見出し画像

「沈黙」と「聞く力」の関係性


皆さんはミーティングや対話の中での沈黙は何分位、耐えられるだろうか。
 
企業が主催するセミナーの後の質疑応答の場やミーティングでの沈黙は珍しいことではない。
 
無音な状態が30秒位続くと微妙な空気が流れ、1分すぎると寒々しい雰囲気になるのではないだろうか。
 
アメリカ人はサイレンスが苦手な人が多いから、ミーティングやディスカッションでも積極的に話をするというのを聞いたことがある(間違っていたらごめんなさい)。
 
ましてや二人きりの場――慣れないデートやビジネスディナーでも、「シーン….」としてしまう場合は、気まずさが生じるだろう。
 

「無言の間」が続いた場合、あなたから無理して話を切り出しますか?

 
以前、記者をしていた時のエピソードだが、優秀だけれど寡黙すぎる記者が、とある企業の役員にインタビューした時に、質問するまでの間が長すぎたため、取材を受けた方がその沈黙に耐え切れなくなり、余計なことまで話してしまったらしい。
 
「なるほど、こういう(取材)手法もあるのか」と当時は感心したものだ。

 
私もサイレンスが耐えられないタイプだ。

 
そもそも自己主張が強いというのもあるが、言いたいことが次から次へとあふれてくる私にとっては、沈黙を受け入れることはかなりの忍耐力を伴う。
 

私自身、職場では、年齢的にも、立場的にも、人の話を「聞く力」が必要とされている。

 
沈黙を受け入れること=聞く力とは限らないが、向こうが考え込んで言葉が出てこない時、ある程度の沈黙に耐える力も必要だ。
 

沈黙が苦手ということもあり、会議やビジネスミーティングで無言が続くと、たまらず自分から話を切り出す。その結果、「聞く力がない人」だとみなされることが多い。もちろん、誰かが話をしてくれれば、ちゃんと聞くけど。
 
あとは、単純に相手が話している間に自分が言おうとすることを忘れてしまわないように自分の考えだけ先に話をしてしまう癖がある(これは反省すべき点かもしれない)。
 

ここ数年、「聞く力」が注目されているようで、書店でも関連本が並んでいる。本を手に取りながら、今後どのように沈黙に対する耐久性も高められるか、思案中だ。
 
https://twitter.com/ATF_TOKYO

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集