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見出しはセンセーショナルに限る??
記者をしていた時の話だが、会見や取材から戻ってきて、さあ記事を書こう、となったときに、デスクから必ず「見出しは何?」と聞かれたものだ。
まあ、実際のところ、記者やデスクが一旦仮見出しをつけても、掲載される見出しは校正する部署が決めるのだけれど、その記事が何を言いたいのか、一行で表さなければならない。
記事が読まれるかどうかは見出しにかかっていると言って良いだろう。
マスコミを卒業した今、私自身も新聞記事は見出しをみて読むかどうか決める。
昔は、(すでに多くの雑誌が撤退してしまった)電車の中吊り広告の記事の見出しに思わず目をとめたものだ。
「院政」「厚顔」「老害」「末路」とか新聞では使われないワードが並んでいる。挑発的で吹き出してしまうような”洒落た”言い回しもある。
見出しに誘われ、思わず雑誌を購入し、読んでみると、内容はそこまで深いものではない、ということが多い。
これは英語のタブロイド紙も同様だ。見出しで読者をつるというのは万国共通なのだろう。
noteの世界ではどうか。
フォローさせていただいているクリエイターさんの記事を除いて考えると、やはり最初は見出しをみて、読む記事を選ぶ。ありきたりの見出しだと、よほど自分の関心事項でない限りは読まずにいることが多い。
では、自分の記事の見出しはどうだろうか。
記事を執筆するときはたいていテーマを決めておくけど、見出しは最後につける。
見出しの重要さをわかっているからこそ、かなり力をいれて考えるのだが、なかなか週刊誌のようにはいかない、笑。
まあ、内容で失望しましたと”見出し負け”になってもそれはそれで困る。
心掛けているのは、簡潔かつキャッチ―なワードを入れること。
あまり見出しを作り込みすぎて、内容とかみ合っていない時もあるかもしれない。気をつけなければ。
それでも、noterさんの目にとまるために、見出しで最後にどう総括するかを考えるのも楽しいひと時だ。