信じ続けるということ―袴田事件に思う
このニュースを目にするたびに、涙ぐんでしまう。
先週大きく報じられたが、58年前に静岡県の一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんに無罪判決が言い渡された。
この事件は、袴田さんが48年間死刑囚として服役したことから、人権的な観点からも国際的に注目されていた。今回の判決で、静岡地裁は、捜査機関による証拠の捏造があったと断罪した。
無罪判決を受けて、noteでもすでに多くの記事が投稿されている。
冤罪で50年近く死の恐怖にさらされながら収容されていた袴田さんのことを思うと、やるせない気持ちだ。正義を実現するはずの刑事司法とは何なのだろう。今回一部の新聞社も当時の報道について謝罪したが、報道のあり方も考えさせられる。
真犯人はいるはずなので、謎が残る事件ではあるが、ここで書きたかったのは、姉・袴田ひで子さんの弟・巌さんへの思いだ。現在91歳のひで子さんは半世紀以上にわたって、弟の無罪を信じ続け、献身的にサポートしてきた。
冤罪という認識が薄かっただろう事件当時は社会から冷たい視線を浴び、想像できないほど辛い思いをしたに違いない。
家族だからサポートするのは当然だといえども、人を信じ続けるってパワーがいるし、そこには絶対的な愛や信頼関係が必要だ。
「あのおとなしく優しい巖が人を殺すはずがない」との思いから、全てを犠牲にし、弟の無実を晴らすことに人生を費やしてきたひで子さん。
その強さと信念には本当に頭が下がるし、ハリウッドの映画になってもおかしくない題材だ。
私が同じ状況に陥ったら、当然家族を信じ、サポートするとは思うけど、58年って途方もなく長い。おそらく自分が先に壊れてしまいそうだ。
袴田事件は被害者の方はもちろん、冤罪によって人生を奪われた袴田さんにとっても悲劇そのものだ。
そんな中で、お姉さんの弟を信じ続ける力・無罪を晴らそうという執念はどんなドラマよりも心に迫る。
〈noterさんでも一つの事柄について考え方がさまざまだと思うので、私自身は特定のニュースだけを取り上げて、自分の思いを記事にすることは避けてきた。今回は人生をかけて姉が弟を信じ続けることの尊さという観点で自分の思いを綴った〉