしてしまった。

けれども、これに対応する戦略の一般的な回答は、
ほとんど変わらず。
「苦しいが、我慢してつづけなさい、我々もそうしてきたのだから」
という回答のままなのだ。

果たして、その戦略で今後も対応できる人は、
何%いるのだろう。

このまま戦略を変えずに進んで行っても良いものだろうか。

「ひとかどの男」になるべく考えることもせず、
走りつづけた結果が「何者にもなれなかった」なのだ。

そして、「希望」も見失った。

今の私に出来ることは、
「今からの残りの人生を楽しむ」ということではないだろうか。

「人生は、思い通りにはならなかった。
けれども、なかなかおもしろかった」

と思えるようにすることではないだろうか。

「苦しみ、我慢する戦略」を
「楽しむ戦略」に変える。

それには、自分が楽しいと思うことをする。

人が羨むかどうかは、考えてはいけない。
自分が楽しいかどうか。
これを基準に、
自分が楽しいことを死ぬまでコッソリやっていく。

これ以外にはないのではないか。

人の目なんて気にしないで、
自分だけを大切にして生きていこう。

「人生は、思い通りにはならなかった。
けれども、なかなかおもしろかった」
と言える人生になるように、
考える時間をまずは作ろう。

まだつづく、私の人生を楽しむために。


全部夢叶えた人生 より、
この 詰みかけている人生 の方が、
なんなら、おもろいやんって言えるように。

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