人生を達観できてる?できてない?―悟りへの道のり
目先のことや細かなことに動じず、悟りの境地に達したら、どんなに楽だろうと常々思う。
年を重ねるごとに、「些細な事でくよくよしないで」と自分に言い聞かせながら、人生を大きくとらえようとしてきた。ここ1,2年は気持ちがしんどくなると、「なるようにしかならない」と自分を納得させ、流れに身を任せることが多かった。まさに”Let it be(あるがままに)”の心境だ。
そういうとき、「私は人生を達観できている」と錯覚してしまう。
でも、人は感情の生き物だから、取るに足らない出来事でも、辛いときは辛い。
ポジティブになろうとしても、悪いことばかり考えがちで、自分の心を守ることで精一杯だ。(私の世界はもっと広いのに!)
本当に人生を達観している人ってどんな人たちだろう?
いつものように検索してみた、笑。
達観している人の特徴は、以下のように挙げられる。
・落ち着いている
・細かいことには動じない
・物事を冷静に対処できる
・欲がない
うーん、すぐ動揺するし、欲もたくさんあるから、人生を達観してるとは言いがたい、笑。
それでも、私は「諸行無常」という仏教の教えに深く共感している。この世の中のすべては常に変化していて、不変のものなど存在しない、という考えだ。
たとえ今、どんなに成功していようと、どんなに苦しんでいようと、必ず終わりがやってくる。だからこそ、何かに執着せず、人生の変化を受け入れていこうという心構えは持っている。
とはいえ、私の心の中の煩悩は果てしない、笑。
「人は死ぬ時は死ぬんだから、その時はその時」と開き直る自分がいる一方で、「(クリエイターとして)あれもこれも成し遂げたい!」という野心全開の自分も健在だ。
世の中に、自分の想いやメッセージで何らかの影響を残したい―これは自己承認欲求そのものではないか。
人生を達観することで苦悩から逃れたいけど、願いはそのまま叶えてほしいと真剣に祈っている私。
この葛藤がある限り、悟りへの道のりはまだまだ遠い。