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たかがブログ、されどブログ
記者時代、私は取材に基づいて、記事を書くのが仕事だった。
当然、入念に事実確認した上で、ニュースを配信する。
その際、曖昧な表現は極力避けた。
特に、私が勤めていた海外メディアでは、「~の模様だ(It seems that~)」とか、「~だとされる(It is said that~)」という表現はNG。
誰が言ったのか、誰から裏取りしたのか、できる限り具体的に記載する必要があった。
たとえ匿名であっても、「直接この案件を知っている2名のバンカーによると~(According to two bankers with direct knowledge of the matter, ~)」と踏み込んだ形で表現した。
昨今、フェイクニュースがはびこり、メディアのあり方も問われる中、正確な情報源を示す重要性は増している。
一方、ブログはといえば、誰もが自由に発信でき、そこまでの厳格さは求められない。
私自身、どこまでもクリエイティブに世界を広げられるnoteに魅了されている。
実際、私の記事でも、自分語りで終始する場合はさておき、何かの事例に対し、記憶に自信がない時は「~ようだ。」「~らしい。」という語尾を乱用している、笑。
まあ、ブログだから良いか、といい加減な自分もいる。
ニュースとブログの特性や内容の違いと言ってしまえばそれまでだが、影響力という観点からみると、ブログやSNSの発信はその辺のマスコミ並み、いや、時としてそれ以上に大きいものになり得る。
誰もが情報発信できる時代、「その影響力は意識しないと」とインフルエンサーには程遠いものの、自身にも言い聞かせている。
情報の受け手としては、「百聞は一見に如かず」という言葉を信じ、自分の判断センサーを大事にしていきたい。
一方、クリエイターとしては、規定にとらわれることなく、自由に想像力を膨らませ、気づきや共感を生む記事を書きたいな…そう感じながら、毎回、現実とのバランスをどう取ろうか、試行錯誤を繰り返している。