というわけで、読みかけ日記第一弾〜伊藤亜紗さんの「手の倫理」〜
「体育の授業が根本のところで目指すべきものって、他人の体に、失礼ではない仕方でふれる技術を身につけさせることだと思うんです」(P24)
著者がある研究者と話をしていた時に聞いたことばとして書かれていたこの文章にまずやられました。
「他人の体に」「失礼ではない仕方で」「ふれる」「技術」。
どの言葉にもそれぞれの意図がある。
著者は高校生までの体育の授業中、友だちの体の特性や癖を無意識に認識していたという。大学に入って体育の授業で共に体を動かすことがなくなったら、周りの友だちの体が妙にふわふわして実体のないものの感じられたという。
自分の体はもちろん、自分とは異なる特性を持った仲間の体と向き合い、跳び箱が飛べない、球技が苦手な人にパスを受けてもらう、などといった課題をどう解決するかということに向き合うのは「能力」以前に「体との向き合い方」だと著者は書いています。
そして「他人の体のふれ方」。抽象的な「助け合い」や「思いやり」ではなく、「きわめて即物的な技法こそ、体をめぐる学びの本質」ととらえています。
そしてそれは「さわる」(「相手との感情的な交流を考慮しない一方的な接触」)ではなく、「ふれる」(「相手の事情を思いやりながら、それを尊重するように接触する」)でなければならないと。
小学校のフォークダンスでクラスメイトと手を繋ぐことへの違和感。若い方には何それ?かもしれませんが、もう●十年前の小学生だった私には「わかるわかる。本当にそうだった」の世界。
握手やハグなど、他人同士が体を接触させることが文化としてなかったからこそ、「文化を取り入れる」のではなく、「技術が必要になる」。
もう、一つ一つが「目から鱗」でした。
この本、実際はもう少し先まで読んでいて、「倫理」と「道徳」の違い、「多様性」に関する捉え方など、面白いことがたくさんあるのですが、それはまた次の機会に。
第一弾の読みかけ日記はこの辺で。