英語を話す時が本来の自分?
私は英語で話をするのが大好きだ。
アメリカに10年近く住んでいたけれど、子供時代を過ごしたわけではないので、ネイティブのようには話せない。アクセントも強い。
だけど、頭の中で考えたりするのは英語であることが多いし、言葉のフレーズも英語が先に出てきて日本語が出てこない時もある(要は、英語も日本語も中途半端ということ?)。
記者をしていた時は、英語が日常で飛び交っていたが、今の職場では英語を話す機会はほとんどない。
なので、1週間に1度、カナダ人やイギリス人の先生とオンラインで会話するのが楽しみだ。
なぜ英語を話すのが好きなのか、考えてみる。
やはり、「自分の考えや思いをストレートに表現できる」ということが大きい。
私自身、見た目は思いっきり日本人だけれど、かなりアメリカ人気質が入っていると思う。
自分の考えははっきりと主張するし、能力やスキルを最大限にアピールすることも忘れない。
例えば、” I'm a quick learner, hardworking, and eager to take on new challenges.”(私は飲み込みが早く、働き者で、新たな挑戦に取り組むのを熱望している)
と面接で述べたとしよう。
英語では普通に使うフレーズだけど、日本語だと少しぎこちない。
私の記事にも時折、英語の表現を入れている。これは自分の感情が英語に近いためだ。日本語で言うと、なんだか不自然だし、少し恥ずかしい。
歌詞も断然英語のほうが書きやすい。感傷に浸っているとき、ちょっとしたフレーズが頭に浮かんでくる。
子供の頃から姉の影響を受け、洋楽を聴いていたから、感情表現がドラマチックになりがちだ、笑。
ネイティブスピーカーでないことも手伝い、英語だとここまで踏み込んで言ってもイイかな、なんて大胆な表現をノートに書きとめる。
ここまで書いて、気がついた。
英語を話すことが本来の自分を躊躇なくさらけだせる手段なのかもしれない。
言語とその人の性格の相性みたいなものってあるのかな。
日本語だと婉曲的な言い回し――それが美しい表現ともとれるけれど、気が短い私にとっては「それでポイントは何?」と思わず聞いてしまいそうだ。
現在、イタリア語と韓国語も勉強中。自分の性格にあっているかどうか、何とも言えないが、もう少しだけかじってみることにしよう、笑。