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自分の名前で勝負するということ
先日、さまざまな企業の人たちが集うイベントに参加した。
「〇〇のATFです」
「〇〇の〇〇です」
名刺交換しながら、自己紹介が始まる。
よほど珍しい名前でないかぎり、会社の話から入る。企業イベントなので当然と言えば当然だが。
そんなときふと、「こんにちは、松本清(マツモトキヨシ)です」ではないが、名前だけで勝負できる人ってこの世の中にいったいどのくらいいるのだろう、と考える。
(マツモトキヨシの創業者は斬新な考えの方だな、と改めて敬服)
おそらく、政治家、芸能人、作家、アーティストみたいな著名人や各界のプロフェッショナルに限られるのではないか。
それでも、企業に属していることがまるでアイデンティティーの一部のようについてくると、天邪鬼の私は反発したくなる。
記者時代には、会社を辞めてフリーランサーになる先輩や同僚を何人かみてきた。
組織に縛られない生き方に憧れもあったけど、自分にはやっていける自信も勇気もない。
自分の腕一本で生きていくのがどれだけ大変かというのもわかっている。
人脈や評判がモノを言う世界で、人間力や営業力そして絶対的な実力が不可欠だ。
「ATFです」と初対面で挨拶して、どこまで私という人間に興味を持ってもらえるだろうか。ビジネスの世界では、自分自身もやはり会社名と役職に紐づけられている。
でも最近は、日本でも「組織」から「個」の時代にシフトしているのも事実だ。自分のスキルをどう磨いて、どうアピールするかが重要になってくるだろう。
一方、noteにおいては、属性など関係なく、自分が創り出すものがすべてだ。
世の中に認知されている著名人でない限り、作品≒あなたが表現したいこと、もしくは、作品≒あなた自身ともとらえられる。
ハンドルネームではあるが、「ATF」として、自分の言葉と表現だけで皆さんに読んでもらえるということはこの上ない喜びだ。
noteのおかげで少しだけフリーランサー気分を味わえている。