無名であることの強さーI am nobody, so what?
noteでは私の記者時代の話を何度も取り上げているが、今回もお付き合いいただきたい。
アメリカから帰国した今から20年ほど前、数か月だけだが、私は、日本ではほぼ無名の新興系メディアで働いていた。
企業に取材を申し込む時も、毎回、メディアの本社がどこにあって、創立何年目で、従業員は何人位で、といった会社の紹介から入らなければならなかった。名もないメディアだったため、取材依頼は、「事業の内容を伺いたい」、といった単純なものだったにもかかわらず、ほとんどの企業からはお断りされた。
企業として、得体のしれないメディアからの取材依頼に警戒感を示すのは、ごもっともだ。物言う株主ではないが、どこかのハゲタカファンドと関係しているかもしれないし、取材を受けないのが”賢明だ“と判断したのだろう。
私にとっては、無名であることの大変さを痛感した時期でもあった。それでも1割位の企業が取材を受けてくれて、真摯に対応してくれた。
その後、私は、知名度と影響力がある大手メディアに転職した。記者クラブにも属していたため、取材の依頼の際、会社の紹介をする必要はなかったし、インタビューや取材もよほどの理由がない限り、断られることはなかった。
後になって、無名メディアに属していたあの時の数か月は、実はとても貴重な時間だったのではないか、と考えることが多い。相手の姿勢から、メディア対応に不平等が存在することも察知できた。
あの時の経験があるからこそ、私自身、ステイタスや知名度で人や組織を評価することはない。その人の本質をまず見極めることが最初にくる。
「無名であること」から学んだことの一つが、相手のスタンスを察知するスキルだ(取材をお断りしてきた企業は危機管理をしているというだけなので、責めるつもりはない)。
私の個人的意見だが、記者は基本的に、自己顕示欲が強い。自分自身もそう思っている。やはり、スクープを取って、名をあげたい、というのは記者をしていれば、当然の心理だ。
署名付きで記事を配信するので、責任も伴うが、その影響力に心地よく感じる自分がいたのも否定しない。
大手メディアの〇〇記者にしか話さないという政治家や企業経営者がいるなかで、無名でいることがプラスに働くことはあるのだろうか、とふと思う。
確かにある。無名だからこそ、ライバル社の記者からマークされることもない。存在感が高まれば、「あの記者は何を追いかけているのか」など警戒されるだろう。
また、立場や知名度がつくと、変なプライドが付いて回るし、取材先ともなれ合いになってしまうケースも多い。無名だからこそできることは確実に存在すると思う。
これは、メディアの世界に限ったことではないだろう。
無名だからこそ、相手の真の姿が見え、そして、開き直りともとれる大胆さ・強さを発揮できるのではないか。
ここまで書いておいて、今の自分の立ち位置を考えてみる。
記者時代は大手メディアのもと、署名入りで記事を投稿していたので、無名とは言えないだろう。
noterとしては、自分ではまだまだ無名という認識だが、700人超の皆さまにフォロワーになっていただいたので、今は、駆け出し中のクリエイターといったところだろう。
初心に帰って、noteでも、あの時感じた「強さ」を発揮できればいいな、と切に思う。